バスタオル一枚の星野監督は鬼の形相でダッシュ、そのまま俺は飛び蹴りを食らった
1996年、プロ入りして初めて、タイトル争いをした。本塁打王を射程圏に捉えたシーズン終盤、ある騒動が勃発した。
タイトル争いは巨人の松井秀喜、大豊泰昭さん、俺の三つ巴。俺が39本、松井が38本、大豊さんが37本とした10月8日、中日は巨人戦を迎えた。
巨人はシーズン最終戦で、ウチは残り2試合。松井はプロ初の「1番・右翼」でスタメン出場した。本塁打王を照準に、一打席でも多く回すための配慮だった。長嶋茂雄監督は「正々堂々と勝負を」という呼びかけをしたが、星野仙一監督は「ワシは何の指示も出さんよ」と取り合わなかった。
でも、実際は「指示」が出ていた。ホテル出発前、監督室に呼ばれた。部屋に入ると、その日の試合に先発する野口茂樹がいた。
「おまえは本塁打王を取りたいんか?」
星野監督にそう問われ、「できれば取りたいです」と答えると、「分かった。なら取らしたる。野口には松井を全打席敬遠させる」と言い、強い口調でこう続けた。


















