1975 ~そのときニューミュージックが生まれた
-
浜田省吾が吉田拓郎のバックバンド時代にやらかしたシンバル転倒事件
「おい、浜田がな、今ドラム叩いとるらしいぞ」 石田伸也「吉田拓郎 疾風伝」(徳間書店)という本にある、浜田省吾の同級生が耳にした言葉である。 1972年に結成されたバンド「愛奴」で、浜…
-
浜田省吾の父親が「生き地獄」の広島に向ったA.A.B.から80年
1975年、愛奴というバンドの一員としてデビューする浜田省吾について書くために、浜田敏太氏について書く。 浜田省吾の父親である。その名も「FATHER'S SON」(88年)というアルバムが…
-
多くの「ニセフォルニア」を生んだ西海岸ブームの導火線に
前々回取り上げたクイーン、前回のカーペンターズに比べたら、1975年段階での日本における人気や売り上げは、それほどではなかった。しかし、この年あたりから、日本でも支持され始めるのが、イーグルスである…
-
「美空ひばり」がいたからカレンの美声は日本の「国民的洋楽」になった
当時もっともよく売れた「1975年の洋楽」といえば、何といってもカーペンターズである。 75年6月発売のアルバム「緑の地平線~ホライゾン」は、約20万枚を売り上げ、週間チャート1位に輝いた。…
-
お得に感じる音の詰まった極致がクイーン「ボヘミアン・ラプソディ」
今日から3回、「特別編」として「1975年の洋楽」を語ってみたい。 今よりも、ずっとずっと洋楽が「偉かった」時期である。邦楽は「ニューミュージック」も歌謡曲も「洋楽に追いつけ追い越せ!(でも…
-
乗り気でなかった阿久悠が、岩崎宏美も手がけてくれて本当によかった
シングルジャケットを眺める。どこかの森の中で撮影されたのか、木々をバックにした少女の覇気のない顔つき。さらに「二重唱」「デュエット」という字体も、何とも冴えない。 まさかこの少女が、半世紀後…
-
黄金のトライアングル結成の決め手は「ザ・フォーク歌謡」とでもいうべきメロディー
きょう6月25日は、沢田研二77歳の誕生日。 1975年の「ニューミュージック」系ヒット曲を、発売順で論評しているこの連載だが、今回は特別に、ジュリーが「喜寿リー」になるのを祝い、最大のシン…
-
ポップの本質からズレた、山下達郎の一連の発言への違和感
この4月に発売されたシュガー・ベイブ「SONGS」の50周年記念盤はCD2枚組で、ディスク2には、1994年5月に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」の音源が収録さ…
-
アルバムの印象をふくよかにする大貫妙子の存在感
1994年に中野サンプラザで行われた「山下達郎シングス・シュガー・ベイブ・ライブ」のパンフレットが、私の寝室の本棚から発掘された。物は捨ててはいけない。これぞ「S(シュガー・ベイブ)DGs」だ。 …
-
超高音を難なく歌いあげる弱冠22歳の恐るべき埋蔵量
前回まで紹介したシングル「DOWN TOWN」と同日に発売されたのが、シュガー・ベイブ最初で最後のアルバムにして名盤の「SONGS」である。 今や、シュガー・ベイブといえば「DOWN TOW…
-
気分が高揚する歌詞の秘密は「あかさたな」
2025年5月30日付東京新聞の伊藤銀次による短期連載「私の東京物語」で「DOWN TOWN」制作の経緯が細かく書かれていた。 ▼1975年、ザ・キングトーンズ結成15周年の曲を依頼された。 …
-
メジャーセブンスを駆使した、確実に「日本初」のシティーポップ
極めてベタに説明すれば「日本初のシティーポップ」である。 発売当初は売れなかったが、のちに山下達郎がメジャーになり、かつEPOによるカバー(1980年)が、フジテレビ系「オレたちひょうきん族…
-
「二十歳の魂72歳まで」山下達郎の魅力の核心は声そのもの
(前回までのあらすじ) アマチュア時代の山下達郎が作った自主制作盤を、伊藤銀次がロック喫茶で偶然聴いたーー。 今回も引き続き「伊藤銀次自伝MY LIFE, POP LIFE」(シンコー…
-
100枚の自主制作盤に収められた19歳の恐ろしく美しい歌声
すでに何度か書いているように、山下達郎は1975年、シュガー・ベイブのメンバーとしてデビューする。しかし、今聴くことのできる、山下達郎最初の音源は、実は72年にまでさかのぼる。 「ADD SO…
-
阿木燿子デビュー作の見事なストーリー展開
「アンタ あの娘の何なのさ!」。もちろん「娘」は「こ」と発音する。 1975年を代表する流行語である。ネタ元は、今回取り上げる、この長い名前のバンドによる長いタイトルの曲だ。週間チャート1位を…
-
さだまさし23歳…「僕にまかせてください」の歌詞設定をよく思い付いたものだ
バンド名、曲名を覚えている人が、どの程度いるのだろう。 それでも週間チャートでベストテン入りしたヒット曲で、40万枚近くも売り上げているのだ。明らかに「1975年を代表する1曲」である。 …
-
プロデューサー小坂洋二は「5年以内にレコード大賞を獲らせます」を有言実行した
1975年を代表する曲である。何といっても、この年の日本レコード大賞受賞曲だ。 作詞・作曲はフォークの世界で名を上げ始めていた小椋佳。ここで驚くべきは、布施明が所属した渡辺プロダクションの「…
-
「4人目のはっぴいえんど」はギター1本背負って渡米し、有名プレーヤーを狂喜させた
私は、このアルバムを聴くと、いつも野茂英雄のことを思い出す。 いや、1975年の鈴木茂が、アメリカの音楽界で活躍したというわけではないのだが、たった1人で、ギター1本背負って、ロサンゼルスの…
-
傑作「風街ろまん」は「抱きしめたい」で語ってやれよ
前回「はっぴいえんど=日本語ロックの創始者」という語られ方に疑義を唱えたが、決して、はっぴいえんど自体を否定しようとしているわけではない。 むしろ、彼らの優れた取り組みに対して、そんな上っ面…
-
「日本語ロックの創始者」のレッテルは乱暴で陳腐過ぎる
この連載では、1975年の音楽シーンを振り返る枠組みとして「GREAT3=吉田拓郎、井上陽水、荒井(現・松任谷)由実」と、この年に(ソロ)デビューする「BIG4=山下達郎、浜田省吾、矢沢永吉、中島み…