ゴルフは本当に面白い!
-
王理恵さん(3)ゴルフには人生にも共通する大事なことが凝縮されている
7年前にゴルフを再開して父(王貞治氏)たちと夫婦同士4人でゴルフをするようにもなりました。夫は野球少年でもあったので、父とは話が合うようです。私たちは3姉妹だったので父は息子が欲しかったようですし、…
-
王理恵さん(2)ゴルフを通じて、父も主人との結婚に賛成してくれた
大学時代に女性ファッション誌「JJ」(光文社)主催のゴルフ大会「キャンパスクラシック」で優勝しました。 すごい賞品をいただいて、持って帰ったら父(王貞治氏)がすごく喜んでくれました。その後、…
-
王理恵さん(1)荒川博さんに教わり、2年ぐらいで90台が出るようになりました
ゴルフを始めたのは、青山学院大に入学した時です。中学、高校とバレーボールをしていたのですが、大学入学と同時にゴルフサークルに入ったからです。そもそもゴルフは子供のころから身近な存在。父(ソフトバンク…
-
瀬古利彦さん(4)ウエッジで寄せてパーを決める「3打目の瀬古利彦」です
14本のクラブの中で、以前は7番アイアンが好きでした。自信を持って打てたのでボールもピンに寄っていく。ホールインワンも7番アイアンでした。 北海道には1990年に起きたエスビー陸上部員交通事…
-
瀬古利彦さん(3)ケニアではフォアキャディー3人がボールを打つたびにワーッと走り出す
海外でもよくゴルフをしました。 ■マラソン合宿の合間に世界各地でプレー ハワイのホノルルマラソンに応援に行った時です。レースが終わった翌日に、帰国まで時間があったので友人と一緒にコオリ…
-
瀬古利彦さん(2)円楽師匠と一緒にプレーするとキャディーさんがわざと間違えちゃったり
1985年に恩師の中村清監督が亡くなってからは、ちょくちょく三重の田舎に帰るようになり、親父や兄貴たちとゴルフをする機会がありました。 でもその頃は現役マラソン選手でしたから、本格的にゴルフ…
-
瀬古利彦さん(1)コースデビューはスコア95。天才だと思いました
ゴルフクラブを初めて握ったのは高校1年生の時。親父がゴルフ好きで、「おまえも来なさい」って言われ、打ちっ放しの練習場に行った時が最初ですね。中学までは陸上と野球の毎日でしたから、日曜日は試合と練習が…
-
諸星裕さん(4)エースを初達成した同じコース、同じホールで2週間後に2度目の驚き
ホールインワンは7回あります。最初は1982年5月12日にミネソタ州のワピカダGCでした。 この時、一緒にプレーした妻、雅子から、「私、見てなかったからダメ」と言われました。傑作でしょう? …
-
諸星裕さん(3)日本男子ツアーには発足から14年間携わりました
ゴルフ業界の仕事を最初にしたのは1991年でした。それまではあくまでも放送局の仕事です。 この時、僕が依頼されたのは、旭硝子ゴルフ世界選手権に終止符を打つ交渉でした。 冠スポンサーや…
-
諸星裕さん(2)岡本綾子がメジャーでプレーオフを戦った時には仕事で現地に
1975年にアメリカに戻りユタ州立大学博士課程に入学し、翌年修了。 77年からミネソタ州立セントクラウド大学で助教授になりました。大学はミネアポリス・セントポール北西の都市セントクラウドにあ…
-
諸星裕さん(1)大学のゴルフ場で初めてプレーした時は月1回50円でした
初めてゴルフクラブを手にしたのは、ICU(国際基督教大学)の学生だった頃ですね。大学がゴルフ場を持っていたので、ゴルフ部のヤツに教わってプレーしていました。 学生は月1回、50円でプレーでき…
-
師岡正雄さん(4)中畑清さん&篠塚和典さんのアドバイスから開眼
大魔神(佐々木主浩氏)やゴジラ(松井秀喜氏)との思い出に残るゴルフもありますが、他にも多くのプロ野球OBとラウンドさせていただきました。 徳光和夫さんのコンペでは中畑清さんと回り、「アプロー…
-
師岡正雄さん(3)松井秀喜選手とのゴルフで肝を冷やした「寝坊」事件
1996年はサッカー中継の合間を縫って、3カ月間、大リーグの取材にも行きました。ドジャースの野茂英雄投手の取材です。 98年のサッカー・フランスW杯の取材から帰ると、野球専任となりました。ヤ…
-
師岡正雄さん(2)「カミさんの両親とゴルフをするようになり熱が入りました」
KBC九州朝日放送に入社して10年目。福岡ダイエーホークスの試合実況が続く中で、漠然と「日本中が注目するような試合で仕事がしたい」という気持ちが膨らんできていました。 後輩アナウンサーから、…
-
師岡正雄さん(1)男子ツアーのラジオ中継中、選手から「そこ、うるさいよ」と叱られた
ゴルフとの縁はKBC九州朝日放送に入社して3年目に、男子ツアー「KBCオーガスタ」のラジオ中継でラウンドリポーターをした時に始まります。 パー3のグリーンサイドにいて実況席のMCから振られた…
-
中原まことさん(4)ゴルフは一日をより楽しむため、人生を楽しむためにある
ホールインワンは2回あります。1度目は15年ぐらい前に、メンバーコースのサンヒルズCC(栃木)で行われた月例競技の時です。 ピンはグリーンの真ん中やや左。無愛想なキャディーが「ピン狙っちゃダ…
-
中原まことさん(3)全英会場カーヌスティの18番をボギーで上がり「アイム・ア・チャンピオン」
メジャー取材は“グランドスラム”を達成しています。その中で感じたのは、取材(インタビュー)がメチャメチャシビアだな、ということでした。 メジャーでは日本でありがちな“チョーチン記事”を書く気…
-
中原まことさん(2)「締め切りに追われて、ゴルフ練習もラウンドも思い通りにできません」
週刊ゴルフダイジェストで、1989年から漫画原作を始めます。大原一歩名義の「千里の道も」です。 当時、漫画を掲載するゴルフ雑誌がなかったので、編集長の強い意向があってのことです。 梶…
-
中原まことさん(1)ゴルフデビューは30歳の時の漫画原作がきっかけ
ゴルフ漫画の原作を書いてみないか、と言われたのがきっかけで、ゴルフとの縁が深くなりました。 27歳でアテもなく脱サラしたときには、すでに2人の子供がいたので、塾講師をしながら漫画の原作を書い…
-
マギー審司さん(4)芸人ですからゴルフ場でもボケたくなります
手品師は芸人ですから、ゴルフに行ってもすぐにボケたくなるんです。グリーン上で、僕の持ちネタの(でっかくなっちゃった~で使う)耳をマークに使って、怒られたこともあります(笑)。 ティーショット…