山﨑武司
-

秋頃に自覚、「ノムラの考え」に傾倒していつしか“野球好きの少年”に戻っていた
ある年の夏場、練習日をオフにしてほしいと野村克也監督に直談判すると、あっさり許可してくれた。 俺はこの頃、野村監督のことをまるっきり勘違いしていたと痛感していた。会って話すまでは一方的でワンマンな性格だと思っていたが、こんな...
-

野村チルドレン「長男」の自負がある 次第に“直談判”で休日申請するようになった顛末
「おまえ、子供が可愛くねえのか。俺は克則が可愛いんや」 楽天時代、野村克也監督が島田亨球団社長に言った言葉だ。エコヒイキで何が悪い、と開き直る監督の親バカっぷりに思わずズッコケた。 思えば、俺もずいぶん可愛がってもらっ...
-

チームの顔・礒部公一に代打騒動勃発 「お前が決めろ」野村監督の突然のフリに泡を食った
楽天が創設された2005年当初、チームリーダーは礒部公一だった。初代選手会長と主将に就任した礒部は近鉄バファローズ(現オリックス)最後の選手会長でもあり、球界再編のときは先頭に立って現場の意見を訴えていた。チームの牽引役にふさわしい...
-

本能で野球をしていた俺に「最後は“頭”や」 野村監督の助言をめんどくせえなと思った
2006年、楽天の2年目から野村克也監督のもとで野球をやることになった。キャンプ初日から挨拶を無視され、第一印象は最悪。しかし、半月後の“呼び出し”を境にコミュニケーションを取れるようになった。 野村監督が俺を気にかけてくれ...
-

野村のオヤジが出したクイズ「ノートを取らないバカタレはお前の他にもう一人。当ててみい」
2006年、楽天に野村克也監督が就任すると、ミーティングの様子は一変。キャンプ前半はすべて「人生訓」に時間が割かれた。野村監督は1時間半、ホワイトボードに「ノムラの考え」を書き、選手はそれをひたすらノートに取る。しかし、俺はメモすら...
-

「おい、おまえ、生意気なんだよ」 野村監督は俺の挨拶を“ガン無視”、暴れたろうかと考えた
2006年、野村克也監督が楽天の指揮官になった。名前を聞いた瞬間、「なんじゃそりゃ、最悪だ」と崩れ落ちた。ここにきて、なぜ野村監督なんだ。ほとんど接点はなかったものの、「ID野球」「野球に厳しく選手を褒めない」というイメージが強く、...
-

田尾監督には感謝しかない 電撃解任の際は一緒に辞めるつもりだったけど…
楽天1年目の2005年。田尾安志監督から打撃の熱血指導を受けた。監督はこれまで続けてきた前さばき打法を「絶対打てないぞ~」と爽やかにバッサリ。後ろ足重心でボールをギリギリまで呼び込む正反対のスタイルに変更した。 人の言うこと...
-

現役続行へ背中を押した息子の一言 楽天ファンには悪いが「妙に楽な気持ち」で仙台行きを決めた
2004年オフ、オリックスから人生初の戦力外通告。現役引退を決めていたが、いろんな人たちが自分のことを気にかけてくれた。 まずはその年の日本シリーズ(中日×西武)で遭遇した田尾安志さん。03年にオリックスでお世話になったレオ...
-

「僕はもうすぐ死ぬんです」…俺の中で今も生き続ける歌手・池田貴族さんの言葉
1999年9月30日、ヤクルト戦に勝って11年ぶりのリーグ優勝を果たした。でも、俺はその歓喜の輪に入ることができなかった。 この日の先発は山本昌さん。ヤクルトの真中満がバントをし、打球を処理した昌さんが一塁手の俺に送球。全力...
-

星野監督に「オッサン、ボケー!」と叫んだ逆転3ラン…島野育夫さんの「星野ワヤやなあ」で溜飲が下がった
前回のコラムで、監督にゴマばかりするコーチについて書いた。 対照的だったのが島野育夫さんだ。星野仙一監督時代にヘッドコーチなどを歴任。正直、星野さんより何倍も怖かった。何度も首根っこをつかまれ、どやされもしたが、いつも選手の...
-

今なら炎上だけじゃ収まらない…星野監督は正捕手・中村武志さんを日常的にボコボコに
俺が長く仕えた星野仙一監督はまさに「闘将」だった。試合中、劣勢の展開になるとベンチを蹴飛ばし、選手を怒鳴りつける。試合に勝っても、選手が不甲斐ないプレーをすれば、監督室に呼び出し、鉄拳が飛ぶのは日常茶飯事だった。 今の時代で...
