村山富市
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「至誠の人」村山富市(9)戦後50年の「村山談話」で奮起
1995年7月末、武村正義蔵相が場所と時間を決め、私は赤坂のうなぎ屋「重箱」で村山首相に会った。店の前に集まった記者たちが「新党問題ですか」と聞くから「そんなところだ」と答えた。 ■最後の説得 村山は先に来ていて、私の...
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「至誠の人」村山富市(7)「55年体制の切り株」を取り除く
自民党、社会党、さきがけの3党が一致結束できたのはやはり、冷戦や55年体制の終結という大きな歴史的要因によるものだろう。加えて、河野洋平、村山富市、武村正義の3党首が強固に結束したからだとも思う。 ■武闘派が一線に立つ ...
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「至誠の人」村山富市(6)新らしい展望に立った龍宮殿会談
新党さきがけの代表、武村正義と村山首相は細川政権当時から互いに認め合う仲だった。 ■「さきがけ」に専念 その武村が村山内閣の蔵相になり、多忙な官房副長官をさきがけの代表幹事であった園田博之が務めるのだから、20人足らず...
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「至誠の人」村山富市(5)度肝を抜いた社会党の大転換
1994年6月30日、自民党・社会党・新党さきがけによる3党連立の村山富市内閣が発足すると、当然のことながら、すさまじい政治日程が待っていた。 まず7月8日にイタリア・ナポリでの先進国首脳会議。村山首相はこの時、慣れない外遊...
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「至誠の人」村山富市(4)難題だった官房長官人事
「野坂浩賢官房長官」をつぶすのは難題であった。しかし引き受けてしまったから何とかしなければならない。それを決めなければ組閣が一歩も進まなくなる。 野坂は村山と同じ大正13(1924)年生まれ。恐らく社会党活動、組合活動の同志と...
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「至誠の人」村山富市(3)自社さ政権の成立
無事、首班指名(1994年6月29日)に勝ち、さきがけ代表の武村正義と私は、赤坂のさきがけ本部前のスナックで3党首会談が始まるのを待っていた。武村は春日八郎の「別れの一本杉」や三橋美智也の「哀愁列車」なんかを歌っている。歌唱力はある...
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「至誠の人」村山富市(2)生まれながらに“推される人”
羽田孜首相は1994年6月25日、不信任案の採決を待たずに自ら総辞職を表明し、解散、総選挙による政局転換は消えた。そして、いよいよ次期首相の指名を巡って本格的な動きが始まった。 正直に言って、同じ信州人として羽田内閣には強い...
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「至誠の人」村山富市(1)「首班指名は村山」に怒りの電話
1994年6月23日の早朝、6時ごろだったと思う。議員宿舎の電話が鳴って私は飛び起きた。「アンタはワシをバカにしているんかね」といきなり私は怒鳴られた。 電話の主は社会党委員長の村山富市。私が前日、次期首相候補として彼の名を...
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石破首相は何を打ち出す?「戦後80年メッセージ」への強い思いと、その中身のヒント
石破茂首相(68)は果たして何を言うのだろうか。 813日朝に放送された情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)が取り上げたテーマの一つが、戦後80年の節目を受けた首相談話の発表についてだった。 首相談話...
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【最大激戦区の参院大分補選】自民新人「銀座ママ」候補に賛否、五分五分情勢を左右する2つのカギ
衆参5つある補欠選挙(4月23日投開票)のなかで「最大の激戦区」となっている参院大分補選。自民候補と野党候補が、互角の戦いをしている。情勢調査も五分五分だ。 もともと大分は、野党の牙城だ。2001年以降、参院選は自民党の4勝...
