五木寛之 流されゆく日々
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連載12007回 禍福は糾える縄か <3>
(昨日のつづき) 私はしごく杜撰な人間なので、いろんなことを調べるということを滅多にしない。 それでも賞をいただいて、ただ喜んでいるだけでは主催者側にも失礼だろうと、送られてきた資料を一読して…
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連載12006回 禍福は糾える縄か <2>
(昨日のつづき) 事務所のコムラくんが電話してきて、 「原稿の依頼なんですけど」 と、申訳なさそうに言う。 「いま、帯状疱疹で大変なんだよ」 「そうですね。でも、文藝春秋のSさんからです…
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連載12005回 禍福は糾える縄か <1>
今年はツイていない年だと、ずっと感じていた。 高齢者は精神面よりも体調に異変が生じやすい、というのは、事実のようだ。 さまざまな不調が五月雨式におそいかかってくるのである。 これまで、か…
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連載12004回 長い旅の途上で <5>
(昨日のつづき) 今日は病院にいってきた。 80代の半ば頃まで、私は病院にいかないことを自分のモットーにしていた。 少々、具合いが悪くても、いかない。ときにはこれで死ぬか、と思ったこともあ…
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連載12003回 長い旅の途上で <4>
(昨日のつづき) <日刊ゲンダイ>は、来年で創刊50年の節目をむかえるらしい。 この変転きわまりない時代に、半世紀というのは、かつての1世紀にも匹敵するのではないかと思う。 むかし、私たちの…
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連載12002回 長い旅の途上で <3>
(昨日のつづき) いま夜の11時。まだ日刊ゲンダイの原稿ができていない。 締切りまで、あと1時間足らず。 汚ない字を原稿用紙に走らせる。 きょうのゲンダイ紙上の<流されゆく日々>の通し…
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連載12001回 長い旅の途上で <2>
(昨日のつづき) <日刊ゲンダイ>は来年で創刊50年になるらしい。 「3カ月でツブれるかも知れませんけど」 と、創刊当時のボス、川鍋孝文さんは不敵に笑っていたが、星霜49年、よくまあ続いたもの…
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連載12000回 長い旅の途上で <1>
きょうは日曜日。私は<地獄の日曜日>と呼んでいる。 週刊誌と日刊ゲンダイ紙の締め切りが重なっている上に、なにか必ず月曜日渡しの原稿がほかにもあるからだ。 それぞれ夜中の12時がタイムリミット…
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連載11999回 新しい本のPR <5> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 食べものは食ってみよ、人とは会ってみよ、である。 マスコミで創られた有名人のイメージは、大半がフェイクである。そのほうが仕事の上でプラスにはたらくからだ。 私が長年、長嶋…
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連載11998回 新しい本のPR <4> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 対談のマナーというものがある。 たとえ初対面の相手でも、いや、そういう対談者であるほど、事前の準備が必要であることは言うまでもない。 少くともその人の略歴、仕事の内容、こ…
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連載11997回 新しい本のPR <3> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) ナガシマさん、とカタカナ書きのほうが似合いそうな長嶋茂雄さんは、一般には、すこぶるわかりやすい人、というイメージがあるようだ。 「ピューッときたボールを、ガーンと打ち返せばいい…
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連載11996回 新しい本のPR <2> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
(昨日のつづき) 対談集などというものは、出してもそう売れるものではない。 出すほうの版元でさえもそう思っているのだ。だからあまり積極的に宣伝もしないし、作者のほうでも最初からそれは覚悟してい…
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連載11995回 新しい本のPR <1> ──『五木寛之傑作対談集』のこと──
新しい本が出た。対談集である。私ひとりの本というわけではない。 いうなれば集団製作だ。だから自分の名前ででた本だが、それほど気がねせずにおおっぴらに大宣伝をする。 これは絶対、おもしろい本だ…
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連載11994回 高齢化社会の明日 <5>
(昨日のつづき) 自分がれっきとした高齢者でいながら、どうも高齢者といわれると実感がない。 はっきり老人とか、年寄りとかいわれたほうがピンとくるのは、昭和世代の後遺症だろうか。 問題は老人…
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連載11993回 高齢化社会の明日 <4>
(昨日のつづき) 前回の原稿に文字の間違いがありました。 「10円で乗れるバスがある」と書いたのは、昭和人の感覚で、実際は100円です。訂正してお詫びします。 さて、本題の高齢化社会の明日の…
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連載11992回 高齢化社会の明日 <3>
(昨日のつづき) この国が杖をついた高齢者ばかりになってしまうことを、深刻に憂える人がいる。 右を見ても左を見ても老人ばかりという風景は、たしかに索漠たるものだろう。 少数の若い人たちにと…
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連載11991回 高齢化社会の明日 <2>
(昨日のつづき) 長生き、というのは、それはそれで一つの価値かもしれない。その人の知識や経験が、何かの役に立つことがあるとも考えられるからだ。 かつての村の長老たちは、さまざまなかたちで集団に…
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連載11990回 高齢化社会の明日 <1>
一昨日、新聞の取材を受けた。要するにインターヴューなのだが、テーマを向うで決めての取材である。 私は、いわゆる小説家なので、あまり難しいことを聞かれても話が噛みあわない。そもそも常識のある人間な…
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連載11989回 昭和の記憶その断片 <4>
(昨日のつづき) 殴る、という言葉を、最近はほとんど聞かなくなった。 昭和の前期、戦中の時代は、<殴る><殴られる>が日常のことだった。 いまにして思えば、ずいぶん野蛮な時代だったと思う。…
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連載11988回 昭和の記憶その断片 <3>
(昨日のつづき) 敗戦の年、父親の勤務先である平壌師範学校は市の中心部を離れた大同江の対岸にあった。赤煉瓦建ての立派な校舎だった。 私たち一家の住む公舎は、その校庭に隣接した農場の一角にあり、…