山﨑武司
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高木守道監督は俺の“最後の一軍試合”を本気で心配 「本塁打を打って『辞めない』と言い出したらどうしよう」
2013年7月26日、巨人戦の後に二軍落ちを言い渡されて引退を決意した。高木守道監督に「今季限りで引退します」と伝えると、「あ、そう」のひと言。試合に逆転負けした直後ということもあり、完全に頭に血が上っていた。 「瞬間湯沸かし...
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俺の引退会見が7月後半という中途半端な時期になったワケ 最後の最後で野村のオヤジにかまされた
引き際の線引きを二軍落ちに決めていた俺に、ついにその時が訪れた。 7月26日の巨人戦(ナゴヤドーム)、五回1死一、二塁のチャンスで代打に出してもらったが、空振り三振に終わり、試合は逆転負け。試合後、ロッカールームに来た渡辺(...
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星野楽天にサヨナラ打で “恩返し”の直後に嶋基宏から緊急電話…「大変なことになっています」
「引き際を考えろ」 2013年4月8日、二軍での再調整を命じられた俺の脳裏に、父親から常々言われていた言葉が浮かんだ。 父親には、現役でバリバリ活躍していた頃から「プロの世界で名を残して、タイトルも取れた。だからこそ、...
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澤村拓一に完敗「もう山﨑武司としての商品価値なんてない」 引退覚悟で球団代表に相談すると…
2012年、中日はCS(クライマックスシリーズ)ファイナルステージでリーグ優勝した巨人に3連勝。10月20日、下克上に王手をかけた第4戦、2点を追う六回2死満塁の絶好機に代打として起用された。 しかし、澤村拓一の直球にまった...
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星野監督は別に嫌いじゃないが…「何でそんなに星野に歩み寄らんのだ?」に返した一言
星野仙一監督が就任した2010年オフから、やはりチームの空気は一変した。秋季練習やキャンプでは選手による声出しがルーティンになった。 「声にスランプはない」というのが監督の持論。中日時代はベンチから声を出し続けていた。椅子には...
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秋頃に自覚、「ノムラの考え」に傾倒していつしか“野球好きの少年”に戻っていた
ある年の夏場、練習日をオフにしてほしいと野村克也監督に直談判すると、あっさり許可してくれた。 俺はこの頃、野村監督のことをまるっきり勘違いしていたと痛感していた。会って話すまでは一方的でワンマンな性格だと思っていたが、こんな...
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野村チルドレン「長男」の自負がある 次第に“直談判”で休日申請するようになった顛末
「おまえ、子供が可愛くねえのか。俺は克則が可愛いんや」 楽天時代、野村克也監督が島田亨球団社長に言った言葉だ。エコヒイキで何が悪い、と開き直る監督の親バカっぷりに思わずズッコケた。 思えば、俺もずいぶん可愛がってもらっ...
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チームの顔・礒部公一に代打騒動勃発 「お前が決めろ」野村監督の突然のフリに泡を食った
楽天が創設された2005年当初、チームリーダーは礒部公一だった。初代選手会長と主将に就任した礒部は近鉄バファローズ(現オリックス)最後の選手会長でもあり、球界再編のときは先頭に立って現場の意見を訴えていた。チームの牽引役にふさわしい...
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本能で野球をしていた俺に「最後は“頭”や」 野村監督の助言をめんどくせえなと思った
2006年、楽天の2年目から野村克也監督のもとで野球をやることになった。キャンプ初日から挨拶を無視され、第一印象は最悪。しかし、半月後の“呼び出し”を境にコミュニケーションを取れるようになった。 野村監督が俺を気にかけてくれ...
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野村のオヤジが出したクイズ「ノートを取らないバカタレはお前の他にもう一人。当ててみい」
2006年、楽天に野村克也監督が就任すると、ミーティングの様子は一変。キャンプ前半はすべて「人生訓」に時間が割かれた。野村監督は1時間半、ホワイトボードに「ノムラの考え」を書き、選手はそれをひたすらノートに取る。しかし、俺はメモすら...
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「おい、おまえ、生意気なんだよ」 野村監督は俺の挨拶を“ガン無視”、暴れたろうかと考えた
2006年、野村克也監督が楽天の指揮官になった。名前を聞いた瞬間、「なんじゃそりゃ、最悪だ」と崩れ落ちた。ここにきて、なぜ野村監督なんだ。ほとんど接点はなかったものの、「ID野球」「野球に厳しく選手を褒めない」というイメージが強く、...
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田尾監督には感謝しかない 電撃解任の際は一緒に辞めるつもりだったけど…
楽天1年目の2005年。田尾安志監督から打撃の熱血指導を受けた。監督はこれまで続けてきた前さばき打法を「絶対打てないぞ~」と爽やかにバッサリ。後ろ足重心でボールをギリギリまで呼び込む正反対のスタイルに変更した。 人の言うこと...
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現役続行へ背中を押した息子の一言 楽天ファンには悪いが「妙に楽な気持ち」で仙台行きを決めた
2004年オフ、オリックスから人生初の戦力外通告。現役引退を決めていたが、いろんな人たちが自分のことを気にかけてくれた。 まずはその年の日本シリーズ(中日×西武)で遭遇した田尾安志さん。03年にオリックスでお世話になったレオ...
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「僕はもうすぐ死ぬんです」…俺の中で今も生き続ける歌手・池田貴族さんの言葉
1999年9月30日、ヤクルト戦に勝って11年ぶりのリーグ優勝を果たした。でも、俺はその歓喜の輪に入ることができなかった。 この日の先発は山本昌さん。ヤクルトの真中満がバントをし、打球を処理した昌さんが一塁手の俺に送球。全力...
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星野監督に「オッサン、ボケー!」と叫んだ逆転3ラン…島野育夫さんの「星野ワヤやなあ」で溜飲が下がった
前回のコラムで、監督にゴマばかりするコーチについて書いた。 対照的だったのが島野育夫さんだ。星野仙一監督時代にヘッドコーチなどを歴任。正直、星野さんより何倍も怖かった。何度も首根っこをつかまれ、どやされもしたが、いつも選手の...
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今なら炎上だけじゃ収まらない…星野監督は正捕手・中村武志さんを日常的にボコボコに
俺が長く仕えた星野仙一監督はまさに「闘将」だった。試合中、劣勢の展開になるとベンチを蹴飛ばし、選手を怒鳴りつける。試合に勝っても、選手が不甲斐ないプレーをすれば、監督室に呼び出し、鉄拳が飛ぶのは日常茶飯事だった。 今の時代で...
