語り部の経営者たち
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キューサイ 神戸聡社長<7>社長は一方的に話さず対話が大切
神戸氏が社内で心掛けているのは社員との対話だという。 「何かあれば入ってきてくれと、社長室のドアはいつも開けています。ただ、そうは言ってもなかなか難しい。そこで初年度は定期的に交流会を開き、ア…
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キューサイ 神戸聡社長<6>高い知名度を誇る商品名を捨てた
1990年代、「まず~い、もう一杯!」というCMのフレーズで全国的に有名になった青汁。そのインパクトもありキューサイには「青汁だけの会社」というイメージが定着した。競合他社との差別化を図るためとはい…
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キューサイ 神戸聡社長<5>商品名「青汁」の変更を模索
入社時の役職は通販統括部長(執行役員)。当時、キューサイの商品はテレビやインフォマーシャルでの通信販売が中心だったが、健康食品市場の成熟による競合他社の台頭もあって売り上げが伸び悩んでいた。神戸氏は…
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キューサイ 神戸聡社長<4>循環型農業に取り組むために転職
ドクターズコスメという新しい価値観を通して社会に貢献する。その志を胸に化粧品会社に入社し、マーケティングを中心に10年以上にわたって仕事に取り組んできた神戸氏。そこへ大きな転機が訪れた。 「4…
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キューサイ 神戸聡社長<3>「君の仕事は虚業」と言われた
神戸氏が大学進学の受験勉強を始めた頃、神戸家はまた引っ越すことになった。父親のリタイアにともない、母親の地元である愛知県に移ることになったのである。幼い頃と違って東京の生活に慣れていた神戸氏は、自分…
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キューサイ 神戸聡社長<2>育った家庭のユニークなルール
神戸氏の少年時代、神戸家には一つのルールがあった。子どもは欲しいもの、やりたいことがあったら、なぜ必要なのかを父親にプレゼンテーションしてその権利を得るというものだ。 「普段のお小遣いは少なめ…
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キューサイ 神戸聡社長<1>看板商品から「青汁」抹消を決断
キューサイといえば青汁の会社。そう思う方が多いのではないだろうか。しかし、この1月からキューサイ株式会社は看板商品「ケール青汁」のブランド名を「THE KALE(ザ・ケール)」に変更した。キューサイ…
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山下PMC 川原秀仁社長<4>「北海道ボールパーク」手がける
川原秀仁が、大手設計事務所「山下設計」の設計部隊から、設立されたばかりの子会社「山下PMC」に転籍したのは1998年1月。創業メンバーとなる。 待っていた仕事は、日立マクセル(現在のマクセル…
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山下PMC 川原秀仁社長<3>旧築地市場の仮設棟建設で大失敗
1991年4月、川原秀仁は農用地開発公団(当時)から山下設計に転職する。31歳だった。山下設計は当時から大手設計事務所で、現在、技術者464人を抱える。 「転職理由は、家業の川原工務店を将来継…
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山下PMC 川原秀仁社長<2>DJとイラストのバイトで月60万円
「受験だけの生活でいいのだろうか……。本田宗一郎さんのように、技術で人を幸せにしたいのに」 唐津東高校に通いながらも、川原秀仁は迷い続けていた。現役合格するが、大学には行かず「(地元で)サーフ…
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山下PMC 川原秀仁社長<1>本田宗一郎の生きざまから学んだ
それは1967年の年末。当時、小学2年生だった川原秀仁は、映画「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」を、地元唐津市の映画館に見に行く。だが、秀仁少年の心を打ったのは「ゴジラ」や「ミニラ」ではなく、「映画ニュ…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<4>「知る人ぞ知る」から脱却
2001年、藤舘は岩手ワインを代表するワイナリー「エーデルワイン」に常務として入社する。 「売り方を知らない会社だな」 それが、藤舘の第一印象だった。社員は農家上がりの者ばかりで、経費…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<3>ワイン浸りだった介護生活
エーデルワインは、岩手ワインを代表するワイナリーである。 同社に入社する前の藤舘は、すでに現役を退き、本人いわく「世捨て人のような日々」を過ごしていたという。 57歳の時に、父が病に…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<2>前職は大迫町役場の職員
エーデルワインは、岩手ワインを代表するワイナリーである。同社を牽引する藤舘は、長く役場に勤務していた。 1960年、高校卒業後、最初に勤めたのは地元の農協だった。上司に可愛がられ、よく飲みに…
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エーデルワイン 藤舘昌弘社長<1>岩手を代表するワイナリー
近年、日本ワインの世界的な評価が高まっている。各地のワイナリーが品質と個性を競うようになり、おいしいワインが次々に登場しているのだ。 エーデルワインは、最近注目されつつある岩手ワインを代表す…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<4>モノづくりの醍醐味とは何か
「ところで太田さん、ビールをつくりませんか、ここ遠野で。スーパードライや一番搾りではない。いまはやりのクラフトビールです」 突然の誘いだった。なのに、心はザワザワと揺れ始めていく。 早…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<3> 早期退職しボランティアに
「部長さんが、こんな細かいことをどうしてやるのですか。大所高所から僕たちを見ていてください」――2004年、パイオニアによるNECのプラズマ事業の買収に伴い、自分の意思とは関係なしにパイオニアに転籍し…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<2>“イクメン”宣言で取材殺到
NECでテレビ電話の研究者をしていた太田。同期入社で半導体の研究者だった夫人に“イクメン”を宣言し、長女が生まれたのは1991年10月。結婚3年目だった。 しかし、自宅と職場がある川崎市には…
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遠野醸造 太田睦代表取締役<1>ダメな京大生が絶頂のNECへ
「太田さん、会社辞めて元気になりましたね」 サラリーマン時代の元同僚たちから、今はこんなふうに言われるそうだ。 元同僚たちは皆、太田が造るビールを飲むために、岩手県遠野市まで足を運んで…
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スペイシー 内田圭祐社長<4>広がるレンタルスペースの未来
2013年、内田はスペイシーを設立、貸会議室事業を開始した。まずは、自社オフィスの時間貸しから始めると、すぐに客がついた。就業時間外、つまり夜間と土日限定にもかかわらず、1時間1000円という安さが…