自惚れすぎた高校時代 先輩からの「キャプテン指名」を断るべく監督宅に押しかけた
1985年、愛工大名電高2年の夏に正捕手に昇格。背番号「2」をもらった。代わりに控えにまわったのが、それまで正捕手だった3年の細川正臣さんだった。背番号「12」をつけた細川さんは俺のところへ来てこう言った。
「おまえ、覚えとけよ。俺はおまえに負けたわけじゃねえからな」
その日を境に、細川さんは狂ったように猛練習を始めた。毎日夜8時から2時間の「夜特」(夜間練習)でティーバッティングを毎回1000球。その努力が実り、外野でレギュラーを勝ち取ると、試合でめちゃくちゃ打つようになった。よっぽど悔しかったのだと思う。
がむしゃらにバットを振る細川さんを見て「そんなに練習せんでもいいのに……」なんて思っていたが、その努力は実を結ぶ。名電卒業後に愛知工業大学に進学すると、89年の秋季リーグで愛知大学野球連盟の連続打席安打記録(8打席)を樹立。俺のおかげだなあ(笑)。
一方、俺はそこまでハードな練習はしていなかった。中村豪監督からは「練習せえ」なんて言われたことは一度もなく、「おまえの好きにやってええぞ」と放任されていた。おかげでもともと練習嫌いだった俺はほとんど練習しなかった。
それなのに試合では結果が出るうえ、チームの中で誰よりも俺が打っていた。ポテンシャルだけでできてしまう、天才だったんだろうと思う(笑)。3年生にはサインが出ても、2年生の俺だけはノーサイン。バントはしたことがなかった。
中村監督が寛容なのをいいことに、俺のやりたい放題は徐々にエスカレート。2年の夏、新キャプテン指名のときもそうだった。
名電では次の主将を3年生が指名する制度。2年夏、愛知大会決勝で東邦に負けて甲子園の道が断たれると、俺が新チームのキャプテンに指名された。
練習後、俺は寮の隣にある中村監督の自宅へ向かった。
「キャプテンはやりたくありません」
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り317文字/全文1,123文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】
今なら!メルマガ会員(無料)に登録すると有料会員限定記事が3本お読みいただけます。


















