飯島愛
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(20)「わたしがもらってもいいんでしょうか?」流行語大賞授賞式で、愛は表彰状をもらいながら戸惑っていた
普段はどんな大物芸能人の前でも物おじしない飯島愛が、このときばかりは申し訳なさそうにしていた。 2000年暮れ、「新語流行語大賞」のトップ10に、飯島愛の「ワタシ(私)的には…」が選ばれたのである。 2000年といえ...
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(19)野田は愛の芸能界入りを指南 「おまえはハンディ10ぐらいあるんだから。とりあえず新聞読め!」
「(飯島愛は)すごく頭のいい子。うん。AVのころはいろいろあったけど、こっちの業界(芸能界)に入ってきたとき、いろいろ話したんです。飯島愛が芸能界に転じようといろんな関係者に相談したら、どうも意に沿わない。それでおれのところに相談しに...
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(18)芸能界転身を熱望していた愛は、細川ふみえをブレークさせたイエローキャブの野田社長を頼った
「野田さん、わたし、芸能界で仕事していきたいんだけど」 飯島愛が深夜番組ギルガメッシュないとで知り合った野田義治に相談してきた。 90年代前半、野田義治はイエローキャブというプロダクションを率いてきた。 最初...
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(17)陸上自衛隊の駐屯地、東大の学園祭、飯島愛の行くところはどこでも異様な熱気に包まれた
飯島愛がテレビでTバックを見せるたびに、ビデオレンタル店の飯島愛出演作は貸し出しがつづいた。 ついには歌手デビューまで果たす。 「ナイショDEアイ!アイ!」(作詞作曲:Bro.KORN)。 1993年初夏、この...
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(16)飯島愛の出演料は1本500万円 AV出演期間2年で“本番”したのは3本だけ
飯島愛のAV出演期間は2年にも満たなかったが、人々に鮮烈な印象を残した。 借金返済が出演動機だったから、撮影現場では早く撮り終わることが肝心で、常に撮影終了時間は夕方5時だった。 「そんなシーン、いらないよ。どうせ早送...
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(15)1992年AV界に旋風が起きた! クリスタル映像が最も多くの飯島愛作品をリリース
「飯島愛主演作品は業界全体で30タイトルあって、そのうちの20タイトルはうちから出たものでした」 西村忠治クリスタル映像代表取締役が証言した。 飯島愛作品をもっとも多くリリースしたのが、後発のクリスタル映像だった。 ...
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(14)伝説のお色気深夜番組「ギルガメッシュないと」で“Tバックの女王”としてブレーク
飯島愛の人気が爆発したのは、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)に出演したときからだった。 1991年10月5日から放送開始された同番組は、岩本恭生司会による情報番組としてスタートした。 翌年92年1月、...
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(13)愛は「まとまったお金がほしいんです」と打ち明けた 毎夜遊び過ぎて借金がある様子だった
1991年秋、クリスタル映像は厳しい経営状況にあった。 いままで二人三脚でやってきた村西とおる監督が3年前に離脱し、新たにダイヤモンド映像を設立した。時はバブル時代全盛期である。 いかにもバブルを象徴したかのような社...
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(12)村西とおる監督とたもとを分かったクリスタル映像の西村社長の前に現れた美少女
「歴史に“もしも”はないけれど、村西監督と私が別れずに一緒にやってたら、業界のシェア50%くらいとっていたかもしれない」 レンタル系AVメーカーのトップを走るクリスタル映像の西村忠治代表が証言した。 当初はうまくいって...
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(10)事務所から勧められた“豊胸手術”に成功…「化粧がうまくいったときのような誇らしさだけがあった」
体内に注入される透明な食塩水の固まりを、医師が見せると、もうすぐ19歳になる彼女はうなずいた。 手術の同意書にサインしてベッドに横たわる。 医師に言われるまま、1からゆっくり数えていく。 「1、2、3・・・・」...
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(9)「チャンスだと思ってやってみなよ!」18歳の飯島愛をAVにスカウトした人気女優
1991年夏。 18歳の飯島愛にAVデビューの話が持ち上がった。 スカウトのきっかけは、ある人気AV女優からの出演交渉だった。 飯島愛の自叙伝「プラトニック・セックス」(小学館/2000年)では吉村理沙という名...
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(8)「荒れた過去」がマスコミのネタにされる恐れがあったので先手を打って自著で打ち明けた
噂をはるかに超える、ローティーン時代の無軌道ぶりだった。 飯島愛の自叙伝「プラトニック・セックス」(小学館/2000年)で、本人みずから無名時代の性体験、ドラッグ、性病、窃盗、暴行などを打ち明けている。 中学2年のと...
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(7)無軌道なティーンの頃、シンナー吸引してセックス…1日に何回できるかチャレンジしたら11回に達した
<ご飯を食べない日はあっても、セックスをしない日はなかった。> 「プラトニック・セックス」(飯島愛/小学館/2000年) Tバッククイーンの異名をもち、絶大な人気を誇った飯島愛の自叙伝には、ローティーン時代の無軌道な日々...
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(6)厳格すぎる家庭で育った愛は「中学生になったら絶対家出する」と心に誓っていた
<私は、ただほめてもらいたかった。 父に、母に、一言「がんばったね」といってもらいたかった。> 「プラトニック・セックス」飯島愛/小学館2000年11月刊。 発売と同時に話題を呼び、ミリオンセラーとなり、累計部数...
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(5)AV業界の隠語になった「飯島ル」に異を唱えた男優がいた
1992年、飯島愛主演作品が有力メーカーから相次ぎリリースされた。 各メーカーのその年の売り上げナンバーワン作品は、すべて飯島愛主演だった。 業界では、我が物顔で振る舞う飯島愛を”飯島ル”と呼んだ。 撮影が押...
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(4)AV業界では一時期「飯島ル」という隠語が存在していたが…
飯島ル。 一時期(1992~93年)、AV業界では、「飯島ル」という隠語がはやった。 飯島ルとは、撮影現場でわがまま放題の行為に及ぶことを意味する。 AV撮影では、主演女優をより可愛く、セクシーに、過激に撮る...
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(3)巨匠・篠山紀信を相手に、堂々と被写体に…物おじしない強さがあった
インタビューの最中、飯島愛はある言葉をたびたび口にした。 「昔はカジュアルだったんだけど、いまは好きな人とじゃないと絶対アカンですわ」 「(女子高生売春について)いまは学校に通いながら親バレせずに、カジュアルにこういうふ...
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(2)「いろいろあったけど、本当に好きになったのはふたりくらいしかいない」
Tバックの女王は夏カゼで顔色がすぐれず、鼻をクシュクシュさせていた。 1996年七夕の午後。 「VIEWS」という講談社から発行された総合誌の巻頭グラビアとインタビューに飯島愛が登場した。 AV女優からTバック...
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(1)2008年、36歳の若さで夭逝した飯島愛の人生を描く新連載がスタート
「いまはもう恋人とじゃないと嫌ですね。もうなんでこんな地味な女になったんだろう。昔はカジュアルだったんだけど、いまは好きな人とじゃないと絶対アカンですわ。昔はワンナイトラブみたいなのもあったし、酔っぱらったりしてましたから、とにかく惚...