語り部の経営者たち
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メガネスーパー 星﨑尚彦社長<2>あえて違う業種を選んだ
メガネスーパー社長の星﨑尚彦の「社長人生」の始まりは、34歳の時。三井物産を辞め、スイスの宝飾会社「フラー・ジャコー」の日本法人社長を引き受けたことだった。 これが波紋を引き起こす。星﨑家と…
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メガネスーパー 星﨑尚彦社長<1>スイス留学が人生を変えた
「パリミキ」を展開する三城ホールディングス、「眼鏡市場」のメガネトップ、「JINS」のジンズが、メガネチェーンのトップ3だが、十数年前までのご三家といえばジンズ以外の2社と、メガネスーパーを加えた3社…
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シャボン玉石けん 森田隼人社長<4>「香害」の広告が大反響
2007年3月、シャボン玉石けんの社長は森田光德氏から30歳の長男・隼人氏に代わった。 「相当なプレッシャーを感じていましたが、父が会長として目を光らせるという体制だったので、何とかなるかなと…
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シャボン玉石けん 森田隼人社長<3>入社3年目で副社長に
父・光德氏が無添加石けん普及に対する情熱をつづった文章に触れ、家業への思いが募っていった森田隼人氏。大学は首都圏にある専修大経営学部に進んだ。 「地元九州の大学も考えたのですが、一度は東京で暮…
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シャボン玉石けん 森田隼人社長<2>無添加への転換で赤字に
合成洗剤の怖さを知った森田隼人社長の父・光德氏(故人)は思い切った行動に出た。会社の業容をすべて、無添加石けんの製造販売に切り替えてしまったのだ。1974年夏のことである。 これまで順調にき…
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シャボン玉石けん 森田隼人社長<1>無添加にこだわる理念
無添加石けんを世に広めたパイオニア企業のシャボン玉石けん。「健康な体ときれいな水を守る」を企業理念とし、無添加にこだわり続けてきた。 「石けんに無添加という言葉を使ったのは弊社が最初です。主成…
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エステー 鈴木貴子社長<8>家庭からより大きなフィールドへ
鈴木貴子は社長就任以来、それまで下がり続けていた利益率を改善すべく、社内改革に力を注いだ。業績が傾くと、人件費や広告費を削減して乗り切ろうとする会社が少なくないが、「後からやってきた私が乾いた雑巾を…
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エステー 鈴木貴子社長<7>「ここが変だよ」を次々と改善
入社当時から、心の中で幾度となくつぶやいてきた言葉がある。 「ここが変だよ、エステーさん」 エステーの中では当たり前に行われていることでも、外資企業にいた鈴木貴子にとっては、仰々しくて…
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エステー 鈴木貴子社長<6>「社長らしさ」を徹底的に研究
2010年、鈴木貴子はエステーに入社する。3年後、社長に就任したとき、周囲の目は、「お手並み拝見」という感じだった。 社歴の浅さ、鈴木喬会長というカリスマ経営者の後継、1部上場企業ではまだ数…
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エステー 鈴木貴子社長<5>孤立無援で始まったデザイン革命
鈴木喬会長は、減益の打開策として打ち出した「デザイン革命」の旗振り役に、数々のラグジュアリーブランド企業で実績を積んできた姪の貴子を抜擢した。 しかし、それは孤立無援の状態から始まった。マー…
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エステー 鈴木貴子社長<4>ファッションから生活日用品へ
ジバンシィなどのラグジュアリーブランドを手掛けるLVJグループに勤務していた鈴木貴子はある日、叔父であるエステーの鈴木喬会長に問いかけられた。 「あなたの業界では、なぜそんなに高い値段でも商品…
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エステー 鈴木貴子社長<3>世界的ブランド数社で経験を積む
鈴木貴子は大学卒業後、日産自動車に入社。得意のスペイン語を生かして、中南米への輸出営業とマーケティングを担当した。 仕事は楽しかったが、次第に、日産での仕事に限界を感じるようになっていく。 …
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エステー 鈴木貴子社長<2>得意のスペイン語を生かし日産へ
鈴木貴子は、防虫剤でエステーを設立した創業者を父に、消臭芳香剤「消臭力」や冷蔵庫用脱臭剤「脱臭炭」などのヒット商品を手がけた鈴木喬会長を叔父に持つ。しかし、貴子自身は、エステーに入社するとは夢にも思…
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エステー 鈴木貴子社長<1>デザイン一新が招いた大ヒット
エステーは消臭芳香剤「消臭力」、防虫剤「ムシューダ」、除湿剤「ドライペット」、冷蔵庫用脱臭剤「脱臭炭」などのヒット商品を持つニッチ特化型の生活日用品メーカーだ。 鈴木貴子は鈴木喬会長の姪であ…
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識学 安藤広大社長<4>「誰でもできるルール」を守る大切さ
識学を導入した企業が最初に行うのは実績や能力に関係のない「誰にでもできるルール」を社員全員が守っている状態をつくることだ。 「例えば挨拶です。当たり前に見えてできていない企業がとても多い。誰に…
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識学 安藤広大社長<3>組織運営を正しく導く理論に出合った
転職した先で安藤氏はメキメキと頭角を現し、3年で役員に就任。会社が持ち株会社体制に移行してからは30歳の若さで主要子会社の取締役を務めた。しかし、次第に上層部の経営方針と相違が生じ、電気通信系企業か…
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識学 安藤広大社長<2>組織に属したらルールを疑う余地なし
念願の早稲田大学ラグビー部で安藤氏を待っていたのは、はたから見ると理不尽な世界だった。新入生は否定語禁止ということ以外にも、「部室の掃除は先輩の練習がすべて終わってから」などさまざまなルールがあった…
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識学 安藤広大社長<1>幼少期から「組織」の厳しさを体験
「社員のモチベーションを上げようと思うな」「社員から好かれたいなら社長を辞めるべき」……。人間の意識構造に着目した独自の組織マネジメント理論「識学」でコンサルティングサービスを展開する株式会社識学。2…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<7>経験者の言葉の重み
「海外勤務は希望していましたが、乳業ビジネスを希望したわけでもなかった。ただし、経営について学べて実践できたのは、僕にとって収穫は大きかった。まずはやってみる」 2013年4月、オセアニアで乳…
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キリン・ディアジオ 西海枝毅社長<6>まずはやってみる
キリン本社の洋酒事業部に異動した西海枝毅は、先輩2人に助けられながら全国の支店を訪問する。現場の営業マンにジンやウオッカなど洋酒ブランドを知ってもらうためだった。知ってもらえると、売り上げは伸びてい…