五木寛之 流されゆく日々
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連載10845回 「一瞬面授」の人びと <3>
(昨日のつづき) 50年ちかく前の江藤淳さんの選評の続きである。 <とはいうものの、これはやはり女流作家の作品で、女はよく描きわけられているが、視点が父親に切り替えられるところに、やや違和感…
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連載10844回 「一瞬面授」の人びと <2>
(昨日のつづき) なにしろ有力な出版社とか著名な文豪の名前を冠にした文学賞とはちがう地方の賞である。安岡さんや江藤さんにしてみれば、いわば頼まれ仕事なので、たぶん軽い気持ちで接するのだろうと思って…
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連載10843回 「一瞬面授」の人びと <1>
『面々授受』という本がある(佐高信著/岩波現代文庫/社会143)。私が読んだのは文庫本のほうだが、親本のほうは2003年に岩波書店から出ている。 『久野収先生と私』という副題がついているのだが、久野…
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連載10842回 「悲しむ」ということ <4>
(昨日のつづき) 先日、ある若い編集者から一冊の本をもらった。『ボディ・サイレント』という文庫本である。(ロバート・F・マーフィー著/辻信一訳/■(泙のサンズイを取る)凡社ライブラリー)。 著…
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連載10841回 「悲しむ」ということ <3>
(昨日のつづき) 戦後からの半世紀は、この国が戦争の痛手から回復しようとがんばった時期だった。傾斜生産方式という政策のもとに、高度成長の時代までしゃにむに前進し続けたのである。 そんな時代には…
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連載10840回 「悲しむ」ということ <2>
(昨日のつづき) 西欧文化の根底には、悲願というものがない、と認めた上で、北森はこう続ける。 <けれどもエチモロジカル(根源的)に見ていくと、旧約にはちゃんとあるんですよ。「神の悲痛」と…
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連載10839回 「悲しむ」ということ <1>
『神の痛みの神学』の著者、北森嘉蔵がある雑誌のなかで、こういうことを言っている。増谷文雄、曽我量深との鼎談の席での発言である。1968年のことだ。 読んだとき、強い印象を受けた。10年ほどたって再…
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連載10838回 記憶の海の底から <5>
<b><span style=”font-size: 85%”>(昨日のつづき) ある時、編集者から昔のアルバムの写真を貸してもらえませんか、と言われて絶句した。 考え…
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連載10837回 記憶の海の底から <4>
(昨日のつづき) 加齢の不安の大きなものは、頭脳の衰えである。分析力とか総合力とかいったものよりも、いわゆるボケが気になるのが当然だ。 アルツハイマー病とまではいかないまでも、すべての面で知力…
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連載10836回 記憶の海の底から <3>
(昨日のつづき) あれは私が何歳ぐらいの頃のことだっただろうか。 当時、私たちは論山という町に住んでいた。母がその町の小学校の教師として働いていたのだ。父親は別な土地の学校教師として単身赴任し…
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連載10835回 記憶の海の底から <2>
(昨日のつづき) 人はいったい何歳ぐらいまで記憶の第一歩をたどれるものだろうか。 生れた時の産湯のタライの形を憶えているという人がいる。この世に誕生したその時からの記憶が保存されているというの…
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連載10834回 記憶の海の底から <1>
人間の記憶というのは不思議なものである。きのうまではっきり憶えていた事が、今日はなぜか思い出せない。 人名などが特にそうだ。 「ほら、あの人、えーと、なんで出てこないんだろう。顔や声まではっき…
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連載10833回 世相 遠眼鏡 虫眼鏡 <4>
(昨日のつづき) 服装の流行というものは、どれくらいの周期で変遷するものなのだろうか。 短い上衣、ピチピチの細いズボンは、もうずいぶん長く続いている。私が持っている70年代の服も、いつかまた使…
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連載10832回 世相 遠眼鏡 虫眼鏡 <3>
(昨日のつづき) 午後に目を覚ますと、ベッドの中でリモコンを使ってテレビをつける。 とりあえず1チャンネルのNHK。 この時間は国会中継をやっていることが多い。ぼんやりした頭でこれを見てい…
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連載10831回 世相 遠眼鏡 虫眼鏡 <2>
(昨日のつづき) 書店は現代人のオアシスである。 決まった本を購入するために書店を訪れることもあるが、目的なしに書店をのぞくことも多い。 展示してある近刊を手にとり、雑誌のページをめくり、…
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連載10830回 世相 遠めがね 虫めがね <1>
昨日からマスクをして外出することにしている。 私は子供の頃からマスクが嫌いだった。なんとなく正体不明の怪人になるような気がしていたのだ。しかし、このところマスクをしていないと周囲から警戒されそう…
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連載10829回 現代の「四苦」とは何か <5>
(昨日のつづき) 格言というものがある。昔から人びとの間で、言葉として言い伝えられてきた教訓である。かつては、それらの格言にしたがって生きていけば、まず大過なく生涯を過ごすことができた。 しか…
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連載10828回 現代の「四苦」とは何か <4>
(昨日のつづき) 民衆に現実から目をそむけさせて、日々の娯楽に熱中させることを「パンとサーカス」という。 「サーカス」にもいろいろある。オリンピックなど、本来の主旨はともかく、国際的なサーカスと…
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連載10827回 現代の「四苦」とは何か <3>
(昨日のつづき) これまで最大の話題だったのは、「老い」だったと言っていい。テレビも週刊誌も、老化について繰り返し特集を組んできた。 それが最近、死とか相続とかいったテーマに変ってきたのは、ど…
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連載10826回 現代の「四苦」とは何か <2>
(昨日のつづき) 四苦とは、いわゆる「生・病・老・死」の4つの宿命をいう。 しかし、これは人間一般の「苦」ではない。10代の若者たちにとっては、「老」も「死」も、はるか先の話だからだ。 し…