本郷史観 日本を変えた傑物たち
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上杉謙信(5)晩年に「義」の世界に気づいた
なぜ謙信は関東ではなく北陸を選んだのでしょうか。 第1に、北条氏康という強敵の存在があります。関東では、政治力にも軍事力にも優れた氏康が立ちはだかっていました。これに対し、当時の北陸には北条…
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上杉謙信(4)北陸に進出し、亡くなった時「蔵にはカネがうなっていた」
謙信の進路を大きく変えた出来事が、永禄3(1560)年の桶狭間の戦いでした。今川義元が討ち死にすると、武田・北条・今川の三国同盟は崩れ始めます。この変化をもっとも巧みに利用したのが武田信玄でした。信…
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上杉謙信(3)配下が何度も反旗 権威だけでは戦国武士を統率できなかった
関東の武士たちは、なぜ謙信に従い続けなかったのでしょうか。その実態を考えるうえで興味深いのが、上野国の厩橋城を任された北条高広の存在です。高広はもともと越後の有力国人で、謙信から厚く信任されていまし…
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上杉謙信(2)古い秩序を信じ関東管領という権威に期待した現実とのズレ
景虎(謙信)が武田信玄と戦った理由は理解できます。しかし、それならば関東への遠征は控え、北信濃の防衛に専念する方が合理的だったはずです。それにもかかわらず、景虎はたびたび三国峠を越えて関東へ兵を進め…
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上杉謙信(1)「義を重んじる武将」は本当だったのか
上杉謙信というと、「義」を重んじる武将という印象が強いでしょう。私利私欲では動かず、領土をむやみに広げようともしない。関東へ何度も遠征しながら自国を拡大せず、生涯独身を貫いた人物として知られています…
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宮本武蔵(5)武蔵の養子・宮本伊織が異例の出世をとげた理由
宮本武蔵を考えるうえで、解けない謎がひとつあります。もう一人の養子である宮本伊織の異例の出世です。伊織は15歳で小笠原忠真に仕官しました。そして20歳で家老となり、やがて4000石の筆頭家老にまで昇…
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宮本武蔵(4)なぜ仕官しなかったのか
巌流島の決闘によって、宮本武蔵の名声は大いに高まったと思われます。しかし不思議なのは、その後も彼がどこかの大名家に本格的に仕官した形跡が見えないことです。 戦国時代であれば話は簡単でした。腕…
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宮本武蔵(3)「巌流島の決闘」も後世の創作に大きく彩られた
宮本武蔵といえば、多くの人が真っ先に思い浮かべるのが巌流島の決闘でしょう。しかし、この決闘もまた後世の創作によって大きく彩られています。 関ケ原の戦いの後、武蔵の旧主、黒田長政は博多に国替え…
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宮本武蔵(2)父・新免無二は十手術の達人だった
前回は、私たちがよく知る「宮本武蔵」と、史料の中に現れる「新免武蔵玄信」との間に少なからぬ違いがあることを紹介しました。今回は武蔵の出自について考えてみたいと思います。 武蔵の父は新免無二と…
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宮本武蔵(1)吉川英治の小説は史実とはかなり違う
歴史上の人物で「大スター」といえば、坂本龍馬や織田信長の名が真っ先に挙がるでしょう。 信長はよくわかります。彼が出現したからこそ、長く続いた戦国乱世は終わりを迎え、平和な江戸時代がやってきた…
