【プレミアム会員限定】オンライン講座 渡辺憲司
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渡辺憲司(第13回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
浮世絵の祖と言われる菱川師宣。元禄時代に大活躍し、吉原に関する絵本も描いている。その絵を見ると、当時の吉原の様子がよくわかる。吉原に行くには船か馬か籠だった。武士は頭巾をかぶっている。派手な飾り馬…
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渡辺憲司(第12回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
明暦の大火のあと、元吉原が移転する。浅草裏に新吉原ができる。同時に様々な変化が起こった。面積は倍になり、夜の営業が許可された。しかし、客が来ない。そこで、私娼を取り締まった。そして、彼女らを公娼制…
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渡辺憲司(第11回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
東アジアの遊女にも日本の遊女と似た「心意気」のようなものがあった。そのうえで、改めて、日本の遊女に戻ると、長崎の遊郭、丸山でも似たような話があったことが「好色二代男」に出てくる。井原西鶴の「好色一…
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渡辺憲司(第10回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
ぶらり吉原はちょっと、横道にそれて、東アジアの遊女たちのことを紹介する。1650年くらいまでの東アジアの遊女は、吉原のそれとちょっと似たようなところがあるからだ。江戸の吉原の遊女には貧しくとも、女…
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渡辺憲司(第9回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
1650年頃から元禄時代にかけて、遊郭は全盛期を迎えるが、べらぼうに描かれているのは、もっと後の時代である。全盛期の遊女、とりわけ太夫は高値の花で、金を積んでもなかなか床入りとはいかない。初回は顔…
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渡辺憲司(第8回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
江戸の三大遊女、高尾については、伝承だけでなく、文献もある。中でも注目すべきは井原西鶴の好色一代男だ。この浮世草子は前半と後半に分かれる。前半は素人女などにも手を出し、女性体験を重ねていくが、後半…
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渡辺憲司(第7回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
1650年頃、男の夢としてこんな言葉が流行った。 「京の女郎に江戸吉原の張りを持たせ、長崎丸山の衣装を着せて、大坂新町の揚屋で遊びたい」。京都の遊女は美人で評判。長崎・丸山は遊郭地だが、何しろ、…
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渡辺憲司(第6回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
元吉原にあった遊郭はなぜ、新吉原に移ったのか。急激な繁栄による風俗悪化、都市の再構築など様々な説があるが、人形町にあったのが浅草に移ったのだから、不便になったのは間違いない。気軽に遊びには行けず、…
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渡辺憲司(第5回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
寛永の時代に入り、元吉原の町はほぼ完成する。寛永10年ごろ(1633年)ごろ、江戸では湯女付きの風呂が大流行し、寛永14年には風呂一軒に付き湯女は3人までという布令が出たりしている。また寛永16年…
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渡辺憲司(第4回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
元和2年(1616年)、人身売買禁止令が出され、みだりに売買したものは双方の損失とするなど、取り締まられたが、年貢の過重と遊里の繁栄によって、こうした禁止令は有名無実化していく。江戸城建設のために…
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渡辺憲司(第3回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
京都の遊郭は申請からすぐに認められたのに、吉原の場合は12年の歳月を要した。なぜ、こんなに時間がかかったのか。しかも、設立を許可するに当たって、様々な禁止令が出ている。年季奉公禁止、人身売買禁止、…
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渡辺憲司(第2回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
吉原が営業を開始したのは1614年だが、遊女の歴史は9世紀くらいまで遡れる。「べらぼう」では食べ物も満足に得られなかった遊女の苦労が描かれたが、ひと口に遊女といっても中世以前と近世以後では大きな違…
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渡辺憲司(第1回)「べらぼうが100倍わかる!『ぶらり吉原』」
NHKの大河ドラマ「べらぼう」で話題の吉原。 立大名誉教授で近世日本文学を研究する渡辺憲司先生は遊里に関するご著書も多く、この分野での第一人者だ。渡辺先生による特別講義「ぶらり吉原」をお届けする…