語り部の経営者たち
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伊那食品工業 塚越寛会長<4>増収増益が途切れて得た教訓
48年間、増収増益を続けた優良企業として知られる伊那食品工業だが、それが途切れたのは2006年のこと。その理由を聞くと意外な答えが返ってきた。 「実はその直前の05年、寒天の健康効果がマスコミ…
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伊那食品工業 塚越寛会長<3>福利厚生充実で新卒が殺到
利益の出し方、業績の上げ方など会社経営はハウツーで語られることが多い。しかし、手段やノウハウにとらわれず、常に会社がどうあるべきかという目的を根本から考えていなければならないというのが塚越会長のスタ…
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伊那食品工業 塚越寛会長<2>闘病生活で悟った働ける幸せ
長野県有数の進学校、伊那北高校に進んだ塚越少年を残酷な病魔が襲う。17歳の時に肺結核に罹患していることが判明したのだ。やむなく高校を中退し入院生活に入った。 「結核といえば当時は死病でもありま…
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伊那食品工業 塚越寛会長<1>トヨタも学ぶ「年輪経営」
長野県伊那市にある伊那食品工業は「かんてんぱぱ」というブランドで知られる寒天メーカーだ。年商は191億800万円(昨年度)。寒天製品では国内市場の約80%のシェアを占める。 名実ともに寒天と…
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ゾーホージャパン迫洋一郎社長<4>チャレンジと失敗が大事
クラウド型顧客管理システムでは世界トップクラスのユーザーを持つ「ゾーホー」(本社・インド)。 主力のネットワーク管理運用ツール「ManageEngine(マネージエンジン)」は、世界で12万…
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ゾーホージャパン 迫洋一郎社長<3>意識改革と組織改革
「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で、外資系企業としては初めてノミネートされ「審査委員会特別賞」を受賞した「ゾーホージャパン」。インドに本社のある「ゾーホー」は、クラウド型顧客管理システムでは、世…
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ゾーホージャパン迫洋一郎社長<2>CEOに自分の考えを臆せず
クラウド型顧客管理システムでは世界トップクラスのユーザー数を持つ「ゾーホー」(本社・インド)。その日本法人「ゾーホージャパン」(本社・横浜市)は、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で、外資系企業…
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ゾーホージャパン迫洋一郎社長<1>上司からの一言で猛勉強
クラウド型顧客管理システムでは世界トップクラスのユーザー数を誇る「ゾーホー」(グループ本社・インド)。その日本法人「ゾーホージャパン」(本社・横浜市)が、いま国内で注目されている。「日本でいちばん大…
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アト・安田周社長<4>ノウハウ駆使し宅配業界参入を目指す
創業以来、アトは増収増益を続けている。社会がIT化するなかで、なぜポスティングのようなアナログな手段が受けているのだろうか。 「かつてはチラシといえば新聞の折り込みでした。しかし、何枚も重ねて…
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アト・安田周社長<3>「チラシをゴミ箱」のトラブルで訴訟
創業1年目にして1億円を売り上げたアト。安田氏がパートナーの奈須田氏と起業時から心がけていたのは、「きちんと配ること」だったという。 「当たり前のことですよね(笑い)。でも、20年ほど前は公序…
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アト・安田周社長<2>体調崩し入社した会社を2年半で退職
安田氏が入社したポスティングの会社はある意味、自由だった。ポスティングをするだけではなく、その受注営業もチラシのデザイン製作もすべて自分で行う。安田氏は独学でデザインソフトの使い方を覚え、仕事をこな…
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アト・安田周社長<1>這い上がった偏差値40の“落ちこぼれ”
デリバリーや不動産のチラシを家や事業所のポストに投函するポスティング。個人事業の地場配布が多い業界で、唯一全国に展開して業績を伸ばし続けているのが株式会社アトだ。代表取締役の安田周氏は2003年に2…
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チョーヤ梅酒 金銅幸夫会長<4>56歳で立命館大学に入学
50歳のとき、23年にわたる東京生活に終止符を打ち、大阪・羽曳野の本社に戻ってくる。 きっかけは、その4年前の父の死だった。 「兄弟から帰ってきてくれと言われたんです。『二度と帰らない…
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チョーヤ梅酒 金銅幸夫会長<3>ぼちぼち売れていくのがいい
金銅は持ち前の行動力で、父にたてついてまで販路拡大に力を注いできた。 しかし、何でもかんでも攻めたわけではなく、非常に慎重な一面も持っている。 「たとえ勢いがあっても、せいてはあきまへ…
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チョーヤ梅酒 金銅幸夫会長<2>国内外の市場開拓を一手に
金銅は、長男の和夫(2代目社長・現相談役)を筆頭に4人兄弟の末っ子。その中で、営業を一手に引き受け、全国規模の販売網を築き上げてきた。 そんな営業ひと筋の金銅が、「一番苦しかった時代」として…
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チョーヤ梅酒 金銅幸夫会長<1>家で作るから“買うもの”に
「♪さ~らりとした梅酒」や「梅酒というより、チョーヤです。」などのCMでおなじみのチョーヤ梅酒は、かつては家庭で造るものとされていた梅酒を初めて商品化したパイオニア。いまや製造社数300社以上にまで膨…
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深川ワイナリー東京・中本徹社長<3>融資の壁を補助金で
酒類製造免許は取得できたが、それ以上に大変だったのが醸造所をつくるための資金繰りだ。金融機関に打診したものの、都会のワイナリーは前例に乏しく希望する融資が得られなかったという。 「そこで免許取…
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深川ワイナリー東京・中本徹社長<2>北京で始めたワインバー
起業に先駆けて、中本氏は北京に日本人向けのワインバーを開いた。独立後の営業先を開拓するために、日本の駐在員が集まる場所を自らつくろうと考えたのだ。 「お酒が大好きなので、飲みながら出会いにつな…
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深川ワイナリー東京・中本徹社長<1>江東区に16年オープン
いま、都会の一角でワインを醸造する都市型ワイナリーが話題だ。2016年にオープンした東京・江東区の深川ワイナリーもその一つ。下町の住宅街にあって醸造の見学や体験ができるワイナリーとして、ひときわ注目…
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ぱど 倉橋泰社長<3>いつも土壇場、つねに修羅場、まさに正念場
その後、順調に発行部数を増やし、2001年、「ぱど」は1000万部を達成、日本一の発行部数を誇るメディアとしての地位を確立する。 同年、ナスダックジャパン(現JASDAQ)への上場も果たした…