元関脇嘉風・中村親方〈4〉「番付は落ちだしたら早いぞ」 黙って見守る尾車親方からかけられたメッセージ
初めて見る師匠のコート姿
吉田 ほうほう。
中村 本当に普段は何も言わないんです。何も言わないというのは変に聞こえるかもしれませんが、いつもは弟子をよく観察し、見守ってくれている。そんな親方がこうやって言葉をかけてくれたのだから、何かのメッセージなんだろうな、と。そこでその春巡業から当時大関だった元横綱稀勢の里、今の二所ノ関親方の胸を借りて稽古をしよう、と思い立った。僕は当時すでに30歳でしたが、ぶつかり稽古で砂まみれ。それを親方が動画に撮って、後で送ってくれました。その動画は今も持っているんですよ。
吉田 そうなんですね。
中村 新調したばかりの白い稽古まわしが、1回のぶつかり稽古で砂だらけ。久しぶりにぶつかり稽古を長くやったなあ、と思いながら、師匠からのメッセージを噛み締めていました。
師匠が頚椎損傷の大ケガを負って1年近く稽古場にいなかった時も、存在の大きさを知らされました。きついリハビリを重ねて、重ねて、その年の冬、九州場所の宿舎で復帰しましたが、初めてコートを着ていたんです。それまではどんなに寒くてもコートを着ている姿なんて見たことがなかったんですが、「寒い」って……。大ケガで体質も変わってしまった。それでも僕ら弟子は「本当に帰ってきたんだ!」という温かみを感じました。その時に親方が「みんなに迷惑をかけたから」と食事会を開いてくれて、ある話をしたんです。
吉田 どんな話ですか?
中村 「俺が今、リハビリに行っているところは、いわゆる脊髄損傷だったり、体の不自由な人が多い。不自由を自由に動かすような、過酷なリハビリを続けている人が周りにいる。年配の人ばかりではなく、あなたたちみたいに若い人もいっぱいいる。あなたたちは健康で自分が好きなこと、自分が選んだことを目いっぱいできるんだから。あの子たちはやりたくてもできないんだ。やりたくてもできないことをやろうとして、リハビリしているんだ」と。つまり、相撲の道を自分で選んだのだから、できる時に目いっぱいやれ、というメッセージ。話を聞きながら、それが素直にすっと胸に入ってきた。30歳という年齢でしたが、まだ間に合う、いま気付いていま取り組めば、また上に行けるんじゃないか、という考えになったんです。
吉田 そこからですよね、三役に上がったのは。
中村 そうですね。
吉田 金星も挙げた。
中村 はい。
吉田 で、「本気で私は大関を目指していますよ」って言ってましたよね。
中村 確かに「本気で大関を目指してます」って言いましたけど、実際は本気じゃなかったです。
吉田 そうでしたか。
中村 本気じゃないとダメですね(笑)。
吉田 まあでも、とにかく30歳を越えてからですもんね、全部。
中村 そうですね。関脇もそうですし、三賞もたくさんいただきました。でも、師匠がずっと言ってたのが「記録よりも記憶に残る力士になれ」と。
吉田 尾車親方は盛んに言っていましたね。
中村 これは僕が横綱に張り手をした時の話なんですが……。(つづく)
(構成=日刊ゲンダイ編集部)
▽中村雅継(なかむら・まさつぐ)本名は大西雅継。1982年、大分県佐伯市出身。2004年に尾車部屋に入門し、同年1月場所が初土俵。05年新十両、06年新入幕。19年に引退するまで、長く幕内の土俵を務めた。現役通算94場所で、649勝642敗30休。三賞10回、金星8個。最高位は関脇。



















