巷説 立川談志水滸伝
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(7)小さんは抱える、圓生は切る、談志は壊す
柳家小さん──。 “この師匠でなければとっくに破門になっている” 談志は常々そう口にしていた。 事実、この関係は普通なら成り立たない。落語史どころか、芸能史においてもきわめて…
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(6)談志は恵まれた新人タレント議員だったが、“プッツン”を露呈し一期六年で終わった
談志は石原慎太郎を通じて弟の裕次郎とも親しかった。裕次郎は日活に反抗して失踪事件を起こしたり、五社協定を破って石原プロ設立を強行したり、さまざまに世間を騒がせた。 慎太郎は「弟」と題した本で…
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(5)自ら立ち上げた「笑点」を去る…初代司会だったが、居心地のいい場所とはいえなかった
“輝ける昭和の象徴”と信じられていた東京オリンピック。その翌年の一九六五年に「金曜夜席」(日本テレビ系列)が始まった。この番組で談志考案の“大喜利”が披露され、六六年スタートの驚異的な長寿番組「笑点…
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(4)三十六人抜きで真打ちに昇進した志ん朝には、実力・血・系統がすべてそろっていた
「志ん朝に不幸があるとすれば、ライヴァルがいないことであった。自称ライヴァルはいたが、真のライヴァルはいなかった」(「名人志ん生、そして志ん朝」小林信彦) この“自称ライヴァル”が談志を指すこ…
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(3)焼け野原に建てられた新宿末広亭 戦争で壊滅した寄席が復活
九歳で敗戦を迎え、十六歳で落語界に飛び込むことになる立川談志。 ただし戦争明けの落語界は危機的状態にあった。寄席もホールも空襲で焼け、芸人たちは仕事を失った。 たとえば、古今亭志ん生…
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(2)負けず嫌いで皮肉なガキ “婉曲の笑い”と“残酷な笑い”のルーツ
のちに立川流顧問をつとめ、談志に“兄さん”と慕われた色川武大は、一九六九年から阿佐田哲也の名義で「麻雀放浪記」を書き始めた。 この作品は“坊や哲”すなわち色川自身の体験をもとにした壮絶な博打…
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(1)「大体お前さんも俺も一匹狼なんだ…あばよ、さよなら、談志師匠」石原慎太郎は弔辞をこう結んだ
「俺さまは立川談志だ。落語とは俺だ!」 この厄介な男の登場で落語界は揺れに揺れ、おかげで“落語”は“能”になることを免れた。伝統に依存せず、破壊と再生に身を削った噺家、立川談志。その荒々しく生…
