著者のコラム一覧
田中幾太郎ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。医療問題企業経営などにつ いて月刊誌や日刊ゲンダイに執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。 日刊ゲンダイDIGITALで連載「名門校のトリビア」を書籍化した「名門校の真実」が好評発売中。

単位制高校を中退、27歳で科学技術学園高校に入り直した井ノ原快彦の信念

公開日: 更新日:

井ノ原快彦(元V6)

「旧ジャニーズ事務所の良心」(制作会社幹部)とも称されるイノッチこと井ノ原快彦(49)。2年前、子会社ジャニーズアイランド社長(当時、以下同)として「ジャニー喜多川性加害問題」の記者会見に登壇。ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子前社長や東山紀之社長と比べ、一切の隠し事をしないという姿勢が徹底されていた。「イノッチがいなければ、あの会見は紛糾し乗り切れなかった。誠実な人柄にジュリー氏らは救われた」と同幹部は振り返る。どうやって、こうした誰からも信頼されるキャラクターは出来上がったのだろうか。

 東京・浅草生まれ。小学校に上がる頃に、品川区のマンモス団地に引っ越した。小中とも地元の公立。スポーツは万能だが、勉強は苦手という少年だった。小学校6年の時にジャニーズ事務所に入った。以降の井ノ原の歩みは“ウサギとカメ”の後者だった。

 学年が一緒で入所が1年早い香取慎吾は11歳でSMAP入り。やはり同学年で入所は1年後の松岡昌宏は遊び仲間だったが、歌手デビューでは大きく差をつけられた。松岡がTOKIOでデビューするのは17歳の時。井ノ原より入所が2年半後のKinKi Kids(現DOMOTO)の2人のバックで踊ることもあった。後輩にも追い越され焦りが募っても、やめることは考えなかった。20歳の誕生日まであと半年に迫った時、ようやくV6としてステージの前面に立つことができた。

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