ホッピー3代目・石渡美奈社長を直撃 クラフトビール加えた総合飲料メーカーの今後、“3つの車輪”で目指す未来
初代・石渡秀氏はわずか10歳で起業
本物へのこだわりは初代・石渡秀氏に始まる。1905年、10歳で赤坂の陸軍駐屯地に餅菓子を納め、後にラムネ製造に乗り出す。夢はビール造りだったが、酒税確保のための製造免許は大規模生産を前提とし、後に年間2000キロリットルとされた最低製造数量は小さな会社には越えられない壁だった。大正末期、流行の“ノンビア”も、「水に苦みや泡を加えた代用品だ」と製造を断った。
「商人なら売れる物を造りたいじゃないですか。でも祖父は『はやり物をやっても仕方がない。お客さまに自信を持って売れる本物を』と。ビールを造れなくても、まがい物には手を出しませんでした」
初代は諦めなかった。ラムネ工場を構えた長野の農家から本物のホップを譲り受け、弟を醸造試験場へ通わせて研究を重ねた。戦争による中断を挟み、苦節約20年。こうして1948年、ホッピーは誕生した。
終戦直後、ビールは高根の花。闇市の粗悪な酒も、ホッピーで割れば臭みが和らぎ、安くおいしく飲めた。首都圏の庶民に広がり、赤ちょうちんの大衆文化として定着した。


















