スポーツ記事の“お涙頂戴”には辟易するが…大の里と錦織圭、心に残った2つの涙
錦織圭が自分で驚いていた衝動
テニスの錦織圭の震える肩も胸にしみた。
故障に苦しみ、先のジャパンオープンで引退を決めた。最後の相手は米国の旗頭ティアフォーで負けは予測されたが、錦織はベンチに腰を下ろすと肩を震わせた。直後、「まさか泣くとは思いませんでした」と自分で驚いていた衝動は“プロの気圧”が雪崩のごとく剥がれた瞬間か。私たち傍観者には分からない。
錦織は冗舌ではないが、ちょっと語感の違う話に味わいがある。大会最終日に、改めて豪華なセレモニーが用意された。
「この前でもうお腹いっぱいでしたが……」
感謝しながらそんな言葉になる。松江で生まれ13歳で渡米。「好きでもないアメリカに行って」という言葉も、別に「嫌い」ではない。日本独特の「暗黙」「阿吽」「言わずもがな」のなかった環境は、アイデンティティーの宿題を課すのだが、スポーツは言語表現ではない。デ杯、ナダルを倒したオリンピックのメダルで日本人を表現した。
ファンの前で何度も「日本の」ではなく「日本・アジアのテニス」と口にした。回り舞台のように世界をめぐるテニスツアーは、既に中国を含めたアジアをひとくくりにシーズンを編成している。引退するや急に「錦織さん」とよそよそしい大新聞はほっといて、窮屈な祖国に隙間風を入れてくれればうれしい。



















