保阪正康 日本史縦横無尽
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天皇が御前会議で詠んだ明治天皇の御製 懐中から一枚の紙をとりだして…
9月6日の御前会議は午前10時に開会して、正午に閉会している。時間にすればわずか2時間ということになる。だが近代日本をドラマに例えれば、この御前会議がクライマックスの一部を構成していることは間違いな…
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近衛内閣は軽さゆえに陸海軍の総帥部に付け込まれた
9月6日の御前会議は戦争政策を進めたい軍部(特に陸海軍の統帥部)にとって戦争を始めるための重要な会議であったと、のちに近衛を責めるきっかけにされた。実際に10月中旬までに外交交渉が成功しなければ、開…
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昭和天皇を驚き、呆れさせた「帝国国策遂行要領」の3つの選択肢
首脳会談の前に予備会談を開き、会談の前提を確認しようというルーズベルトの提案は、昭和16(1941)年9月3日にワシントンで示された。それは振り出しに戻るということであったのだが、野村から本省に電文…
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首脳会談の破壊を企てる強硬派の軍部と疑心を抱くルーズベルト大統領
ルーズベルト大統領は野村吉三郎駐米大使に対して、近衛の首脳会談への細部にわたる申し入れに賛成を示しつつ、予備交渉を行うべきだとの条件をつけた。それは交渉が始まった4月の日米了解案を再度確認するとの意…
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近衛・ルーズベルト首脳会談をめぐる「開戦派」と「非戦派」それぞれの思惑
近衛・ルーズベルト首脳会談は、ワシントンでの野村大使とハル国務長官の話し合いでは実現の可能性があるように思えた。陸軍省の将校は随員として加わるメンバーを密かに選び、彼らの中には、軍人ではなく、外交官…
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ルーズベルト大統領は野村大使に「近衛は英語を話すのか?」と聞いた
ルーズベルトは野村大使からの首脳会談の提案に乗り気であるようにみえた。チャーチルとの会談で大西洋憲章を求めた後になるのだが、ワシントンに戻るとすぐに野村に会っている(8月17日)。表面的には首脳会談…
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天皇の側近は「近衛首相は暗殺される」と忠告した
近衛首相からの訓令に基づいて、野村大使が国務長官のハルに首脳会談を申し込んだのは8月8日(1941年)である。ハルは、大統領は今ワシントンにおらず、ニューファンドランド沖でイギリスのチャーチルと洋上…
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天皇も上機嫌で期待した「近衛文麿・ルーズベルト会談」
昭和16年7月、8月は日本にとって重要な時期であった。ヒトラーのヨーロッパ制圧と裏切り、ルーズベルトらアメリカ側の電文盗聴、チャーチルのアメリカ参戦工作、そしてスターリンのヒトラーへの怒りと独ソ戦で…
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日本を三国同盟に引き込み戦争に向かわせたヒトラーのからくり
対米英戦を辞せずの強硬派は、アメリカの予想しなかった反撃に苛立った。我々を甘く見るな、というわけである。彼らは本当に対米英戦を辞せざる覚悟を固めたのであった。むろんそれは日本の見通しの甘さを逆説的に…
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石油の禁輸措置により、将校たちは開戦の動きに興奮していった
近衛文麿首相はアメリカが危険視している松岡洋右を内閣から追い出したので、日米交渉は支障なく進むと考えた。ところがアメリカ側はそれほど甘くはなかった。新外相の豊田貞次郎に関してはそれなりの評価をしたが…
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昭和天皇は「松岡外相は外国から賄賂をもらったのか」と呟いた
近衛文麿首相と松岡洋右外相が不倶戴天の関係になったのは、日米交渉への向き合い方の違いにあった。近衛は妥協点を探して外交交渉によって良好な関係に持っていこうと考えていたわけだが、松岡は三国同盟を死守し…
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アメリカ政府も近衛首相も自己本位な松岡外相を信用していなかった
「対英米戦を辞せず」という一節が御前会議で決定して駐米大使の野村吉三郎に伝えられたわけだが、それはアメリカの暗号解読班に見事に解読されていた。日米交渉はそれ以後まさにアメリカの手のひらで踊らされている…
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「対英米戦を辞せず」を盛り込むも日本の軍部は本気で戦争を考えていなかった
御前会議で決まった国策は、「第一 方針」と「第二 要領」に分かれていた。基本的な方針が定まり、それに沿っての具体的行動が「要領」との意味でもあった。この要領の第2項には「帝国は其の自存自衛上、南方要…
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駐米大使の野村吉三郎に送られた「対米英戦ヲ辞セズ」の一節
電文解読は日米交渉が進むにつれてその影響力が増していった。昭和16(1941)年4月から11月までの失敗が明確になるまでに、第2次世界大戦は意外なゆがみを生じさせていった。年譜を見るとわかるのだが、…
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日本の「解読技術」は中国・国民党司令部の暗号を解き明かした
陸軍省軍務局の高級課員・石井秋穂は、外務省のワシントンの日本大使館宛ての暗号電報が解読されているのではないかと気づき、外務省を訪ねて注意を促そうと席を立った。しかし外務省に行って「おたくの電文は解読…
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米国の暗号解読を、日本陸軍は気づいていた
日米交渉は7カ月余にわたって続いた。その間、日本の本省とワシントンの駐米大使館との暗号電報のやりとりは、全て解読されていた。そのため日米交渉でアメリカ側は日本がいかなる案を持ってくるか、日本側の心理…
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解読されていた日本の外交暗電 手の内は米国側に筒抜けだった
ルーズベルトはドイツと日本の枢軸体制を全面的に解体するまで戦う方針だったが、アメリカの軍事指導者は戦況の動きを見つめつつ、ある段階からドイツ国内の戦争政策に反対する勢力を支援し、戦争の原因になってい…
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日本を挑発する作戦に出た米ルーズベルト大統領とコーデル・ハル
太平洋戦争のきっかけは、昭和16年4月から10月までの7カ月間にわたって行われた日米交渉の失敗ゆえである。この7カ月間の交渉は日本とアメリカの指導者の政治力の戦いでもあった。最終的に日本はハルノート…
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陸海軍と右翼団体に支援された松岡洋右を警戒したグルー駐日米大使
松岡洋右という人物は特異な性格の持ち主であった。ベルリン、ローマ、モスクワを訪問して、枢軸体制の2人の指導者に会い、さらにはドイツと不可侵条約を結んでいる社会主義陣営の指導者に会い、国際社会がどのよ…
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近衛文麿首相を激怒させた松岡洋右の難癖、許し難い抵抗の姿勢
近衛文麿首相は片方で吉田茂を中心とする親英米派に依存し、もう片方で松岡外相の対米宥和政策に期待をかけていた。両者には対英米政策の打開が必要との認識があったが、その手法には大きな違いがあり、やがてそれ…