保阪正康 日本史縦横無尽
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兵士の食事は定量の1割で戦った 6日間絶食の部隊もあった
参謀本部作戦部は、昭和18年1月下旬をガダルカナルの再攻撃開始と想定し、それまでに兵力を増強するとか、兵員や軍需品を輸送するとか、計画だけは立てている。制海権、制空権が確保されているなら、補給も行わ…
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できもしない奪回計画を論じている間に兵士が犠牲になった
しかし第17軍は、参謀本部には現在の兵力をさらに増強して攻撃の準備をしたい、第38師団の主力を強行上陸させたい、といった内容を打電している。それを受けて大本営作戦部長の発した電文は、速やかに準備を整…
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日本軍は連隊長、大隊長までが死に攻撃どころではなかった
第2師団の主力は10月22日から一斉に攻撃を仕掛ける予定になっていた。川口支隊までの奪回作戦は奇襲的な夜間攻撃を軸にと考えて行ったが、そうではなく一般的な陣地奪回作戦が有効と判断した。 だが…
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参謀本部は傍受する敵のラジオ放送を都合よく解釈した
ガダルカナル戦の推移は極めてわかりやすい構図で進んだ。日本側がアメリカ軍の上陸戦力を読み違えて、対応する兵力を間に合わせのような状態で送ったのである。言い方を変えれば、アメリカ軍の上陸戦力が10なの…
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アメリカ軍はマイクを仕掛けて日本兵に爆弾を落とした
参謀総長の杉山元は、ガダルカナル島上陸のアメリカ軍を全く相手にしない口調でラバウルの第17軍司令部に命令書を送っている。ガ島上陸の「敵を攻略」して飛行場を奪回せよ、それには一木支隊で十分という内容だ…
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ガダルカナル戦で日本兵2500人が一夜にして全滅した理由
太平洋戦争の第2期ともいうべき昭和17年6月から翌18年4月までの間は、「挫折」の期間といえるだろう。そのつまずきの第一歩はミッドウェー海戦であり、続いての負け戦はガダルカナル戦であった。 …
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全艦沈没。山口多聞、加来止男とともに飛龍は海中に消えた
日本海軍の空母4隻はいずれも急降下爆撃を受けた。空母は見張り役が四方に目を光らせているが、彼らが「急降下編隊、真上」と言った時にはもう防御の手段はなかった。 雷撃隊用に兵装を変えていたので、…
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「運命の5分間」で日本の空母4隻は燃えさかる地獄となった
淵田美津雄が「運命の5分間」という表現を使ったのには意味がある。南雲艦隊の空母4隻がアメリカ軍の艦隊への攻撃からミッドウェー基地攻撃へ、そして再び艦隊攻撃へと兵装を戻す作業が「赤城」の場合はあと5分…
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アメリカ海軍の主力が日本の空母が来るのを待ち構えていた
南雲部隊の空母では第2次攻撃隊が、アメリカの艦隊との決戦に備えての兵装を進めていたが、索敵機からの電報がないためミッドウェー島の基地を叩く陸上攻撃用に兵装を変えた。艦隊はいないと判断しての処置だった…
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ミッドウェー島への第2次攻撃を準備中に敵機動部隊を発見
ミッドウェー海戦時の日本とアメリカの海軍の質と量を比較すると、圧倒的に日本が優勢であった。「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の正規の航空母艦を軸にした日本の機動部隊に対し、アメリカ海軍は「エンタープラ…
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米国は暗号解読で日本軍がミッドウェーに来ると読んでいた
山本に示された作戦計画は、連合艦隊の首席参謀である黒島亀人が中心になり、参謀総員でまとめられた。いわば山本の子飼いの参謀たちの戦略ともいえた。作戦計画の骨子は、第1にミッドウェー島を攻撃して占領し、…
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ミッドウェー海戦と山本五十六の戦死で「挫折」を迎えた
太平洋戦争の第1段階である「勝利」の期間について、個別にいくつかの史実を見てきた。結論風に言えることは、軍事が軸になって、政治が機能していない点にあった。講和を模索することなど考えてもいない。そして…
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米軍の爆撃機16機に50人を殺されたドウリットル作戦の衝撃
開戦から4カ月後、昭和17年4月18日のことだが、日本社会は初めて戦争の現実に触れることになった。アメリカ軍の決死隊によって、東京を中心とする一帯が爆撃を受けたのである。日本本土にアメリカ軍の飛行機…
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司令官だった山下奉文の「イエスかノーか」伝説に残る疑惑
太平洋戦争の期間は3年8カ月だったが、その第1段階の「勝利」の期間の軍事行動にも触れておこう。陸軍のマレー上陸作戦を主導したのは山下奉文を司令官とする第25軍で、その隷下には第5師団、第18師団、そ…
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史実が浮かび上がらせる 開戦の通告が遅れた5つの問題点
通告なしに軍事攻撃を行ったことで結果的に日本の立場は著しく弱まった。この不始末はアメリカ側に徹底的に利用された。「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」が合言葉になり、それは現在まで続いて…
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ハルは日本の外交文書の内容を知らないような演技をした
太平洋戦争を5段階に分けて考え、その最初の「勝利の時期」にどのような史実があったのかを語っているのだが、ここでワシントンの日本大使館の通告がなぜ遅れたのかを説明しておこう。松岡洋右が近衛内閣で外相に…
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7日午前7時、14回目の電報で日本大使館は混乱状態に陥った
山本五十六が隷下の機動部隊が真珠湾攻撃を始めた時にまず案じたのは、ワシントンの日本大使館が外交断絶の文書を事前にアメリカの国務省に手渡しているだろうかということだった。それを部下の政務担当参謀に執拗…
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山本五十六は真珠湾攻撃が「だまし討ち」になるのを恐れた
連合艦隊司令長官の山本五十六は、この日(12月8日)は旗艦・長門の長官室で参謀たちからの報告を聞く一方で、自らのこれからの処し方を考えていた。 真珠湾への先制攻撃自体は成功しているが、さらに…
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吉田茂は姑息な「ハル・ノート」のカラクリを見抜いていた
有田八郎や吉田茂ら外交畑の要人は、軍部に徹底した不信感を持っていた。従って開戦の契機になった「ハル・ノート」についても、軍事の側の訳文に不信感をあらわにしていた。開戦前、軍部はひたすら「アメリカ側か…
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米内光政のグループは「軍事的勝利ありえない」で一致した
太平洋戦争は外交が軍事に屈服した結果であった。外交の当事者たちは挫折感、敗北感に打ちひしがれていた。開戦に踏み切るまでにもっと有効な手立てはなかったのか、それが昭和10年代を担った外務省関係のスタッ…