保阪正康 日本史縦横無尽
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東條内閣の誕生により新聞はアメリカに嫌悪感を表し始めた
ともかくも10月17日に東條内閣は誕生し、およそ50日後に太平洋戦争が始まったことになる。そのことは首相に推されるにあたって求められた天皇からの3条件を東條が果たせなかったことを意味する。 …
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東條は天皇の組閣命令を聞いて興奮のあまり足を震わせた
木戸の言はすぐさま反発を呼んだ。東條の二枚舌を知らず、強硬派の軍事指導者に政権を委ねるというのでは、日本は戦争の道を歩む方針を内外に公然と明らかにしたことになる。実際、海外に戦争のシグナルを送ったこ…
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天皇と近衛首相に逆の意思伝える 二枚舌を使った東條陸相
ここで改めて、なぜ強硬派の東條が首相になったのか、そのことを確認しておく必要がある。歴史が教訓の宝庫という意味は、この不思議な人事が結局、この国のもっとも大きな反省材料になっていることだ。そこを理解…
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「清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要」と東條は言った
東條陸相と近衛首相の対立は、単に外交か軍事かという衝突ではなかった。10月10日の近衛の私邸での四者会談以後、2人は極めて感情的に意見をぶつけ合った。14日の閣議では、近衛は「支那撤兵」を懇願の形で…
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東條陸相の「矛盾した論法」に近衛首相は反論できなかった
東條陸相は、近衛首相と豊田外相、それに及川海相の説得に反論している。その論法は次のようなものだった。 「外交交渉をまとめる確信があるなら、戦争準備はやめる。しかし確信がなければ、やめるわけには…
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昭和天皇は東條英機を使って戦争を回避しようとした
対米英蘭戦争は実際にはこの9人で決まったという事実を私たちは忘れてはいけない。本来なら首相と陸相の2役をかけるほどのんびりした時代ではない。東條が陸相を他の誰かに譲るのが筋だと思うが、この軍人が主要…
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太平洋戦争のプロセス 軍人による軍人のための戦争だった
あえて触れておかなければならないのが前述の2点を挙げた項目の2点目である。戦争政策は誰が決めたのかという一点である。 天皇が臨席しての御前会議というのが建前になっている。しかし果たしてそう断…
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御前会議 軍事指導者たちは昭和天皇に二枚舌を使った
昭和天皇は9月6日の御前会議で戦争を前面に出す政策に公然と反対した。この時に明治天皇の日露戦争時の御製を2度も口にしたのは異様なことだった。普通、天皇はこの会議で口を開くことはまったくなかったからだ…
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昭和天皇は御前会議の最後に明治天皇の御製を2度諳んじた
近衛首相が昭和天皇の前に進み出て、翌日の御前会議でどのような内容を話し合うかを説明すると、天皇はすぐに苛立ちを示した。というのは近衛の持参した「帝国国策遂行要領」草案にはこれから採るべき日本の選択肢…
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陸軍も海軍も統帥部はすぐにでも戦争を始めようとした
9月3日の政府大本営連絡会議は7月2日の御前会議で決まった「帝国国策要綱」をどのように変えるかの会議であった。3日後の6日の御前会議で政治、軍事指導者はどのような決定を天皇に示すべきか。その最終調整…
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メンツ重視の軍官僚は「対米英蘭戦」の言葉いじりに陥った
軍事指導部の軍人たちは正面きって対米戦を主張せず、極めて狡猾な言い方を試みた。7月2日の御前会議で南部仏印進駐が決まった折、帝国国策要綱には「対英米戦を辞せず」の方針で軍事行動を起こすと明記されてい…
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ルーズベルトとハルの態度の違いに東條らは苛立ちを強めた
対米戦強硬派は何を根拠にアメリカとの戦争を望むのか。2つの理由を挙げればいいであろう。 ひとつはメンツである。陸軍と海軍の強硬グループは、自分たちの存在を誇示するために常に強硬論を吐く。実際…
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米国は日本の暗号電報を読み戦争に持ち込もうとした
ルーズベルトとチャーチルの思惑は、ナチスドイツがヨーロッパを軍事的に席巻している状態をひっくり返すために、アメリカがイギリスをはじめとする連合国側について参戦することだった。ルーズベルトや国務長官の…
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アメリカとイギリスは首脳会談を行い日本の一撃を待った
実は天皇は近衛からルーズベルトとの首脳会談について報告を受けた時に、賛意を示している。南部仏印進駐とそれに対する報復に天皇は困惑していた。石油が入ってこないという状況によって、海軍をして対米戦に傾く…
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元高級課員・石井秋穂に聞いた東条英機の本音と近衛観
近衛が提案した日米の首脳会談について、近衛自身は海相の及川古志郎と陸相の東條に一応は相談している。及川は全面的に賛成と答えたが、東條は「即答できない。陸軍省に持ち帰って検討してみたい」と答えた。近衛…
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軍人たちは原因と結果を考えずヒステリックに叫んでいた
奇妙な言い方だが、軍人たちは原因と結果について重大な考え違いをしていた。この頃の軍人の発想はまるで児戯にも似た面があった。 わかりやすい言い方をすれば、子供(A)が子供(B)を殴ったと仮定し…
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近衛は米国の怒りを鎮めようとしたが、東條は返事を濁した
なぜ軍事指導者は状況を見誤ったのか。自分たちが戦争覚悟で南部仏印に出て行っても、アメリカは戦争までは決意しないだろうと一方的に決めつけていたからである。ところが現実に南部仏印への進駐を始めると、ホワ…
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石油の全面禁輸はない…日本の軍事指導者は甘く考えていた
日本はドイツがソ連に侵攻してほぼ1カ月後に南部仏印に進駐した。ドイツの力を借りて東南アジアでのフランスの政治権力を出し抜き、南方への資源確保を目指す動きなのは明らかであった。もっとも、日本側はナチス…
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ハル国務長官と野村大使による外交交渉で行き違いが明確に
太平洋戦争の原因として最も短期的な見方をした場合、昭和16年6月22日のドイツによるソ連領への侵攻と考えることができる。ドイツがヨーロッパを席巻し、あまつさえソ連にまで勢力圏を拡大しようとするのを見…
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陸軍参謀本部は「北進論」陸軍省と海軍は「南進論」を主張
この頃の国策は軍事が中心になっていた。昭和12(1937)年7月からの日中戦争が一向に解決せず、「聖戦」の名の下で国民に負担を強いているがゆえであった。政治は軍事に振り回されてほとんど力を失っていた…
 
