1975 ~そのときニューミュージックが生まれた
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「美空ひばり」がいたからカレンの美声は日本の「国民的洋楽」になった
当時もっともよく売れた「1975年の洋楽」といえば、何といってもカーペンターズである。 75年6月発売のアルバム「緑の地平線~ホライゾン」は、約20万枚を売り上げ、週間チャート1位に輝いた。…
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お得に感じる音の詰まった極致がクイーン「ボヘミアン・ラプソディ」
今日から3回、「特別編」として「1975年の洋楽」を語ってみたい。 今よりも、ずっとずっと洋楽が「偉かった」時期である。邦楽は「ニューミュージック」も歌謡曲も「洋楽に追いつけ追い越せ!(でも…
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乗り気でなかった阿久悠が、岩崎宏美も手がけてくれて本当によかった
シングルジャケットを眺める。どこかの森の中で撮影されたのか、木々をバックにした少女の覇気のない顔つき。さらに「二重唱」「デュエット」という字体も、何とも冴えない。 まさかこの少女が、半世紀後…
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黄金のトライアングル結成の決め手は「ザ・フォーク歌謡」とでもいうべきメロディー
きょう6月25日は、沢田研二77歳の誕生日。 1975年の「ニューミュージック」系ヒット曲を、発売順で論評しているこの連載だが、今回は特別に、ジュリーが「喜寿リー」になるのを祝い、最大のシン…
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ポップの本質からズレた、山下達郎の一連の発言への違和感
この4月に発売されたシュガー・ベイブ「SONGS」の50周年記念盤はCD2枚組で、ディスク2には、1994年5月に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」の音源が収録さ…
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アルバムの印象をふくよかにする大貫妙子の存在感
1994年に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」のパンフレットが、私の寝室の本棚から発掘された。物は捨ててはいけない。これぞ「S(シュガー・ベイブ)DGs」だ。 …
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超高音を難なく歌いあげる弱冠22歳の恐るべき埋蔵量
前回まで紹介したシングル「DOWN TOWN」と同日に発売されたのが、シュガー・ベイブ最初で最後のアルバムにして名盤の「SONGS」である。 今や、シュガー・ベイブといえば「DOWN TOW…
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気分が高揚する歌詞の秘密は「あかさたな」
2025年5月30日付東京新聞の伊藤銀次による短期連載「私の東京物語」で「DOWN TOWN」制作の経緯が細かく書かれていた。 ▼1975年、ザ・キングトーンズ結成15周年の曲を依頼された。 …
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メジャーセブンスを駆使した、確実に「日本初」のシティーポップ
極めてベタに説明すれば「日本初のシティーポップ」である。 発売当初は売れなかったが、のちに山下達郎がメジャーになり、かつEPOによるカバー(1980年)が、フジテレビ系「オレたちひょうきん族…
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「二十歳の魂72歳まで」山下達郎の魅力の核心は声そのもの
(前回までのあらすじ) アマチュア時代の山下達郎が作った自主制作盤を、伊藤銀次がロック喫茶で偶然聴いたーー。 今回も引き続き「伊藤銀次自伝MY LIFE, POP LIFE」(シンコー…
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100枚の自主制作盤に収められた19歳の恐ろしく美しい歌声
すでに何度か書いているように、山下達郎は1975年、シュガー・ベイブのメンバーとしてデビューする。しかし、今聴くことのできる、山下達郎最初の音源は、実は72年にまでさかのぼる。 「ADD SO…
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阿木燿子デビュー作の見事なストーリー展開
「アンタ あの娘の何なのさ!」。もちろん「娘」は「こ」と発音する。 1975年を代表する流行語である。ネタ元は、今回取り上げる、この長い名前のバンドによる長いタイトルの曲だ。週間チャート1位を…
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さだまさし23歳…「僕にまかせてください」の歌詞設定をよく思い付いたものだ
バンド名、曲名を覚えている人が、どの程度いるのだろう。 それでも週間チャートでベストテン入りしたヒット曲で、40万枚近くも売り上げているのだ。明らかに「1975年を代表する1曲」である。 …
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プロデューサー小坂洋二は「5年以内にレコード大賞を獲らせます」を有言実行した
1975年を代表する曲である。何といっても、この年の日本レコード大賞受賞曲だ。 作詞・作曲はフォークの世界で名を上げ始めていた小椋佳。ここで驚くべきは、布施明が所属した渡辺プロダクションの「…
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「4人目のはっぴいえんど」はギター1本背負って渡米し、有名プレーヤーを狂喜させた
私は、このアルバムを聴くと、いつも野茂英雄のことを思い出す。 いや、1975年の鈴木茂が、アメリカの音楽界で活躍したというわけではないのだが、たった1人で、ギター1本背負って、ロサンゼルスの…
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傑作「風街ろまん」は「抱きしめたい」で語ってやれよ
前回「はっぴいえんど=日本語ロックの創始者」という語られ方に疑義を唱えたが、決して、はっぴいえんど自体を否定しようとしているわけではない。 むしろ、彼らの優れた取り組みに対して、そんな上っ面…
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「日本語ロックの創始者」のレッテルは乱暴で陳腐過ぎる
この連載では、1975年の音楽シーンを振り返る枠組みとして「GREAT3=吉田拓郎、井上陽水、荒井(現・松任谷)由実」と、この年に(ソロ)デビューする「BIG4=山下達郎、浜田省吾、矢沢永吉、中島み…
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「ニューミュージック歌謡」の導入で当時の大学生を虜に
キャンディーズ、起死回生の一曲。 前作「なみだの季節」(1974年)までは、人気も売り上げもなかなか伸びなかったのだが、この曲で一気にベストテン入り、売上枚数も20万枚を超えた。 起…
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手ごたえのない演奏を救ったのは山下達郎 弱冠22歳の雄叫びだった
この曲のアレンジャー・松任谷正隆は悩んでしまった。 ──たまにはレコーディングをやらせてほしい、と言われてね。僕はOKしたものの、演奏はティンパンのようにはいきません。リズムはできるだけシンプ…
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口紅で鏡に伝言を残して出ていったのは…あの人の妻?
シングル盤としては、当時それほどヒットしていない。売上枚数は、本連載で紹介する楽曲の中で、最低水準だろう。 しかし現時点での知名度はトップクラスのはずだ。ユーミンが国民的な音楽家になったこと…