1975 ~そのときニューミュージックが生まれた
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セ・リーグは半世紀遅れ…この年に起きた数々のパラダイムシフト
今回はかなり特別編。1975年の音楽の横で、他のエンタメ界に何が起こっていたかを探るシリーズ。その皮切りとして今回は「1975年のプロ野球」について語ってみる。 本連載で紹介している名曲が、…
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ユーミンの「ベタと洗練」が次世代の覇権を手繰り寄せた
この曲について「よく出来た曲だなぁ」と感心するのは、前回ご紹介した歌詞に加えて、非常によく考えて作られた感じのするメロディーに対しても、である。 いい意味でユーミンっぽくないのだ。 …
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「いちご白書」を選ぶユーミンのビジネスセンスに舌を巻く
あらためて聴いて「よく出来た曲だなぁ」と感心した。 約75万枚の大ヒット。もちろんチャート1位。バンバン(ばんばひろふみのいたデュオ)の魅力もさることながら、ヒットしたのは、作家の力によると…
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爆発的セールスをもたらした天衣無縫ボーカルと恵まれたプロセス
「ピンク・レディーを除く70年代アイドルのシングルの中でいちばん売れた曲」だと前回書いた。 何といっても西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(79年)よりも売れているのだから驚く…
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レコードの時代に細かくヒットを積み重ねた筒美京平のすごみ
1位がジュディ・オング「魅せられて」(79年)、2位:近藤真彦「スニーカーぶる~す」(80年)、3位:いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)、4位:尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年)…
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マネーメーキングスターのベスト盤を巡る24年の物語
売り上げ25万枚を超え、チャート1位にもなったアルバムなのだが、今となっては、あまり知名度が高くないだろう。なぜならオリジナルアルバムではなくベストアルバムなのだから。 ちなみに、1975年…
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後の成功につながる「西洋から見た日本」を面白がるスタンス
収録曲の中のベストトラックは、何といっても1曲目の「チャタヌガ・チュー・チュー」だろう。 少々頭でっかちなコンセプトで作られたアルバムの中で「ま、コンセプトとか小難しい話はともかく、まずは楽…
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時代に対して早過ぎ、難解過ぎた「偉大なるたたき台」
このアルバムについては、大滝詠一「NIAGARA MOON」(1975年)の回に少しだけ言及した。「NIAGARA──」を10点とすると、このアルバムは7点だと、少々シビアな評価をしたのだ。 …
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同調圧力に抗い続けたアナーキーさにもっとリスペクトを
本日、いよいよタモリ80歳の誕生日。そこで総括してみたいのだ。タモリとは一体何だったのかということについて。 個人的に強く思うのは「タモリ=同調圧力の敵」だということ。 いまだに広く…
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「ハナモゲラ語」のリズム感がグルービーで気持ちいい
明日8月22日はタモリ80歳の誕生日です。戦後80年、タモリ80年。おめでとうございます! さて今回は、特別編「1975年のタモリ」シリーズの最終回として「1975年からのタモリ」と題して、…
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「松任谷」初期にはJポップが失った文化的質感が溢れている
今回は1975年「以降」のユーミンについて書く。 「COBALT HOUR」は売れた。45万枚以上売れて、「第1次ユーミンブーム」が起こった。続く翌年の「14番目の月」も30万枚を超えて、ユー…
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「卒業写真」にはドライで意志の強い女性像が横溢している
「COBALT HOUR」の収録曲といえば、A面に入っている「卒業写真」か「ルージュの伝言」ということになる。 「ルージュの伝言」は、シングルとして、すでにこの連載で触れたので、今回は「卒業写真…
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カラフルな音楽性とリンクしたジャケットに痛恨のミス
繰り返しになるが、1975年は、ユーミン大ブレークの年である。シングル「あの日にかえりたい」がチャート1位になり、またバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」も1位に。 ということはア…
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ほぼ同期の「ビッグ3」のうち半アマチュアが半世紀現役の驚き
今回は特別編「1975年のタモリ」その③。 何度も引用している戸部田誠(てれびのスキマ)の「大タモリ年表」ですが、75年の欄の最後の方に、実に興味深い記述が出てきます。 ──ビートたけ…
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ザ・タイマーズの放送禁止用語連発にまつわる衝撃の事実
日本テレビ系の「NTV紅白歌のベストテン」「スター誕生!」に対して、フジテレビ系を代表する歌番組といえば、「夜のヒットスタジオ」(夜ヒット)。 1968年に始まり、タイトルを微修正しながら、…
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「NTV紅白歌のベストテン」の背景にあった「vsナベプロ」日本テレビの徹底抗戦
1971年放送開始。森昌子から山口百恵、ピンク・レディー、中森明菜……。83年の番組終了まで、多くの人気アイドル歌手を世に出した、日本音楽史上、非常に重要な歌番組である。75年当時の司会は萩本欽一。…
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CM明けに堺正章のボケが必ずウケる理由を確かめたかった
今回から3回は、また特別編として「1975年の歌番組」について、書いていきたい。 当時小3の私がワクワクしながら、必死に見つめていたテレビの歌番組を振り返ってみる。 いちばんよく見て…
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半世紀前トントン拍子のデビューから「新しい戦後」が始まった
かねて告知しておりました「TAMORI80~勝手にタモリ80歳大生誕祭!!」の開催まで、あと2週間を切りました。 タモリが80歳になる誕生日の前夜(8月21日夜)に、タモリの80歳を祝う誕生…
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甲斐よしひろの切ない声質が一気に商品として成立させた
甲斐バンドのセカンドシングル。 1枚目は前年11月に出した「バス通り」で、これはあまり売れなかったのだが、このセカンドシングルで一気にブレークする。 30万枚を超える売上枚数となり、…
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正論を吐いて離脱した泉谷しげるが新たに継いだ半世紀の夢
「ミュージシャンもやって会社もやるっていうのはいかがなものか」 泉谷しげるの発言である。2017年7月4日に放送されたNHK「ごごナマ」という番組で、77年に吉田拓郎「社長」と袂を分かち、フォ…