沢田研二
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【比叡山フリーコンサート】のLPは沢田研二屈指の珍盤(聴いたことないが)
久々に、自前のLPを紹介する。持っているものの、実は、後述する理由で、聴いたことがない1枚なのだが。 帯には大きく「時の過ぎゆくままに」。でも正式タイトルは背表紙にある「沢田研二 比叡山フリーコンサート」。演奏は井上堯之バン...
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【照子と瑠衣】の風吹ジュンと夏木マリは本当にGS世代だったのか
NHK BSのドラマ『照子と瑠衣』がなかなか面白い。 中学時代に知り合った照子(風吹ジュン)と瑠衣(夏木マリ)が、お互い70代になって、閉塞した現実生活から突然、逃避行するというストーリー。 7月6日の第3回では、中...
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【岸部シロー】の「自虐ネタ」が堪能できるライブアルバム『A-LIVE』
同窓会ザ・タイガースのライブアルバム『A-LIVE』のCDは2枚組。Disc 2の#1『LOOK UP IN THE SKY』は、何と13分を超える長尺となっている。 実際に、そんな長い演奏だったのか。さにあらず。そのほとん...
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【ジュリー・ロックン・ツアー '81】の「来場者アンケート」に答えてみる
例の「人間77年喜ジュリー祭り」の撮影のときに、スタッフから私にプレゼントをいただいた。「ジュリー・ロックン・ツアー '81」のコンサートパンフレットだ。 上の画像がその表紙。よく見たら決定的な誤植があるのだが、日々、誤植を...
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【ストリッパー】B面『ジャンジャンロック』がもしシングルになっていたら
前回、ご紹介したBAYFM『9の音粋』のポリドール特集でかけた曲、沢田研二『ジャンジャンロック』。実は、先週動画をアップした「#人間77年喜ジュリー祭り」でも、B面の割には、投稿が多かったのです。 私の『沢田研二の音楽を聴く...
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【ポリドール】という沢田研二のレコード会社には一体他に誰がいたのか?
ザ・タイガースからソロにかけて、1967年から1984年にかけて、沢田研二が契約していたレコード会社といえば、ポリドール。 でも、このポリドール、「沢田研二のレコード会社」という以外に、イメージがあまりハッキリしないと思った...
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【1979年紅白】で「石野真子」の歌におどける沢田研二は何を考えていたか
まずは水曜日に公開された「#人間77年喜ジュリー祭り~勝手にお祝い動画」をご覧ください。参加していただいた皆さま、ありがとうございました。 そして、見ていないとは思いますが、あらためて沢田研二様、お誕生日おめでとうござい...
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乗り気でなかった阿久悠が、岩崎宏美も手がけてくれて本当によかった
シングルジャケットを眺める。どこかの森の中で撮影されたのか、木々をバックにした少女の覇気のない顔つき。さらに「二重唱」「デュエット」という字体も、何とも冴えない。 まさかこの少女が、半世紀後も現役の大物歌手になるとは、この曲...
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黄金のトライアングル結成の決め手は「ザ・フォーク歌謡」とでもいうべきメロディー
きょう6月25日は、沢田研二77歳の誕生日。 1975年の「ニューミュージック」系ヒット曲を、発売順で論評しているこの連載だが、今回は特別に、ジュリーが「喜寿リー」になるのを祝い、最大のシングルヒットである8月発売のこの曲を...
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【BAYFM】のレギュラー番組で沢田研二の誕生日「6月25日」を特集
さて、いよいよ明日、沢田研二77歳のお誕生日がやってきます。77歳ということは喜寿。ついにジュリーが「喜ジュリー」になるのです。 というわけで、昨日夜、2日早く、沢田研二の誕生日を祝う特集を、我がラジオ番組、BAYFM「9の...
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【TOKIO】イントロのギターを弾きたい人に見てほしい「演奏動画」
前回取り上げた沢田研二『TOKIO』の編曲の素晴らしさ。それは多分にイントロのかっこよさが寄与していると私は考える。 音楽的に言えば「sus4」(=サス4/サスペンデッド4th)という音を印象的に使っているのだが、ちょっと専...
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【一世風靡セピア】が「TOKIO」を聴いて後藤次利に「直談判」したこと
拙著『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』にも少し書いたが、後藤次利による沢田研二『TOKIO』の編曲の印象は強烈だったようだ。 何といっても日本レコード大賞編曲賞である。ちなみに『TOKIO』以降は、 1981...
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【人間60年・ジュリー祭り】の翌日に書いた「幻のブログ原稿」公開
拙著『沢田研二の音楽を聴く 1980-1985』の最後をこう締めた。 ──最後に、『人間60年・ジュリー祭り』の翌日に、自分のブログ(現在は閉鎖)に書いた一言をもって、長いようで短かった半年間を締めくくりたい。「何をくよくよと...
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プロデューサー小坂洋二は「5年以内にレコード大賞を獲らせます」を有言実行した
1975年を代表する曲である。何といっても、この年の日本レコード大賞受賞曲だ。 作詞・作曲はフォークの世界で名を上げ始めていた小椋佳。ここで驚くべきは、布施明が所属した渡辺プロダクションの「フォーク取り込み戦略」である。 ...
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【高田文夫】のラジオで語られた、沢田研二絡みのとっておき「エピソード」2つ
先週のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で、沢田研二の話題が2回出たので、ここでリポートしておきたい。 1回目は、6月2日(月)の回。ゲストは中山秀征。トークの中で中山が「志村けんが絶対に遅刻をしない」というエピソ...
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【シーナ&ザ・ロケッツ】のシーナと沢田研二との間に起きた「一触即発」とは?
6年前の忘れられない記事である。私も連載している東京スポーツに載っていたダイアモンド☆ユカイと鮎川誠の対談。 中に突然、沢田研二が出てくるのだ。それもシーナ&ザ・ロケッツ(シナロケ)と一触即発になったというのだから、何ともき...
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【大阪弁護士会】石田法子会長と沢田研二の2015年新春対談の「読みごたえ」
あまたある沢田研二のインタビューの中でも、もっとも読みごたえのあるものの1つだろう。 媒体は何と「月刊 大阪弁護士会」。その2015年1月号に、沢田研二と石田法子大阪弁護士会会長による「新春対談」が載っているのだ。これがすご...
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【渡辺晋】のことを沢田研二はどう思っていたかを示す知られざる「1曲」とは
渡辺プロダクション(ナベプロ)、そして沢田研二在籍時に、ナベプロの創業者にしてドンだった渡辺晋について、人々はどういうイメージを持っているのだろう。 世代にもよるだろうが(というか若い人たちはご存じないだろうが)、私世代にと...
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【ジョニ・ミッチェル】を教えてくれたザ・タイガースの「アルバム」とは?
ジョニ・ミッチェルという、カナダ出身の有名なシンガー・ソングライターがいる。映画『いちご白書』(70年)の主題歌(=バフィ・セントメリーのカバー版)となった、ジョニの曲『サークル・ゲーム』は、世界一好きな曲の1つだ。 実は私...
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【エディ藩】が加橋かつみ脱退後、ザ・タイガースに入っていた「可能性」
元ザ・ゴールデン・カップスのエディ藩が亡くなった。死因は感染性心内膜炎。享年77。 カップスのギタリスト兼ボーカリスト。ギタリストとしては、ブルースからブリティッシュ物までも器用にこなし、グループサウンズ(GS)の中でも際立...
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【大滝詠一】が沢田研二との仕事で犯してしまった「致命的ミス」とは?
あのとき大滝詠一が、そんなつまらない凡ミスを犯していなければ、もっと早くブレークしたのではないか。『A LONG VACATION』(81年)を待たずに、また「ライバル」細野晴臣より先に、時代の寵児になっていたかもしれない──。 ...
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【今僕は倖せです】のジャケットに表れた沢田研二の「性格」と「気分」
1972年9月に発売されたアルバムの正式名称は『JULIE IV 今僕は倖せです』。あまたある彼のアルバムの中でも、もっともユニークなジャケットデザインの1つだろう。 マーカー(当時風にいえば「マジック」)による手書き文字(沢田...
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【岸部一徳】(当時:修三)の激しいベースプレイが楽しめる「あの3曲」
1970年8月22日、田園コロシアムで行われたザ・タイガースのコンサートの模様は、アルバム『ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム』(71年)として市販された。また映像も残っていて、DVD BOX『ザ・タイガース フォーエヴァー...
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【アルバム『彼は眠れない』】「沢田研二1980-1985」が「復活」した、あの秋
ココロから離れ、再び吉田建とタッグを組んだ1989年のアルバムが『彼は眠れない』だ。 クレジットを見ると、ベースに吉田建、ドラムスに村上"ポンタ"秀一、ギターには佐橋佳幸、下山淳ら、キーボードに西平彰、ホッピー神山ら、という...
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【CO-CóLO】を沢田研二がどう捉えていたのか、その「驚きの真実」
エキゾティクスの後、沢田研二のバックバンドとして活動したのが『CO-CóLO』(ココロ)だ。アルバム『CO-CóLO 1~夜のみだらな鳥達~』(86年)のクレジットによれば、メンバーは、沢田研二(ボーカル)に続いて、 ・チト河...
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【10 YEARS, ROMANCE ザ・タイガース写真集】で再度納得する「あの話」
連載で引用しようと思って、チャンスがなかった写真集である。奥付を見ると「1982年3月17日初版発行」「定価 2000円」「編 ザ・タイガース同窓会」「発行 第三書館」とのこと。 シングル『色つきの女でいてくれよ』、アルバム...
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【後藤次利】はどのように『TOKIO』の「超絶編曲」へと行き着いたのか
日刊ゲンダイの連載をまとめた『「沢田研二の音楽を聴く1980-1985」』 が、ついに発売されました。何卒よろしくお願いします。 ◇ ◇ ◇ さて。まさに「人間交差点」という感じの「沢田研二1980-1985」を...
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【『NON POLICY』のジャケット】早川タケジの「芸の細かい」傑作デザイン
「沢田研二1980-1985」のジャケット群の中で、いちばん好きなものを聞かれたら、シングルでは連載でも激賞した『渚のラブレター』(81年)だが、アルバムだと僅差の中、『NON POLICY』(84年)がいちばんだと答えたい。 ...
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【萩原健一】ショーケンが見つめたライバル=沢田研二の「すごみ」
言うまでもなく、沢田研二といえば萩原健一である。ジュリーとショーケン。「阪神タイガースと読売ジャイアンツ」に並ぶ、昭和を代表するライバル関係だろう。ま、タイガースといっても、この場合はザ・タイガースとザ・テンプターズなのだが。 ...
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【宝島】サブカル雑誌の表紙を飾る2人の沢田研二の大きな「変化」
雑誌『宝島』。いわゆる「サブカル雑誌」の代表的存在。画像に写っているのは沢田研二が表紙となった『宝島』2冊。右は81年5月号。左は84年6月号。 同じ雑誌、同じ被写体で、これほどまでに変化するかね。81年版はいかにもニューウ...
