新しい音楽を漂わせた才能が虎視眈々と桂三枝の座を狙っていた
1975年のテレビ界②
今回も特別編「1975年のテレビ界」。前回は、この年のテレビ業界を代表する「MVP」は萩本欽一だったという話を書いた。
では東京発テレビのMVPを欽ちゃんだとすると、関西のMVPは誰か。東大阪出身の私の記憶の中で、この年、燦然と輝いているのは桂三枝(現・文枝)だ。
吉本興業のサイト内にある経歴には、74年の欄に「『オヨヨ! グー!』大流行」、75年には「第4回上方お笑い大賞金賞」と書かれている。「オヨヨ」「グー」はとてもリアルに覚えている。また上方お笑い大賞の金賞に輝いたのも、当時の彼の勢いを象徴している。ちなみに大賞は海原お浜・小浜だった(なお小浜は海原やすよ・ともこの祖母)。
さて、この年の三枝は、とにかくよくテレビに出ていた。ただ、彼自身のネタで大笑いした経験はあまりなく、むしろ若手の落語家や芸人を取り回して、笑いを引き出す立場にいた。
その意味では「東のMVP」萩本欽一にも通じるものがある。
日曜の夕方に放送されるMBS「ヤングおー!おー!」で、若手落語家ユニット「ザ・パンダ」の月亭八方、桂文珍、桂きん枝(現・小文枝)、林家小染らをイジりまくって笑いを取っている姿が懐かしい。