語り部の経営者たち
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スペイシー 内田圭祐社長<3>“太陽光バブル”に乗って起業
スペイシーは、格安の貸会議室、レンタルスペース事業を展開している。同社の創業者である内田が最初に起業を思いついたのは、現在の事業とはまったく違う教育動画の配信だった。 そのためにはインターネ…
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スペイシー 内田圭祐社長<2>企業のきっかけは「教育動画」
スペイシーは、格安の貸会議室・レンタルスペース事業を展開している。 創業者の内田は、人材派遣会社「リクルートスタッフィング」からビジネス人生をスタートさせた。 しかし、大学時代にはイ…
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スペイシー 内田圭祐社長<1>会議室の格安シェアリング
筆者のようなフリーランスが、個人取材や、空いた時間に仕事をしようと思えば、利用するのはもっぱら喫茶店だ。しかし、混雑していると取材がやりにくい。テープを起こすと、BGMや周囲の話し声も拾ってしまうの…
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野田岩 金本兼次郎社長<4>天然のおいしいうなぎは香ばしい
「うなぎ」と言えば、いつの時代も「すし」「てんぷら」「そば」とならぶ日本を代表する庶民のごちそうだ。野田岩も200年以上にわたって「うなぎのかば焼き」を作ってきた。そもそも、おいしいうなぎとはどのよう…
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野田岩 金本兼次郎社長<3>「人を育てない店はダメになる」
1957年に社長に就任して以来、幾多の危機を乗り越え老舗ののれんを守ってきた野田岩5代目の金本兼次郎は72年、多店舗化を決意する。44歳の時だった。 「一店舗で仕事をしているときには、職人とし…
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野田岩 金本兼次郎社長<2>看板の天然うなぎが入手できず…
江戸時代から200年間続く老舗うなぎ店、野田岩の5代目・金本兼次郎は1957年に店主に就任した。29歳の時だ。 しかし、このとき金本は大きな問題に直面していた。冬場の天然うなぎがほとんど流通…
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野田岩 金本兼次郎社長<1>200年続くうなぎの老舗の5代目
うなぎの老舗、野田岩。徳川家斉の寛政年間に創業された200年続く老舗だが、5代目・金本兼次郎社長(91)は異色の経営者だ。 老舗の殻を破り、次々と新規事業に挑戦。百貨店を皮切りに、パリにも出…
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ふらここ 原英洋社長<3>3Dも活用した完全オリジナル人形
2008年、45歳の時、原は実家である明治創業の人形師の家から独立。社名の「ふらここ」は、奈良時代の春の季語で「ぶらんこ」という意味だ。伝統と格式を重んじる人形業界では重々しい社名が一般的だが、「こ…
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ふらここ 原英洋社長<2>従来のひな人形の顔では売れない
原が作家の夢を諦め、創業100年以上続く人形師の実家を継ぐと決意した頃、ひな人形はまだ「売れる」時代だった。それから10年、15年と年月が経つ中で、原は少しずつ人形業界の将来に不安を抱くようになって…
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ふらここ 原英洋社長<1>右肩下がり業界で売上2ケタの成長
少子化の影響もあり、ひな人形や五月人形の業界は右肩下がりにある。売り上げが前年比を上回る会社は1割を切るのではないか、という指摘もあるほどだ。そのような状況の中、2008年の創業以来、売上高が2ケタ…
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日清紡ホールディングス 村上雅洋社長<4>常に新しい刺激
日清紡ホールディングスは近年、「環境・エネルギーカンパニー」を事業方針に掲げ、環境・エネルギー分野の強化を進めている。 「地球の温暖化なんていう甘いものじゃない。地球破壊は社会的にも大きな課題…
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日清紡ホールディングス 村上雅洋社長<3>ハゲタカの標的に
村上は日清紡に入社してから20年間、労務の仕事に携わった。 新たな職務に就くことになったのは1999年。研究開発センター(現中央研究所)が設立されると、そこで遺伝子技術を用いた新規事業のリー…
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日清紡ホールディングス 村上雅洋社長<2>女子社員の世話係
村上は日清紡に入社後、工場労務の仕事に20年間携わり、徳島や静岡、愛知、千葉などの工場を転々とした。 最初の担当は、企業内高校と女子寮の管理・運営だった。つまりは、16~20歳すぎまでの若い…
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日清紡ホールディングス 村上雅洋社長<1>CM制作が大ヒット
「♪日清紡~名前は知ってるけど~日清紡~何をやってるかは知らない~」 2012年から始まったこのCMは、耳に残るCMソングと、犬の二人羽織というユニークな映像で話題をさらってきた。 日…
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キンライサー 森崇伸社長<6>35歳で慢性の白血病と診断され
大阪育ちだからか、森はよく笑う。が、森は「自分の人生、もう一度やれと言われても嫌ですね」と笑う。 高校の同級生で、会社を手伝ってくれていた彼女と30歳で結婚したが、統合失調症だった彼女の母親…
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キンライサー 森崇伸社長<5>起業6年目で大きな賭けに出る
パーパスの下請け工事だけをやっていては父親の稼ぎは超えられない。それじゃあ、独立した意味がない。そう考えた森は起業して6年目の2003年、大きな賭けに出る。 売り上げの8割を占める下請け工事…
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キンライサー 森崇伸社長<4>常に崖っぷちでも心は折れない
1997年、24歳の森は、個人事業主として「近畿ライフサービス」(昨年「キンライサー」に社名変更)を設立。大阪・豊中にある実家のマンションで、ガス給湯器の施工業を始めた。 「6畳の自分の部屋に…
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キンライサー 森崇伸社長<3>米国一人旅後に24歳で起業決意
家庭用ガス給湯器の直販と施工を手がけるキンライサー(2018年に「近畿ライフサービス」から社名変更)を24歳で起業した森は、92年に高校を卒業後、地元で自動車整備の仕事に就いたが、4年で辞めた。 …
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キンライサー 森崇伸社長<2>お客を完璧に満足させる大切さ
家庭用ガス給湯器の直販と施工を手がけるキンライサー(2018年に「近畿ライフサービス」から社名変更)を24歳で起業した森は、進路の選択を迫られた高2の時、「俺は社長になるから、大学には行かへん!」と…
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キンライサー 森崇伸社長<1>社長になるから大学は行かへん
家庭用のガス給湯器の直販と施工を手がけるキンライサー(2018年に「近畿ライフサービス」から社名変更)。 たとえば大手ガス会社で購入すれば40万円ほどするガス給湯器でも、キンライサーなら25…