保阪正康 日本史縦横無尽
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昭和20年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を平然と破って侵攻した
23日の午後6時から、ウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで、日本の国会議員に支援の要請やこれまでの支援に対するお礼を含めての演説を行った。すでに多くの国に対してオンライン演説を行ってきたわけ…
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プーチンの独裁政権は「内部」と「外部」から崩壊する
スターリンは第2次世界大戦で連合国に組み込まれ、結果的にファシズム勢力を打倒するのに中心的な役割を果たした。ドイツのナチス権力を打倒したことはスターリンの満足感を刺激しただけでなく、ソ連の国民がスタ…
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プーチンがウクライナを侵略した「3つの理由」
こういう言い方は乱暴だといわれるかも知れないが、ソ連は人類初の社会主義体制を試みた国家として、歴史に名を刻まれている。社会主義体制とは人為的な理論の実践ということでもある。1917年に初めて人類史に…
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20世紀の帝国主義的軍事行動は通用しない 基本的人権をもたらすのは露国民のプーチン批判
このプーチンによるウクライナへの侵略戦争は、どのような形で決着がつくのだろうか。軽々にその方向を予測することは避けたいのだが、大状況で言うならば、プーチンの政治的失敗に終わるであろう。その理由もロシ…
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ロシア社会に「戦争反対」の市民革命が起きる可能性
ソビエト連邦が崩壊した時に、ゴルバチョフ体制を支持する青年世代の中には、労働者や人民といった意識と明らかに違うタイプが育っていた。モスクワのアルバート通りでは複数の青年が道行く人に向かって演説してい…
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プーチンの残酷と非道のルーツはスターリンにあった
第2次世界大戦中のソ連はドイツの侵略に対して、それこそ国の存亡をかけて戦った。確かにスターリンの戦略はヒトラーの司令部の戦略を読みきれず打撃を受けるときもあった。だが、祖国防衛大戦争の名の下に国民の…
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スターリン体制で司令官らは処刑され、捕虜の家族はシベリア送りにされた
スターリンとプーチンに共通点があるとの見方は、たとえば独ソ戦の初期を考えてみれば容易に想像がつく。1941年6月22日に、ソ連は突然ヒトラーの軍隊の進撃を受けた。これはスターリンにとってまさに不意打…
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スターリンとヒトラーは独ソ不可侵条約でヨーロッパ分割をもくろんだ
これまで見てきたようにスターリンは、第2次世界大戦の始まりの年(1939年)と終結の年(1945年)に2つの秘密協定を結んでいた。この政略は、ソ連が社会主義国家として生き残るためのまさに権謀術数その…
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ソ連社会の崩壊…ゴルバチョフを罵りレーニンに騙されたと怒る若者たち
ヤルタ会談についてもう少し触れておくことにしよう。この会談で重要な議題になったのが、戦争終結後のポーランド情勢であった。つまり亡命政権か、それとも現地で戦った政権かという点にあった。スターリンは戦後…
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千島列島のソ連への引き渡しは、スターリンとルーズベルトの秘密協定で決まった
ソ連が第2次世界大戦の開戦時にヒトラーと謀って戦争を始めたということは、しばしば政治問題化している。この大戦から70年の折(2015年)、欧米ではロシアも開戦の一役を担っていたとの論が表面化して、プ…
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ヒトラーの軍事行動とウクライナ侵略の類似 ソ連も第2次大戦の火付け役だったのか
プーチンがゴルバチョフよりもスターリンに畏敬の念を抱いていることは、その性格からいっても容易に理解できることである。自らが置かれている状況を改革改善するよりも、状況の中で独裁者として振る舞い、自分の…
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天に唾するものは自らに降りかかる
プーチンがスターリンと同じような手法で、歴史を変えようとしていることは明白だ。この手法は極めて単純で、目的のためには手段を選ばないという一点である。軍事侵攻、裏取引、敵の敵は味方、虚言などいくつかの…
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ウクライナ侵略でプーチンが犯した「2つの過ち」
日本が最終的に降伏の意思を固めた理由は、日本本土が徹底的に爆撃され国民に厭戦気分が広まったためとか、広島・長崎への原爆投下、ソ連が中立条約を破って宣戦布告したことなどがすぐに考えられる。頼りにしてい…
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米軍機の警告ビラを読まず、警察に届けた正直者だけが爆撃で死んだ
日本本土にまかれるビラは、極めて手の込んだ心理作戦の一端としての武器ともいえた。銃後の国民には前戦で戦う兵士とは別な内容であることはもちろんなのだが、とにかく厭戦思想を引き出して、軍事指導者の言い分…
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米軍は20種類のビラで日本人に心理的威圧を加えた
サイパン陥落以降、太平洋戦争の様相は大きく様変わりしていった。そのことをまずはB29を中心とする本土爆撃で語ってきた。当初は軍事関係の工場や施設を狙ったが、日本の家内制手工業の町工場に依存する体質か…
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無条件降伏までの戦いを続けるならば、東京の中心部で市街戦が起きた可能性も
もう少し無条件降伏という語の意味を考えながら史実を確認していきたい。 ルーズベルトがこだわったこの意味は、2つの解釈が可能だと思う。ひとつは、ルーズベルトはこの世界戦争の後に二度とこうした戦…
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無条件降伏とは他民族への征服哲学を捨てること
無条件降伏は第2次世界大戦の後半期には重い意味をもつことになった。アメリカの国務省では日本軍との開戦当時から、どういう形で勝利を収めるか、そのときの条件はどのようなものかを内々に検討を続けていた。無…
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カサブランカ会談で議論を呼んだルーズベルトの「無条件降伏」
B29による日本本土爆撃、そして日本軍による特攻作戦、さらにレイテ沖の敗戦と、日本の敗戦は明らかな状況になっている。しかし、日本の軍事指導者は戦況逆転の思いを持ちながら一億総特攻を呼号して、戦いの継…
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大戦果を信用せず絞首刑になった山下奉文の怒り
台湾沖航空戦は結局は全く事実とはかけ離れた発表で、日本国民に告げられた。大喜びはまさに実体のない喜びであった。アメリカ軍の太平洋艦隊を壊滅させたがごとき戦果は、全くの虚報にすぎなかった。 「実…
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昭和19年10月の台湾沖航空戦の「大戦果」には日本中が大はしゃぎした
個々の戦闘や海戦では敗北ばかりが続いている。その状況で国民の間には、強いストレスがあった。戦時指導者も偽りの報告をもとにして、「大本営発表」を国民に伝えていたが、彼らとて次第に何が真実なのか、わから…