語り部の経営者たち
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ハウスドゥ・安藤正弘社長<1>贅沢三昧も「こんなもんか」
京都にはユニークで独創的な企業や起業家が多い。京セラに日本電産、任天堂、オムロン、村田製作所など枚挙にいとまがない。不況に強いハイテク企業が目立つのも特徴のひとつだ。 そんな京都発の企業で異…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<5>気が付けば同士が自然に
2013年、朝日新聞の特報部に移った渡辺は水を得た魚のように活躍した。NUMO(原子力発電環境整備機構)の核燃料再処理処分場を取材する過程で、言葉巧みに処分場の応募を促す詐欺師を突き止めたのも渡辺で…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<4>当局提供ネタよりも発掘
2000年4月、朝日新聞に補欠合格した渡辺は新聞記者になった。初めての報道現場である。 初任地は島根県だった。1年目は当然、県庁、警察回り。その他に、イベントや季節ものを書かされた。 …
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<3>記事にお金がついてくる
2015年の夏、渡辺は記者仲間と、韓国の調査報道団体の見学に行った。向かったのは、非営利のニュース組織である「ニュース打破」だ。購読料を設けず、4万人の会員の寄付によって運営されている。李明博政権を…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<2>寄付金による報道に勝算
渡辺は報道志向ではなかった。政治に対する怒りなどはさらさらなく、ノンポリの学生だったという。それどころか、大学時代は新聞記者という職業が嫌いだったと振り返る。 渡辺は大学受験に失敗し、浪人し…
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ワセダクロニクル渡辺周編集長<1>無給で走り続けた2年間
広告も購読料も一切とらない。書いている記者は全員無給。市民からの寄付金で取材をし、濃密な記事とスクープで存在感を示しているウェブメディアがある。 2017年、早稲田大学ジャーナリズム研究所の…
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中央魚類・伊藤裕康会長<8>築地に市場機能を残せば負担に
日本の魚食の伝統を守るために、伊藤氏率いる中央魚類はさまざまな方法を考え、実行に移してきた。現在、そして今後の展開はどのように考えているのだろうか。 「ひとつは既存のやり方にとらわれない、購買…
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中央魚類・伊藤裕康会長<7>生産者と消費者の架け橋が役割
経営者となった伊藤氏が大切にしたのは「人」だ。水産業にとどまらず、さまざまな分野・業界の人間を会社に迎えている。 「社内全体の質を高めるためには、その中で育った人間だけでは限界があると思うんで…
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中央魚類・伊藤裕康会長<6>97年に社長交代「親父とは戦友」
中央魚類に入社した頃、伊藤氏は自分がトップになることなどまったく考えていなかった。学生時代とは生活が変わり、仕事に身が入らないこともあったという。その意識が変わったきっかけは上司から受けた言葉だ。 …
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中央魚類・伊藤裕康会長<5>親父から「魚屋になるか?」と
大学を卒業後、伊藤氏は新聞記者になりたいと思っていた。学生会長を務める傍ら、学生新聞の編集長として取材や広告受注に奔走し、そのおもしろさに魅せられていたからだ。 「ところが、反発ばかりしていた…
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中央魚類・伊藤裕康会長<4>二浪で立大に合格も自信を喪失
父・伊藤春次氏が創業した中央魚類が順調に発展していくなか、伊藤氏は大きな挫折を経験した。2年続けて大学受験に失敗したのだ。2浪の末に立教大学に入学したのはよかったが、すっかり自信を喪失し、母に手を引…
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中央魚類・伊藤裕康会長<3>戦時中は疎開先でイジメられた
東京の市場でトップクラスの水産卸売会社、中央魚類の会長を務める伊藤裕康氏は、1934年10月に築地市場のすぐそばで生を受けた。 「築地本願寺から銀座方面に200メートルほど行った辺りに家があり…
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中央魚類・伊藤裕康会長<2>石原都政の方がマトモでした
伊藤会長が小池都知事に疑問を感じたのは、2017年3月、石原慎太郎元東京都知事の証人喚問が行われた時だ。 「当時は私にもマスコミが注目していて、証人喚問の中継中も某テレビ局に密着されていました…
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中央魚類・伊藤裕康会長<1>小池知事と対峙する“築地のドン”
10月11日、豊洲市場が開場する。しかし、現在も追加の土壌汚染対策工事が進められていて、小池百合子都知事による安全宣言は出されていない。さらに、昨年6月に「築地を守る、豊洲は生かす」と発表したものの…
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若松・齊藤俊一社長<3>すべてが常識破りの手法で酒造り
10年前、3店舗あった雑貨店を1店舗に絞った。酒造りに力を注ぐためではあったが、実は、もうひとつ理由がある。 ネット通販が普及すれば、物販は衰退していくだろうという情報を随分前から聞いていた…
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若松・齊藤俊一社長<2>始動後11年かかった清酒の免許取得
「都心に酒蔵を造れたら」という齊藤が抱いた夢は、杜氏の寺澤善実との運命的な出会いによって、動き始める。 2000年を過ぎた頃、「アクアシティお台場」が港区商店街連合会に加盟することになったため…
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若松・齊藤俊一社長<1>100年ぶりによみがえった都心の酒蔵
2016年、東京・芝に「江戸開城」という清酒が誕生した。酒蔵の名は「東京港醸造」。100年ぶりの復活を目指して奔走したのは、若松屋(若松の前身)の7代目に当たる齊藤俊一だ。 幕末の頃、芝で造…
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石坂産業・石坂典子社長<4>年間3万人が見学に訪れるように
1999年の「所沢ダイオキシン騒動」の後、2002年に2代目社長に就いた石坂典子。当時、「石坂産業」(埼玉県入間郡三芳町)は、地域住民から、事実上の撤退、廃業を求める行政訴訟を起こされていた。 …
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石坂産業・石坂典子社長<3>社長就任半年で社員の4割が退社
産業廃棄物の焼却事業からリサイクル事業へと方向転換した「石坂産業」(埼玉県入間郡三芳町)。2代目社長・石坂典子が進めたのは、事業内容の改革だけではなかった。 「人の改革、社員教育です。リサイク…
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石坂産業・石坂典子社長<2>リサイクルへ 40億円投資の博打
石坂典子が産業廃棄物処理会社「石坂産業」(埼玉県入間郡三芳町)の2代目社長に就任したのは2002年。会社が「所沢ダイオキシン騒動」に端を発した激しいバッシングにさらされている渦中のことだった。 …