語り部の経営者たち
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二木・二木正人社長<1>日本一の品揃えを誇る菓子専門店に
「ニキ、ニキ、ニキ、ニキ」と初代林家三平が連呼するインパクトの強いCMで知られる「二木の菓子」は、アメ横のシンボル的存在となっているお菓子の小売り・現金問屋だ。昨年11月、2代目林家三平によって、連呼…
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大幸薬品・柴田高社長<4>「正露丸」頼みにならない強み
ラッパのマークで知られる「大幸薬品」の柴田高社長は2004年、副社長に就任した。48歳のときだ。もともと柴田は、大幸薬品の創業者一族である。 大幸薬品が成長するのに伴い、同族企業の限界を感じ…
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大幸薬品・柴田高社長<3>画期的商品クレベリンが大ヒット
「正露丸」で有名なラッパのマークの大幸薬品の柴田高社長が、市立豊中病院の外科部長を辞めて大幸薬品の取締役副社長に就任したのは2004年11月。48歳のときだ。腕のいい外科医だったが、家業である大幸薬品…
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大幸薬品・柴田高社長<2>正露丸のメカニズムを初めて解明
胃腸薬「正露丸」でお馴染みのラッパのマークの大幸薬品。社長の柴田高は、創業者一族の一人であり、もともとは、腕の良い外科医である。 1981年6月、阪大医学部第2外科から大阪府立千里救命救急セ…
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大幸薬品・柴田高社長<1>元外科医で“白い巨塔”モデルに師事
正露丸で知られるラッパのマークの「大幸薬品」。創業71年の老舗企業だ。 大幸薬品を正露丸に頼る企業から脱皮させ、新風を吹き込んだのが現社長の柴田高である。副社長に就任した当時、上場も果たして…
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鈴与・鈴木与平会長<7>機内サービスはアットホーム
江戸時代から続く総合物流業の鈴与はグループ会社を140社、擁している。なかにリージョナル航空の「フジドリームエアラインズ」(FDA)、サッカーの清水エスパルスもある。異質な企業を抱えている理由につい…
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鈴与・鈴木与平会長<6>羽田に発着しない航空会社を設立
8代目鈴木与平が会長を務める鈴与。静岡市清水区にある巨大物流企業である。鈴木が同社グループのなかにリージョナル(地域)航空の「フジドリームエアラインズ」をつくったのは2008年。就航は静岡空港の開港…
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鈴与・鈴木与平会長<5>やめろと言われるとやりたくなる
鈴与は静岡市清水区にある総合物流企業。もともとは江戸時代の享和元(1801)年に暖簾を掲げた回漕問屋だった。鈴与単体の年商は1130億円。グループ全体の従業員数は1万人を切るくらいである。 …
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鈴与・鈴木与平会長<4>大変な時に社長になってよかった
入港した船の荷物を降ろし、油や水の手配をする仕事を船舶代理店業という。静岡県・清水区にある鈴与はそうした仕事から発展した総合物流企業だ。現会長の鈴木与平は鈴木家当主8代目。鈴木家では先代が退いた後、…
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鈴与・鈴木与平会長<3>社長就任最初の仕事は「合理化」
静岡県静岡市清水区に本拠を置く鈴与。江戸時代の回漕店、播磨屋が起源だ。グループ会社が140もある国内屈指の総合物流企業である。リージョナル航空の「フジドリームエアラインズ」(FDA)も抱えている。現…
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鈴与・鈴木与平会長<2>社長になってよかったことはなにも
鈴与は総合物流企業だ。本社は清水港に近い場所にあり、社屋を一歩出ると、とたんに海のにおいがする。グループの従業員は1万人近い。東海地方の巨大な企業である。 8代目当主の鈴木与平は現在、会長職…
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鈴与・鈴木与平会長<1> Jリーグ清水や航空会社FDAも傘下
鈴与は静岡県静岡市清水区に本社を置く総合物流企業だ。非上場ではあるが、規模は大きく、グループは140社ある。Jリーグ「清水エスパルス」、リージョナル(地域)航空会社の「フジドリームエアラインズ」(F…
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晩杯屋・金子源社長<4> 店づくりの本質は金儲けではない
2008年の創業から間もなく10年。現在も順調に展開を広げている晩杯屋が意識を強めているのが、地域に密着した店づくりだ。 「もちろん、銀座や新橋などにも出店しています。ただ、全体の客層を見ると…
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晩杯屋・金子源社長<3> 大田市場と赤羽で磨いた「買う力」
晩杯屋を開店するにあたって、金子氏はまず東京・赤羽に向かった。人気店「立ち飲み いこい」で修業するためだ。 「仕入れの相談をしていた築地のマグロの仲買が、『立ち飲みの店をやるなら勉強してきたら…
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晩杯屋・金子源社長<2> 08年に4坪の立ち飲み屋をオープン
飲食の世界を知るために自衛官からレインズインターナショナルに転職した金子氏。研修は3カ月の予定だったが、焼き肉チェーン「牛角」の出店ラッシュにともない、なんと入社3日目にして店長の辞令が下ったという…
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晩杯屋・金子源社長<1> 陸上自衛官時代に飲食の道を決意
酒は1杯250円からでツマミはほとんど100円台。安くてうまい立ち飲み屋として昨今のせんべろブームの一端を担い、東京を中心に約30店舗を展開する立ち飲みスタイルの晩杯屋。この人気店の生みの親であるア…
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沖縄ツーリスト東良和会長<8> 自分は中継ぎでしかない
沖縄は失業率が高い県として知られていたが、ここにきて、ずいぶん変わってきている。基幹産業である観光業や建設業が伸びているうえに、生産年齢人口が減少しつつあり、逆に人手不足が深刻化しているのだ。 …
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沖縄ツーリスト東良和会長<7> 次に来るのは第三国観光
20年も前から、東は「インバウンドの時代が来る」と唱えていた。10年前でも、業界紙でインバウンドを取り上げたコラムを書いていたのは東しかいなかった。 「そもそも、沖縄ツーリストはインバウンドか…
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沖縄ツーリスト東良和会長<6> 初の南米行きジャンボ機を
旅行会社がチャーター便を手配するのは珍しいことではないが、東はここでも思い切りのいい決断をして成功させた経験を持つ。 2003年、「第1回世界のウチナーンチュ会議」がハワイで開催された。移民…
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沖縄ツーリスト東良和会長<5>株主総会で「私を副社長に」
1990年、沖縄ツーリストに入社、東京支店の営業課長に就任する。 大学院で学んだことを現場に役立てたいという志を持っていた東は、いきなり現実を突きつけられる。JALのような大手企業で鍛えられ…