沢田研二
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音楽番組がまた姿を消す「with Music」「週刊ナイナイミュージック」がたった2年半で撤退
この3月で日本テレビ系「with MUSIC」とフジテレビ系「週刊ナイナイミュージック」が終了する。 ただでさえ少ない音楽番組がまた姿を消してしまう。 「with MUSIC」は2024年春に土曜午後8時枠でスタートし...
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【感謝】「もっと沢田研二~」はこれで最終回。そして来週からは……
さて突然ですが、この連載「もっと沢田研二の音楽を聴く 1980-1985」が、今回をもって最終回を迎えることとなりました。 11カ月のお付き合いでしたが、週2本、かなりマニアックな内容を書ききった自分を、自分でほめてやりたい...
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【ザ・ベストテン】に沢田研二が出られなかった日は桑田佳祐が出てきた日
昨年の5月9日、スージー鈴木のレコード研究室Vol.24「沢田研二の音楽を"爆音で"聴く」を開催した南青山BAROOMが閉店することとなりました。 私の本拠地でもありますし、とても残念なのですが「レコ研」自体は、六本木で新装...
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【桑田佳祐】誕生日記念、沢田研二とマイケル・ジャクソンとの意外な関係
来たる2月26日は、桑田佳祐70歳のお誕生日である。桑田佳祐が古希になる日本を私たちは生きている。 それどころか、約2週間後の3月13日は、沢田研二とゆかりの深い佐野元春の古希バースデーだ。 1956年、「もはや戦後...
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【今日は一日“ジュリー”三昧】での『不良時代』の説明に出てきた吉田拓郎
天下の朝日新聞(22年6月25日)が「吉田拓郎さん、第一線から退く意向 テレビ出演、来月引退」と、報じていたのだから、確かに引退宣言していたのだ。 しかし2月2日のニッポン放送『オールナイトニッポンPremium』の中で、吉...
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【太陽を盗んだ男】のポスターをデザインしたのは誰だったのか
映画監督・長谷川和彦が亡くなった。誤嚥性肺炎による多臓器不全とのこと。享年80。それにしても最近の死因に(誤嚥性)肺炎、多いなぁ。 さて「長谷川和彦×沢田研二」といえば、映画『太陽を盗んだ男』(79年)である。名作、というか...
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【ザ・タイガース】はジャズ喫茶では「タイガーズ」だった!?
我がBS12に『船越英一郎の昭和再生ファクトリー』という番組がある。 「我が」というのは、私が唯一レギュラー出演していたテレビ番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』の放送局だからだ(復活希望)。 昨年秋に放送されたと...
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【A・C・B】と新宿ACBとザ・タイガースと「登亭」について
私は行っていないのだが、今月開催されたコンサート「沢田研二 2026 LIVE! freedom 安堵 courage」で『A・C・B』が選曲されたらしい(3公演終わったので、ネタバレにはならないだろう)。 2000年のアル...
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【山本太郎】と沢田研二による13年前のJR荻窪駅前「ライブ」のこと
世の中に舌鋒鋭く物申す日刊ゲンダイである。最近では日刊ゲンダイ発のフレーズ「チンピラ維新」が一種の流行語のようになっていて頼もしい。 というわけで、日刊ゲンダイDIGITAL傘下の本連載でも、ちょっとだけ政治ネタを取り扱って...
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【宝島81年5月号】に載った沢田研二とロッド・スチュアートの記事のこと
先日発売された雑誌『昭和40年男』2月号、特集「俺たちを直撃したパンク/ニューウェイヴの衝撃」を読んでいると、突然、沢田研二の顔が出てきたのでした。 35ページの「宝島が伝えたパンク/ニューウェイヴ」というコーナー。「宝島」...
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【ザ・ベストテン】沢田研二1位列伝と「TOKIO」が持つ珍記録のこと
ご存じのように、久米宏さんがお亡くなりになりました。享年81。謹んでお悔やみ申し上げます。 さて、沢田研二×久米宏というと、やはりTBS系『ザ・ベストテン』ということになります。 この連載では、「【ザ・ベストテン】沢...
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【君だけに愛を】のイントロと速弾きギターソロの弾き方考察
タイトルが「もっと沢田研二の音楽1980-1985」という割には、「1980-1985」という枠内の作品や出来事に関するコラムが少なく、より古い話が多いのはすいません、私の趣味の致すところでして。 今回もまたザ・タイガースの...
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【井上陽水】86年の神宮球場で沢田研二提供曲を盛り上げた「ケンジ」
1月10日の夜は、期せずして「80年代の井上陽水と安全地帯ナイト」 となりました。NHK BSで午後9時から『【伝説のコンサート】 井上陽水&安全地帯 1986 神宮球場』がオンエア。そして午後10時からは、CSの「TBSチャンネル...
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【近田春夫&ハルヲフォン】の「『花の首飾り』の楽譜が風でぶっ飛んだ事件」
前回に続いて、近田春夫の新刊『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)にあった、「近田春夫&ハルヲフォン」のメンバー、恒田義見(ドラムス)と高木英一(ベース)と近田春夫との鼎談から。 シングル『FUNKYダッコ...
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【近田春夫&ハルヲフォン】はなぜ『僕のマリー』をカバーしたのか
あけましておめでとうございます。 さて、私の年末年始のお供は近田春夫の新刊『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)でした。 近田春夫について私は、そこかしこで触れています。一言で言えば、私が今、音楽に...
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【元日に発売】された沢田研二のレコードといえば、やはりあの曲
いよいよ押し迫ってきました。今年もお世話さまでした。 日刊ゲンダイで『沢田研二の音楽1980-1985』という連載が始まったのが昨年の10月。約半年連載が続き、4月には『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』(日刊現代)を...
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松田聖子で完成する歌謡曲との対立から融合への大きな過渡期
1975年の音楽シーンをつぶさに観察して思ったのは、歌謡曲とニューミュージックの融合ぶりである。そして思ったのだ。「ニューミュージックって、歌謡曲の敵じゃなかったっけ?」と。 まずもって、この年のレコード大賞が、人気フォーク...
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【12月に発売】された沢田研二のアルバム/シングルとは?
いよいよ押し迫ってきました。 ここで気になるのは「12月に発売された沢田研二のレコード、CDは?」ということです(気にならないか)。 まずアルバムからいきましょう。12月発売の沢田研二のアルバムは、案外多いですね。9...
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【京都府立鴨沂高校】という沢田研二の出身校の歩き方
所用があって、京都に行ってきた。ということは、京都府立鴨沂(おうき)高校に立ち寄らなければならない。いうまでもなく、沢田研二の出身校である。 他の著名な出身者には、森光子、山本富士子、田宮二郎、加茂さくら、大信田礼子など。「...
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複雑なコードとリズムを世に広めた編曲 松任谷正隆の偉業
スージー鈴木が(今さら・勝手に)選ぶ1975年レコード大賞。今回は、作詞賞・作曲賞・編曲賞の3賞を発表したい。 まず「作詞賞」を中島みゆきの「時代」に。この曲を取り上げたときにも書いたが「時代」の歌詞が持っている、とんでもな...
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その後の主調となった大賞受賞曲の感傷的な過去への執着
1975年の日本レコード大賞。まずは候補曲10曲。中継の中での紹介順で(★=歌唱賞、★★=最優秀歌唱賞、★★★=大賞)。 ▼野口五郎「私鉄沿線」★、小柳ルミ子「花車」★、布施明「シクラメンのかほり」★★★、八代亜紀「ともしび」...
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【1976年の大みそか】に沢田研二をいなくさせた「イモジュリー事件」とは?
1976年の日本レコード大賞、NHK紅白歌合戦に沢田研二の名前はなかった。つまりこの年の12月31日は「沢田研二のいない大みそか」だったのだ。なぜいなかったのか。ある事件が勃発したからである。その名も「イモジュリー事件」。 ...
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今年のことを語っているようなMVP五木ひろしの曲紹介
この年のNHK紅白歌合戦について。前回は、笑福亭鶴光でまるまる1回分使ってしまったが、今回はいよいよ、出場歌手の歌について。 まずはやはり、紅組トップの岩崎宏美「ロマンス」を。今年(2025年)紅白の出場が決まった岩崎宏美だ...
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【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと
前回は、1978年の紅白で、沢田研二が原田真二へ送った、音楽愛が弾け出るようなメッセージを紹介したが、そんなケンジとシンジが音楽でコラボするのは、1978年から6年後、1984年のことだ。 沢田研二のアルバム『NON POL...
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【1978年紅白】で沢田研二が原田真二に送ったメッセージとは
前回、お知らせした、1978年の紅白を振り返るイベント(スージー鈴木のレコード研究室『1978年紅白再現ナイト』)はおかげさまで満席となりました。 その準備で、同年の紅白を何度も見た。「あっ」と思ったのは、この年初出場(そし...
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【時の過ぎゆくままに】は1975年のレコード大賞と紅白でどう曲紹介されたか
(前回からの続き)では、1975年のTBS『輝く日本レコード大賞』で、沢田研二の『時の過ぎゆくままに』は、どのような言葉で紹介されたのか。 文化放送『決定!全日本歌謡選抜』で名高い小川哲哉による曲紹介の前に、総合司会の高橋圭三...
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【時の過ぎゆくままに】がレコ大歌唱賞に選ばれなかった沢田研二の心境
日刊ゲンダイの連載「1975~そのときニューミュージックが生まれた」用に、1975年の大みそかに放送されたTBS『輝く日本レコード大賞』の映像を見た(録画したVHSをデジタル化して保存している)。この年のレコ大候補10曲。 ・...
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【11月18日】の日本武道館で2011年12月のパシフィコ横浜を思い出した
ある意味、前回の続きである。 11月18日の日本武道館でのコンサートで、14年前にパシフィコ横浜で行われた沢田研二コンサートを見たときの気分を思い出したのだ。 それは、岸部一徳と森本太郎、そして長らく芸能界から身を引...
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【古田たかし】との奇妙な出会いを11月18日の日本武道館で思い出した
11月18日、日本武道館に行ってきた。むろん、沢田研二ツアー「霜柱と蝋梅の森」のツアーファイナルである。席は2階東スタンドのQ列15番。舞台の右上の方から眺め下ろす位置だ。 それにしても「蝋梅」って、何て読むんだ? 答えは「...
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【故・渋谷陽一】が「1973年」の沢田研二について書いた記事を読む
今年亡くなった音楽評論家・渋谷陽一。言うまでもなく雑誌『ロッキング・オン』や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」を運営するロッキング・オン・グループの総帥だった渋谷陽一である。 そんな渋谷陽一が、沢田研二について...
