五木寛之 流されゆく日々
-

連載12281回 古い記憶の断片から <7>
(昨日のつづき) 民俗学者の宮本常一さんがどこかで、こんなことを書いていたのが断片的な記憶として残っている。 <農村を歩くと、村の家々から同じラジオの歌声が流れてくる>というのだ。その歌声は『三…
-

連載12280回 古い記憶の断片から <6>
(前回のつづき) 小学校(のちに国民学校となった)の低学年のころである。 母親と並んで庭に面した縁側で何か話をしていた。 ふと、母親が黙り込むと、しばらくしてぽつんと私にきいた。 「もし…
-

連載12279回 古い記憶の断片から <5>
(昨日のつづき) 記憶というのは不思議なものだ。 深刻な体験が必ずしも強く記憶にきざまれているとは限らない。逆になんでもないちょっとした記憶が、いつまでも消えずに残っていることもある。 自…
-

連載12278回 古い記憶の断片から <4>
(昨日のつづき) 敗戦後、まもなくソ連軍が平壌に進駐してきた。 それまで通用していた朝鮮銀行券にかわって、ソ連軍発行の軍票が流通するようになった。 簡単な紙にブルーがかった色で印刷された軍…
-

連載12277回 古い記憶の断片から <3>
(昨日のつづき) 戦時中の小学生が熱中した遊びの一つに、模型飛行機づくりがあった。 紙と木、それに竹ヒゴなどを使って、実際に飛ぶ飛行機を作るのである。 一本の木を胴体にしてプロペラをつけ、…
-

連載12276回 古い記憶の断片から <2>
(昨日のつづき) 昭和20年8月15日に、私たち一家は北朝鮮の平壌で敗戦を迎えた。 父親はそのとき教育召集とかで家にいなかったが、数日後に帰ってきた。 やがてソ連軍が進駐してくると、私たち…
-

連載12275回 古い記憶の断片から <1>
もう10年ほど前のことになる。 ある韓国人の作家と話をしていて戦前、戦中の韓国の話になった。彼は日本本土の生まれで、韓国での生活体験はない。 私は昭和7年の生まれだが、物心ついたときには韓国…
-

連載12274回 戦後の山村の生活 <5>
(昨日のつづき) 私は生後まもなく両親と共に内地を離れた。そして中学1年の時まで外地で暮した。 そして戦後、引揚げてきて本土ですごし今日にいたっている。私が13歳か、その辺の時期を、内地の都市…
-

連載12273回 戦後の山村の生活 <4>
(昨日のつづき) 父の実家にしばらくお世話になったあと、こんどは山ひとつ越えた母の実家に転り込んだ。 飛形山を越えた反対側の山村である。ここも村はずれの山中の小集落だった。 母が帰国前に亡…
-

連載12272回 戦後の山村の生活 <3>
(昨日のつづき) 飛形山の傾面に生い茂っている竹林の中で季節になると筍を掘る。 これはとても素人にはできない。下手をするとタケノコの本体を傷つけてしまうのだ。 地上に出ているのは3分の1か…
-

連載12271回 戦後の山村の生活 <2>
(昨日のつづき) 引揚げ後、両親の実家にお世話になった話は、これまでにも、この欄で何度も書いた。 戦後、農村も大変な時期だったはずだが、私たち家族を受け入れて面倒をみてくれたことには、心から感…
-

連載12270回 戦後の山村の生活 <1>
戦後も八十数年たつと、当時の世相も古い<むかし話>のように聞こえることがある。 私は敗戦後、外地から引揚げてきて、数年間を九州山地の集落で暮らす機会があった。 戦後まもなく母親を失い、子供3…
-

連載12269回 活字文学の末端で <4>
(昨日のつづき) 対談というのは、なんとなく気楽な仕事のように思われそうだが、そうではない。 ワキアイアイといった感じで話が進めばいいのだが、イントロのところでつまずくと取り返しのつかないこと…
-

連載12268回 活字文学の末端で <3>
(昨日のつづき) きょうは今年の「喋り始め」で、『婦人公論』の対談収録。 いわゆる雑誌の「対談」だ。 私が聴き役のインターヴューではないので、ダイヤローグとでもいうのだろうか、わが国のメデ…
-

連載12267回 活字文学の末端で <2>
(昨日のつづき) <活字文学>とは、奇妙なタイトルだが、それは私の個人的予感による表現だ。将来、活字によらない文芸、文学、文化の時代が到来するのではないかという突飛な予感をおぼえる時があるからである…
-

連載12266回 活字文学の末端で <1>
また新たな執筆生活が始った。 「新たな」といっても、昨年の続きである。 昨年の仕事は、その前の年の続き、というわけで、執筆生活は65年目にはいった。 執筆生活であって、執筆ではない。原稿用…
-

連載12265回 新しい年のデジャヴ <5>
(昨日のつづき) この冒頭の文句を<サクジツのつづき>とは、読まないで欲しい、というのが私のひそかな願いである。 <キノウの続き> という往年のラジオ関東の番組へのノスタルジーから引いたセリ…
-

連載12264回 新しい年のデジャヴ <4>
(昨日のつづき) デジャヴ(既視感)をおぼえるような出来事は、この10年の間にもしばしばあった。 しかし、かつて視た現実と重なり合う場面はあっても、やはり昔は昔、今は今である。 似ているか…
-

連載12263回 新しい年のデジャヴ <3>
(昨日のつづき) (déjà vu)というのは、一般に<既視感>と訳される。 前にそれを見たことがないにもかかわらず、以前にもなんだか見たことがあるような気がすることを言うらしい。 以前、『…
-

連載12262回 新しい年のデジャヴ <2>
(昨日のつづき) 職業作家には盆暮れも正月もない。 きょうも夕方、幻冬舎の相馬さんが最終原稿と直しゲラを取りに来訪。午後3時の約束を急遽、6時に延ばしてその間に原稿、あと書きなど10枚あまりを…
