中島みゆき
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桑田佳祐が大先輩を焚き付けた屈折のリスペクトソング
1975年以降の吉田拓郎を書くにあたって、75年に小3だった私にとっての個人的・吉田拓郎ヒストリーをご紹介しようと思う。 アリスやさだまさし、ゴダイゴなど、いわゆる「ニューミュージック」に、70年代後半、どっぷりと漬かって育...
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22歳が悠久の時の流れを超越した「みゆきうた」の特大傑作
半世紀後の今、当時22歳の女性シンガー・ソングライターが書いた歌詞を見て、たいそう驚くのは、そのスケール感にである。 「今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて」と始まりながら「そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ」。 ...
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商業主義と一線を画す「ヤマハ系」の空気にとても似合った
あの「時代」である。 今や知らぬ者がいないスタンダードだが、シングルとしては、最高位14位で売上枚数も20万枚に満たなかった。デビュー曲「アザミ嬢のララバイ」も最高位38位。同じく1975年デビュー組である山下達郎のシュガー...
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(34)歴史の瞬間に選んだ「私の家は山の向こう」
中国民衆の民主化運動に自分は励まされてきた。だから、そうした活動は心から支援したい。テレサはそう思っていた。中国は父母が生まれ育った大陸だ。いつか北京や上海で無料のコンサートを開くのが夢だった。世間は知らないが、中国サイドからの働き...
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自由で柔軟な言葉と完成された歌を持って現れたラスボス
中島みゆきの記念すべきデビュー曲である。 チャート最高38位は悪くない。矢沢永吉「アイ・ラヴ・ユー、OK」が43位、シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」と愛奴「二人の夏」が圏外だったことを考えると。 悪くない滑り出...
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学生運動の「残り香」は幅広いファンの獲得に貢献した
デビュー前の中島みゆきについて、その後の音楽活動に大きく影響を与えるキーワード。 前回の「吉田拓郎」に続いての2つ目は「学生運動」だ。 中島みゆきは1952年生まれ(ただし早生まれ)なので、学生運動直撃の団塊世代より...
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学生の頃は「推し」の前でフランクにふるまっていた
デビュー前の中島みゆきについて、その後の音楽活動に大きく影響を与えるキーワードを2つ、ご紹介したい。1つ目は「吉田拓郎」(もう1つは次回)。 当時の中島みゆきが、吉田拓郎のファンだったというのである。 こすぎじゅんい...
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「プロジェクトX」司会の元NHKアナ国井雅比古さんが明かす「スタジオから緊急入院したことも」
先週に引き続き、NHKの看板番組「プロジェクトX」の司会者だった国井雅比古さんに思い出と近況を聞いた。(前後編2回の後編) ◇ ◇ ◇ 「プロジェクトX」の放映開始は2000年3月28日。一緒に司会を担当したのは...
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「キャロル」でのジョニー大倉の先見性とボーカルはもっと評価すべき
この連載では、1975年にデビューした山下達郎、浜田省吾、中島みゆき、矢沢永吉を「BIG4」としてくくるのだが、矢沢永吉の場合は「ソロデビュー」であり、バンド「キャロル」としては3年前にすでにデビューしているので、他の3人とは少々意...
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初期ファンを幻滅させた「ルージュの伝言」のポップ感
1975年が「ユーミン元年」だったという話をする。 「ルージュの伝言」「卒業写真」が収録されたアルバム「COBALT HOUR」を6月に発売。バンバン(ばんばひろふみ在籍のグループ)に提供した「『いちご白書』をもう一度」(8月...
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ニューミュージックとは「戦後生まれ世代による自作自演音楽」のムーブメントだ
前回はタイトルにある「1975」の話をしたので、今回は「ニューミュージック」の概論を語っておきたい。 「そのときニューミュージックが生まれた」の「ニューミュージック」って何じゃらほい、という話。 その答えは、この連載の...
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今にも通じる重苦しい時代にヒットした音楽だからこそ、振り返る意味も価値もある
拓郎、陽水、ユーミンという「GREAT3」が君臨し、達郎、浜省、みゆき、永ちゃんという「BIG4」がデビューした1975年。音楽シーンを取り巻く時代全体は、どんな雰囲気だったのか。 私の小3の頃の記憶をたどると、今=2025...
