五木寛之 流されゆく日々
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【特別再録】 細部に宿るものの世界 <クラフト、80年>
治安維持法が成立してしまった今、個人の力なんて無力なんだ、というある種の諦念、挫折感を持たざるを得なかった人たちが、その後どうしたのか。 小林多喜二のように真正面からぶつかることはできない、しか…
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【特別再録】 ボブ・ディランとソ連歌謡界 <音楽、78年>
ある日、モスクワに一人のグルジアなまりの男がギター片手に飄然と現われ、とても単調でわかりやすく、しかも叙情的な自作の詩を歌い出した。そしてその詩はたちまち、ひとの口から口へと伝わって、結婚式などでよ…
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【特別再録】 喫茶店とぼくらの生活 <文化・世相、77年>
北欧の町で、十九世紀末に、いわゆるボヘミアンという人種が大量に発生したことがあった。その当時のボヘミアンというのは、今でいうヒッピーのようなもので、自分の本能に忠実であり、酒を飲み、自由恋愛をし、女…
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【特別再録】 夜明けの高橋和巳 <人物、76年>
歯が痛むので折角の五月も灰色である。歯痛ぐらいで世界観が変わるのだから、人間なんていい加減なものだ。鈍痛がくり返しおそってきて、そのたんびに終末観にとらわれる。 電話で、高橋和巳を偲ぶ会に出て来…
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連載10000回 流れ流されて四〇年 <1>
きょうのこの原稿で、どうやら連載10000回になるらしい。あらためて、よく続いたものだと思う。 ある日、講談社を中退した川鍋(孝文)さんが、相談があるとやってきたのが、きっかけだ。話をきけば、こ…
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連載9999回 沖浦和光さんの思い出 <5>
(昨日のつづき) 歴史には陽の部分と陰の部分とがある。世の人びとは、もっぱら陽の部分に興味を示し、その土台にある陰の部分を無視しがちなものである。 たとえば、明治という時代についてもそうだ。国…
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連載9998回 沖浦和光さんの思い出 <4>
(昨日のつづき) 沖浦さんと共に、中国山地にサンカの人びとを訪ねたことがあった。 サンカという表現は、はたして正しいかどうかわからない。さまざまに議論の多いところである。 沖浦さんが瀬戸内…
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連載9997回 沖浦和光さんの思い出 <3>
(昨日のつづき) 瀬戸内の海を見おろす高台で、沖浦さんは熱のこもった口調で「家船」の人びとのことを語ってくれた。 天気のいい日で、海上には点々と船の群れが見える。 中国では「蜑民」と呼ばれ…
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連載9996回 沖浦和光さんの思い出 <2>
(昨日のつづき) 沖浦さんと瀬戸内のあたりをたずねたのは、もうかなり以前のことである。 この国の歴史は、ほとんど列島の内陸部、つまり平野や盆地を中心に語られてきた。それ以外の山地や海辺に住む人…
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連載9995回 沖浦和光さんの思い出 <1>
沖浦和光さんが亡くなられた後、いろんなところから追悼の文章を求められたが、なぜか書けずに一年が過ぎた。 こんど、沖浦さんの著作集が出るという。その紹介のパンフレットに、短い文章を寄せたのは、よう…
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連載9994回 お世辞の効用について <5>
(昨日のつづき) きょうは午後3時から田原総一朗さんとの3回目の対談。 あす金曜夜の『朝まで生テレビ』では、天皇制をテーマに番組をやるとのこと。田原さんは私と同世代だが、どうしてどうして、ぜん…
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連載9993回 お世辞の効用について <4>
(昨日のつづき) 「お世辞といってしまえばそれまでなんですけど、ほら、業界にはエールの交換というやつがあるでしょ。仕事を円滑に運ぶためには、人間関係がスムーズにいきませんと、なかなか大変なんで。そう…
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連載9992回 お世辞の効用について <3>
(昨日のつづき) カミ、ホトケにも世辞が必要であるということは、歴史をふり返ってみると一目瞭然だ。 古代の宗教儀礼は、神々を嬉ばせるために催された。神様が気に入るような供物を奉納し、文言をつら…
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連載9991回 お世辞の効用について <2>
(昨日のつづき) 古くから英雄、名君には良い家臣だけでなく、悪智恵のはたらく連中がそばにいた。こういう君側の奸を「佞臣」と呼ぶ。 どういうわけかこの手の家来には、巧みに世辞をつかう連中が多い。…
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連載9990回 お世辞の効用について <1>
人はおおむねお世辞を好むものだ。それが見えすいたお世辞だとわかっていても、やはり悪い気はしない。 おおむね、と書いたのは、まれにではあるが、お世辞にきびしい人もいるからである。他人のお世辞に苦虫…
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連載9989回 終わらざる夏の記憶 <5>
(昨日のつづき) いろんな夏が、やってきては過ぎ去っていった。記憶に残っている夏だけでも80回はあるだろう。 しかし、私の夏は、七十数年前に終ったのだという気がしている。 もの心ついてから…
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連載9988回 終らざる夏の記憶 <4>
(昨日のつづき) 『ラジオ深夜便』で放送した「歌う作家たち」を聴きのがしたと残念がる人が多い。「小説現代」の連載エッセイで、三島由紀夫のレコードについて書いたこともあるだろう。いろんな人から録音版を…
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連載9987回 終わらざる夏の記憶 <3>
(昨日のつづき) 歴史の風化ということが言われる。70年以上も前の敗戦の日を記憶している世代は、すでに高齢化した。 直接、戦争に参加した体験をもつ人びとは、すでに90歳以上だろう。 体験を…
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連載9986回 終わらざる夏の記憶 <2>
(昨日のつづき) 8月15日。 私たち昭和世代にとっては、忘れることのできない日付けである。 もう一つ、記憶にしみついて消せない日付けが、12月8日だ。これはあの時代に生きた世代だけがひそ…
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連載9985回 終わらざる夏の記憶 <1>
また台風がきそうだ。 この列島はよほど台風に好かれているらしい。 夏が昔から苦手だった。寒さにはかなり強いほうだが、暑さに弱いわけでもない。要するに冷夏が辛いのである。いつ頃からか夏は寒い季…