1975 ~そのときニューミュージックが生まれた
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阿久悠の言葉と岩崎宏美の声という最高の組み合わせ
この年の阿久悠の活動について、前回は、沢田研二「時の過ぎゆくままに」と都はるみ「北の宿から」の話をしたが、それでも「1975年の阿久悠」を代表するプロジェクトは、岩崎宏美をおいて、他にはないと断言で…
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翌1976年のレコ大に結実する、フォークの香りを捉えた鋭敏なセンス
1975年の阿久悠は、どのような曲を手掛けていたのだろう。 「移りゆく時代 唇に詩~阿久悠大全集~」というCDセットがある。何と14枚組、定価3万9690円。97年発売。 当時、値段を…
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天衣無縫ボーカルが体現した太平洋を渡る洋楽的な感覚
「二重唱(デュエット)」→「ロマンス」というホップ→ステップに続く「岩崎宏美、1英単語タイトルシリーズ」のジャンプである。 売上枚数は「ロマンス」から下がるも、クオリティー的にはまさにジャンプ…
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石油危機の不景気な時代と寝た小椋佳の希薄なメッセージ性
10月10日に発売されているということは、この曲が主題歌となった日本テレビ系の同名ドラマが、1975年10月から始まったということだ。 そして高い人気を得たこともあって、このドラマは、翌年の…
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憂いを秘めた山本潤子のスキャットがナンバーワンに貢献した
この曲がヒットしたのには、音楽的には、イントロの貢献がとても大きいと思う。 1975年の若者に対して「あの日にかえりたい!」、具体的にいえば、60年代後半~70年代前半──「あの熱かった時代…
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究極の都会人が男性・年上・田舎にまで間口を広げチャート1位を奪取
「『いちご白書』をもう一度」をチャート1位に送り込んだユーミンの経験が、大いに生きていると感じさせる曲である。 この連載でバンバン「『いちご白書』~」を取り上げたときに書いたのは、1975年の…
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いよいよ「新しい音楽」が時代のど真ん中にたどり着いた
ある意味では、この曲によって、本連載も最終章に入ったということになる。 10月初頭に発売されたユーミンのこのシングルが、チャートの1位に輝くのだから。 この事実から言いたいことは、つ…
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「よしだたくろう的」な音楽が少しずつ時代とズレていく
「よしだたくろう的」と感じるのだ。吉田拓郎の曲なのだから当たり前だろうと思われるかもしれないが、ここでは表記の話をしている。 このシングルで「よしだたくろう」から「吉田拓郎」に名義を変えたにも…
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売り上げ的に面目を保った「シン・拓郎」の記念すべき1枚
「約30万枚も売れたのか」「最高4位まで行ったのか」──正直にいえば、そういう感想を持つ。 つまり当時小3だった私には、よく聴こえてこなかった曲なのだ。それでもこれだけ売れたというのは、東大阪…
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研ナオコの悲しげなボーカルが中島みゆきの「魅力拡散装置」となった
この曲を聴いて想起するのは2人の音楽家だ。 まずは、中島みゆきの少女時代のアイドルだった吉田拓郎である。共通点は「3拍子」(8分の6拍子含む)。 「アザミ嬢のララバイ」は3拍子で、さら…
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自由で柔軟な言葉と完成された歌を持って現れたラスボス
中島みゆきの記念すべきデビュー曲である。 チャート最高38位は悪くない。矢沢永吉「アイ・ラヴ・ユー、OK」が43位、シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」と愛奴「二人の夏」が圏外だったことを…
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パニック映画ブームの陰でエロチック需要を掘り起こした
今回も特別編で「1975年の映画界」。 一言でいえば、「パニック映画」大ブームの年だった。超高層ビル火災を描いた「タワーリング・インフェルノ」、大地震を描いたその名も「大地震」。航空事故を描…
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「1月18日生まれ」の2人によって培われた深夜の歴史
今回は特別編「1975年のラジオ界」。小3の私が、兄貴との相部屋にあった小さなラジカセで、おそるおそる阪神戦の中継などを聴き始めた年。つまり私のラジオデビューイヤーでもあったのだ。 ただ、こ…
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学生運動の「残り香」は幅広いファンの獲得に貢献した
デビュー前の中島みゆきについて、その後の音楽活動に大きく影響を与えるキーワード。 前回の「吉田拓郎」に続いての2つ目は「学生運動」だ。 中島みゆきは1952年生まれ(ただし早生まれ)…
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学生の頃は「推し」の前でフランクにふるまっていた
デビュー前の中島みゆきについて、その後の音楽活動に大きく影響を与えるキーワードを2つ、ご紹介したい。1つ目は「吉田拓郎」(もう1つは次回)。 当時の中島みゆきが、吉田拓郎のファンだったという…
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MVPのポール以外の3人もいい曲を繰り出している
元ビートルズの4人のうち1975年のMVPはポール・マッカートニーだろう。ヒットアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」をリリース。 前作「バンド・オン・ザ・ラン」の名義は「ポール・マッカート…
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解散後ジョージとリンゴが頭角を現しがっぷり四つの状態に
事実上の解散から5年経った1975年の段階でも、日本で、世界で、ビートルズは特別な存在であり続けた。 私は学生時代の一時期、70年代のロック雑誌を後追いで読みまくったものだが、レッド・ツェッ…
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達郎とも共通する海外での学びを国内で生かすプロセス
歴史的作品であるこのアルバムだが、個人的には少々不満もある。サウンド面だ。 いや、矢沢永吉によるメロディーやボーカルは十分に合格点なのだが、アレンジや演奏、録音が、何というか、平均点、合否ギ…
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絶妙な歌詞世界が構築した「日本語ロック」の基本フォーマット
このアルバムのMVPは誰か。矢沢永吉本人は別格として、私は、このアルバムで半数以上の曲を作詞した人物の名前を挙げたいと思う。 相沢行夫だ。 のちに、同じく矢沢永吉のソロ初期のバックを…
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裸一貫で制作費を全額自己負担した26歳、一世一代の大勝負
矢沢永吉、26歳の誕生日の1週間後に発売されたソロデビューアルバムについては、まず矢沢永吉の自叙伝「成りあがり」(角川文庫)にあるこのくだりを読んでほしい。このすごみは、中学時代に読んだときには分か…
