五木寛之 流されゆく日々
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連載12162回 口笛を吹きながら <1>
人が長生きするようになったことは、人間にとってはたして幸せなことなのだろうか、とふと考えることがあります。 最近の統計では、男性の平均寿命は、およそ81歳。女性が87歳となっています。 女性…
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連載12161回 いい加減な生き方 <5>
(昨日のつづき) 文明は確かに進歩した。 AIの登場など、かつては想像もできなかった文明の利器の登場である。 機械と人間、という究極の問いが今、私たちにつきつけられているのだ。 人生相…
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連載12160回 いい加減な生き方 <4>
(昨日のつづき) 戦争というのは、やっている最中が問題なのではない。 戦後、すなわち戦争が終った後が大変なのだ。 戦後80年という。区切りのいい時期ではあるが、80年たっても戦争は本当に終…
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連載12159回 いい加減な生き方 <3>
(昨日のつづき) きょうは日本経済新聞のインターヴュー。 長嶋フィーバーが一段落したと思ったら、こんどは戦後80年とかで、1945年の夏の記憶を総ざらい。 なにしろ当時のことを思い出して語…
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連載12158回 いい加減な生き方 <2>
(昨日のつづき) 人はどう生きるべきか。 時代を超えて、すべての人間はそのことを考える。 考えることが苦手な人間でも、折りにふれて自分の生き方について思うことはあるだろう。 人はさまざ…
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連載12157回 いい加減な生き方 <1>
なにごとにつけても、私はいい加減な人間だ、と、つくづく思うことがある。 しかし、いい加減、ということは、そもそもがいい加減な表現なのだ。 そこには2つの意味があるので厄介なのだ。たとえば「い…
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連載12156回 時代は回転木馬 <4>
(昨日のつづき) オールスター第2戦もパ・リーグの勝ち。2日続けてテレビ中継を観て、仕事がとどこおってしまった。 大急ぎで平凡社から出る対談集、第2巻の前書きを書く。 目下、発売中の第1巻…
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連載12155回 時代は回転木馬 <3>
(昨日のつづき) ミカンを食べながら、オールスターのテレビ中継を見る。 せっかく球場に満員の観客がつめかけているのに、退屈な試合だった。 このところ観衆のあいだに若い女性の姿が目立つのは、…
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連載12154回 時代は回転木馬 <2>
(昨日のつづき) そのキーを押さえられると、自然に心がうるむ。そんな泣きどころを私たち昭和世代はもっている。 メロディーでいうとマイナーだ。1000年以上も昔から、この列島に生きてきた人間の生…
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連載12153回 時代は回転木馬 <1>
新聞もテレビも、選挙報道で大にぎわいだ。 しかし、なんとなく新聞よりもテレビのほうが醒めている気配がする。 どうせ大したニュースではないと、なめきっている感じだ。新聞よりテレビの世界が世間の…
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連載12152回 末端が大事なのだ <5>
(昨日のつづき) 重要な部分は、末端に支えられている。それが私の頑固な偏見だ。 頭部の中心は脳。脳は、目、耳、口に支えられている。もちろん手足の指先や、皮膚にも支えられている。 手足は指先…
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連載12151回 末端が大事なのだ <4>
(昨日のつづき) 昨日は市ケ谷の『アルカディア』で催しものがあって出かけた。 <坪田譲治賞40周年記念>の行事が催されたのだ。 初期の頃からずっとその賞の選考委員をつとめてきたので、ご苦労さ…
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連載12150回 末端が大事なのだ <3>
(昨日のつづき) <端っこが大事> という考え方は、子供の頃からずっと思っていたことである。 食べものなどもそうだ。真ん中の、いかにも美味そうな部分より端っこのほうが旨い。頂きものをしたりし…
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連載12149回 末端が大事なのだ <2>
(昨日のつづき) 人は物事に順位をつける。 中央と地方、という考え方もそうだ。私は若い頃、金沢に住んでいた。新人賞もそこでもらい、直木賞の候補になったのも金沢にいた頃だった。 俗に「加賀百…
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連載12148回 末端が大事なのだ <1>
夜、寝る前に、少し体の手入れをする。 ずっと毎晩やっているうちに、習慣になってしまったのだ。 まず両手を組み合わせて、ゴリゴリこする。手というより指だ。5本の指を交差させて、左右に振るのでは…
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連載12147回 古い記憶、新しい記憶 <5>
(昨日のつづき) いま、雷が近くに落ちた。耳を押さえて原稿を書く。 記憶というものは、脳の中にのみ保存されるものではあるまい。 身体に刻まれた記憶というものもある。それを意識することで古い…
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連載12146回 古い記憶、新しい記憶 <4>
(昨日のつづき) 私の父は、師範学校に在学中から剣道の有段者だったそうだ。教師になったときは、3段だった。 当時、奈良で催されていた全国剣道大会、たしか<野間杯>とかいったような気がするが、そ…
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連載12145回 古い記憶、新しい記憶 <3>
(昨日のつづき) いつのまにか消え失せた指の傷跡は、戦争の時代の、個人的記憶の再生装置だったと言っていい。 1センチ足らずの桃色の肉の隆起。 それは私にとって大事な記念の品だったのである。…
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連載12144回 古い記憶、新しい記憶 <2>
(昨日のつづき) 夜、原稿を書く手を休めて、机上のスタンドの明かりに右手をかざし、指を眺めた。 人差し指か中指かのどこかに、古い傷跡があるはずだと点検したのだが、なぜかない。 年月とともに…
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連載12143回 古い記憶、新しい記憶 <1>
ボケは人間の宿命である。後期高齢者は、多かれ少なかれ次第にボケていく。 記憶に関してもそうだ。私の場合、古い昔のことは比較的よくおぼえているのだが、直近の記憶がすぐにあいまいになる。 つい今…