ホッピー3代目・石渡美奈社長を直撃 クラフトビール加えた総合飲料メーカーの今後、“3つの車輪”で目指す未来
「おやじさんは本当はビールをやりたかった」
「だから『ホッピーはお助けマン』と教えられました。普段は目立たない。でも振り向けばそこにいて、人のピンチに力をくれるんです」
その言葉が腹に落ちたのは、東日本大震災だった。ホッピーと焼酎を4トントラックで被災地へ運び、荷台を開けるとすぐに被災者が集まった。戦後も震災後も、ホッピーは長い夜に寄り添ったのだ。
その後も、順風満帆ではない。1980年代以降、サワーやチューハイ、さらに発泡酒に押され、売り上げは低迷。それでも2代目・光一氏はドイツから技術者を招き、世界水準のホップ、酵母、醸造設備を導入。厳しい時代にも「本物」志向を貫いた。
転機は1994年に訪れた。ビール製造免許の最低数量が年間2000キロリットルから60キロリットルへ緩和されると、翌年、地ビール免許を取得し、「赤坂ビール」「深大寺ビール」の醸造を開始。初代の夢は、半世紀を越えて実を結んだ。
「父が『おやじさんは本当はビールをやりたかった。僕はおやじさんの夢をかなえたんだ』と話した場面を、今もはっきり覚えています」
その言葉が一人娘を家業へ呼び戻した。広告代理店などで働いていた美奈氏は、反対する父を1年以上かけて説得し、97年に入社した。
「うちってビールを造る会社になるんだ。面白そうだなと。ビールがなければ、私はホッピーに入っていません。私の運命を決めてくれた存在です」


















