(2)50年付き合っているタモリが語る坂田明の凄まじい「突破力」
坂田明を語る上で欠かせないのは、交友関係の広さだ。大学卒業後、ミュージシャンを目指して上京した坂田の周りにはジャンルのバラバラな雑多な面々が集っていた。そこで磨かれたのが「ごった煮のセンス」だ。
坂田はジャズミュージシャンにとどまらず、民謡やアイヌ音楽にも傾倒し、ミジンコ研究家にもなる。多彩な人脈が、幅広い活動に少なからず影響を与えたのは間違いない。
玉石混交、魑魅魍魎が行き交う中で、とりわけ坂田との稀有な“共演者”となったのがタモリだ。同じ1945年生まれ。出会いから、実に半世紀の付き合いとなる。
2人が初めて顔を合わせたのは1975年、大分県日田市でのことだ。山下洋輔トリオのメンバーとしてツアーに参加していた坂田は、リハーサルの後で、山下から一人の男を紹介される。当時、日田市でボウリング場の支配人をしていたタモリだった。
早稲田大学のモダンジャズ研究会でトランペットを吹いていたタモリは、当時からフリージャズに興味があり、山下トリオのライブにも足を運んでいた。
「何かを突き破っていく面白さがありましたね」
タモリは筆者のインタビューに、当時の山下トリオの印象をそう語っている。


















