語り部の経営者たち
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ストライプインターナショナル石川康晴社長<2>女性社員の手紙で目を覚ます
人気の婦人服ブランド「アース ミュージック&エコロジー」など、15ブランドを展開している「ストライプインターナショナル」は、年商1300億円、快進撃をつづけている注目企業だ。宮崎あおいを起用したCM…
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ストライプインターナショナル石川康晴社長<1>14歳で志す
宮崎あおいのCMで注目をあつめた婦人服の「アースミュージック&エコロジー」。このブランドを展開している「ストライプインターナショナル」の創業社長が、石川康晴だ。 23歳の時、300万円を元手…
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ハナツアージャパン・李炳燦社長<5>多様性を重んじる会社
「ハナツアージャパンは、多様性を重んじる会社で、それが強みでもあります」と、李は語る。 それはもちろん、グループ全体の6割、旅行部門に限って言えば、8割が外国人社員で構成されていることと無関係…
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ハナツアージャパン・李炳燦社長<4>観光客のニーズに応える
近年は、国を挙げての訪日促進戦略の効果も表れ、2017年の訪日観光客は2869万人、韓国人観光客も初めて700万人を突破した。今年は800万人を超える見込みだという。 韓国からの送客数がこれ…
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ハナツアージャパン・李炳燦社長<3>大震災で激動の2011年
2011年、順風満帆だったハナツアージャパンに最大の危機が訪れる。それは、3月11日に発生した東日本大震災から始まった。 その日は、金曜日。震災から津波、原発事故と被害が広がる中で、李は気に…
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ハナツアージャパン・李炳燦社長<2>起業6年後にオファー
1996年、日大卒業とともに、日本にある台湾系インバウンド専門旅行会社「ワス」に入社する。韓国担当として仕事に取り組むと、通訳ガイド時代に築いた人脈を生かし、見る見る間に実績を上げていった。 …
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ハナツアージャパン・李炳燦社長<1>きっかけは通訳ガイド
ハナツアージャパンは、韓国最大手の総合旅行会社ハナツアーの日本法人として、13年前に設立したインバウンド専門旅行会社だ。 日本国内の旅行商品を企画開発して、海外の旅行会社に販売している。 …
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ハウスドゥ・安藤正弘社長<4>リーマン・ショックを予期
不動産売買仲介のフランチャイズチェーンを展開する「ハウスドゥ」。イメージキャラクターの古田敦也が登場するテレビCMで思い出す方も多いだろうが、2005年まで、社名は「オリエントハウジング」だった。社…
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ハウスドゥ・安藤正弘社長<3>ハウス・リースバック大人気
京都に本社を置く「ハウスドゥ」は、不動産売買仲介のフランチャイズビジネスを展開している。従業員440人、東証1部に上場する注目企業だ。わずか3坪のスペースから不動産業をはじめた創業社長の安藤正弘は、…
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ハウスドゥ・安藤正弘社長<2>不動産のFCビジネスをやろう
古田敦也をイメージキャラクターに起用している「ハウスドゥ」は、不動産売買仲介のフランチャイズビジネスを展開している会社だ。現在、FC店舗数は全国501店舗に拡大している。東証1部上場、年商約170億…
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ハウスドゥ・安藤正弘社長<1>贅沢三昧も「こんなもんか」
京都にはユニークで独創的な企業や起業家が多い。京セラに日本電産、任天堂、オムロン、村田製作所など枚挙にいとまがない。不況に強いハイテク企業が目立つのも特徴のひとつだ。 そんな京都発の企業で異…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<5>気が付けば同士が自然に
2013年、朝日新聞の特報部に移った渡辺は水を得た魚のように活躍した。NUMO(原子力発電環境整備機構)の核燃料再処理処分場を取材する過程で、言葉巧みに処分場の応募を促す詐欺師を突き止めたのも渡辺で…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<4>当局提供ネタよりも発掘
2000年4月、朝日新聞に補欠合格した渡辺は新聞記者になった。初めての報道現場である。 初任地は島根県だった。1年目は当然、県庁、警察回り。その他に、イベントや季節ものを書かされた。 …
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<3>記事にお金がついてくる
2015年の夏、渡辺は記者仲間と、韓国の調査報道団体の見学に行った。向かったのは、非営利のニュース組織である「ニュース打破」だ。購読料を設けず、4万人の会員の寄付によって運営されている。李明博政権を…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<2>寄付金による報道に勝算
渡辺は報道志向ではなかった。政治に対する怒りなどはさらさらなく、ノンポリの学生だったという。それどころか、大学時代は新聞記者という職業が嫌いだったと振り返る。 渡辺は大学受験に失敗し、浪人し…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<1>無給で走り続けた2年間
広告も購読料も一切とらない。書いている記者は全員無給。市民からの寄付金で取材をし、濃密な記事とスクープで存在感を示しているウェブメディアがある。 2017年、早稲田大学ジャーナリズム研究所の…
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中央魚類・伊藤裕康会長<8>築地に市場機能を残せば負担に
日本の魚食の伝統を守るために、伊藤氏率いる中央魚類はさまざまな方法を考え、実行に移してきた。現在、そして今後の展開はどのように考えているのだろうか。 「ひとつは既存のやり方にとらわれない、購買…
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中央魚類・伊藤裕康会長<7>生産者と消費者の架け橋が役割
経営者となった伊藤氏が大切にしたのは「人」だ。水産業にとどまらず、さまざまな分野・業界の人間を会社に迎えている。 「社内全体の質を高めるためには、その中で育った人間だけでは限界があると思うんで…
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中央魚類・伊藤裕康会長<6>97年に社長交代「親父とは戦友」
中央魚類に入社した頃、伊藤氏は自分がトップになることなどまったく考えていなかった。学生時代とは生活が変わり、仕事に身が入らないこともあったという。その意識が変わったきっかけは上司から受けた言葉だ。 …
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中央魚類・伊藤裕康会長<5>親父から「魚屋になるか?」と
大学を卒業後、伊藤氏は新聞記者になりたいと思っていた。学生会長を務める傍ら、学生新聞の編集長として取材や広告受注に奔走し、そのおもしろさに魅せられていたからだ。 「ところが、反発ばかりしていた…