小早川秀秋(1)豊臣秀吉の甥 名門・小早川家の養子に
関ケ原で裏切りを断行し、徳川家康の勝利を決定づけた人物として、小早川秀秋はあまりにも有名です。そこで彼の真実の姿を見ていきたいのですが、その前にまず、小早川という家そのものの歴史や、養父・小早川隆景について見ておきましょう。
秀秋といえば、司馬遼太郎先生の「豊臣家の人々」に描かれた人物像が、私たちに強い影響を与えているように思います。一言で言えば、「蝶よ花よ」と甘やかされたボンクラです。
作中では、小早川隆景が悲壮な決意を固めます。毛利家当主の毛利輝元になかなか子が生まれないところへ、豊臣秀吉が甥の秀秋を養子に押しつけようとする。毛利家は鎌倉以来の名門だから、どこの馬の骨とも分からぬ秀秋に継がせるわけにはいかない。ならば同じく名門である小早川家が犠牲になろう、という筋立てです。
しかし改めて考えると、「小早川」という呼称は少し変わっています。普通、武士の家名は「一所懸命の地」というように土地の名に由来しますが、小早川という土地は聞いたことがありません。早川ならばあります。現在の神奈川県小田原市あたりに早川荘があり、小早川氏はそこから出ています。

















