五木寛之 流されゆく日々
-

連載12433回 90代、未知との遭遇 <3>
(昨日のつづき) むかし、まだ駆けだしの新人作家の頃、「週刊現代」で対談をした。 50年くらい昔のことだと思うが、週刊誌の全盛時代だ。 お相手が羽仁五郎さん。 明治生まれの歴史学者で、…
-

連載12432回 90代、未知との遭遇 <2>
(昨日のつづき) 「オレはボケてなんかいない」 と、強弁する人は、すでにボケはじめている人だ。 ボケているからこそ、自分がボケていることに気付かないのである。 頭脳がおとろえるのは、当然…
-

連載12431回 90代、未知との遭遇 <1>
私は今月末には94歳になる。 誕生日は昭和7年9月30日。 奇しくも故・石原慎太郎さんと、生年月日が同じだ。 同年同日生まれということで文藝春秋誌上で対談をしたことがあるが、話がはずんで…
-

連載12430回 戦時昭和用語辞典 <5>
(昨日のつづき) 教練。 国民学校(小学校)も上級になると<教練>の時間があった。 退役だか現役だか知らないが、ともかく年配の将校らしき軍人が指導教官としてやってくる。 その軍人の指揮…
-

連載12429回 戦時昭和用語辞典 ─戦闘帽と巻脚絆─ <4>
(昨日のつづき) 戦時中は英語は敬遠された。 とはいうものの、外国語は結構たくさん使われている。 エンジン、プロペラ、キャタピラー、など機械用語が多い。プロペラなど、日本語に変えたら一体、…
-

連載12428回 戦時昭和用語辞典 ─防空頭巾と防空壕─ <3>
(昨日のつづき) 戦中昭和の用語といえば、まず防空頭巾と防空壕だろう。 私が小学校に入学した昭和10年代初期までは、1年生は学帽をかぶり、ランドセルを背負っていた。 頭は、いわゆる「坊ちゃ…
-

連載12427回 戦時昭和用語辞典 <2>
(昨日のつづき) 前回、書いた『轟沈』という言葉だが、太平洋戦争の始まった頃は、まだ使われていなかった。 敵艦を沈めれば「撃沈」が普通である。平出海軍報道部長のラジオ報告で、誇らしげに「巡洋艦…
-

連載12426回 戦時昭和用語辞典 <1>
「昭和」といえば、必ず「昭和歌謡」という言葉が返ってくる。 昭和を歌謡曲だけで代弁させるのは、なんとなく違和感があるのは、私が「昭和の人」だからだろう。 たしかに昭和は歌謡曲の時代であった。し…
-

連載12425回 戦後昭和の真実 <5>
(昨日のつづき) トラックから降ろされ、徒歩で北緯38度線を越えて韓国側にたどりつけたのは、幸運としか言いようがない。途中で脱落した人もいたし、どこへ消えたか行方がわからない人もいた。 かろう…
-

連載12424回 戦後昭和の真実 <4>
(昨日のつづき) その新聞の一枚の写真に引きずられて、記事を読んだ。 なるほど、と、あらためて深く納得するところがあった。 私たちのように、外地で敗戦を迎えた人間には、実感としてわからない…
-

連載12423回 戦後昭和の真実 <3>
(昨日のつづき) 当時、平壌市内の各所に、いわゆる闇市はあった。現地の言葉で「闇市」を何といったのか憶えていない。 大きな闇市は、闇市ではない。街の片隅にゴザをしいたり、木の台を置いたりして、…
-

連載12422回 戦後昭和の真実 <2>
(昨日のつづき) 敗戦後、北朝鮮に残された日本人は、引揚者ではない。正しくは<棄民>というべきだろう。祖国から見捨てられた民である。 当時、北朝鮮内の日本人の私的な移動は厳しく禁止されていた。…
-

連載12421回 戦後昭和の真実 <1>
先日、一枚の写真にショックを受けた。 日経新聞の<文化時評(12面)>に掲載された戦後(1946年2月)の新橋・闇市の俯瞰写真である。 私は戦後、外地から引揚げてきた一人である。同時代に作家…
-

連載12420回 七〇年前の愛読書 <4>
(昨日のつづき) 私が早稲田へ<入った>のは、1952年(昭和27年)である。 出たのは58年あたりだろう。あまりはっきりしないのだ。 授業料が払えないので休学しようと思って事務局へいった…
-

連載12419回 七〇年前の愛読書 <3>
(昨日のつづき) 当時、金に困って『チェホフ全集』を売りにいったことがある。戸塚の古本屋さんは、目ききが多い。思いがけない高価で買ってくれた。 何日かして、その店にいくと本棚の上のほうに『チェ…
-

連載12418回 七〇年前の愛読書 <2>
(昨日のつづき) <七〇年前の>と書いたが、正確には1952年(昭和27年)からの数年間である。 私が九州から上京して、露文に入学してからのバイト学生時代だ。 当時は大学周辺には古書店が沢山…
-

連載12417回 七〇年前の愛読書 <1>
学生時代、よく読んだ作家にチェホフとゴーリキーがいた。 ロシア文学のなかでは、なんとなく対照的な感じで見られる存在だが、ともに19世紀に活躍した作家である。 私が学生のころ、 「卒論は誰を…
-

連載12416回 面白がって歩く日 <4>
(前回のつづき) <歩く>ということは、重大な問題である。 しかし、それにもかかわらず、気楽な調子で、考えたり、論じたりしている。 私たちの生きている日々も、そうかもしれない。気軽るな文章を…
-

連載12415回 面白がって歩く日 <3>
(昨日のつづき) 私はこれまで「歩くこと」について繰り返し書いてきた。 この欄でもそうだが、ほかの新聞、雑誌にも何度となく私見を披露している。 『週刊新潮』に「親指重視論」を展開したときには…
-

連載12414回 面白がって歩く日 <2>
(昨日のつづき) 杖をついて歩くということは、ある意味では危険なことである。 つまずいて転ぶ、というのはよくあることだ。足がもつれるというやつだ。それをおぎなうために杖をつく。 ところが、…
