阪神はなぜ甲子園前の“一等地”を買わなかった? 勝負せず、守りも甘い“事なかれ主義”のDNA
2リーグ分裂(1950年)の際の若林、別当、本堂、呉ら7人の阪神脱退劇は球団の屋台骨を粉々にしそうな事件といえた。阪神の代名詞「お家騒動」のはしりである。
他人の不幸にほくそ笑む悪党は世に多い。2リーグ分裂の生みの親のひとり、巨人の正力松太郎は阪神から毎日(新聞)へごっそりと主力選手が逃げた騒ぎを横目にたばこを思い切りくゆらせた、という。
「阪神は最初、毎日主導のパ・リーグへ行くと決めたんだ。ところがさ、いつの間にか俺んとこのセントラルに入りたいと。うちと試合をしなきゃあ、カネが入らねえことがわかったんだろ。なんでもタイガースはパ派とセ派の2つの意見でもめてたんだってよ。がははは」
正力の高笑い。今のナベツネの高笑い。うり二つである。
※この原稿は2021年、日刊ゲンダイ「阪神特別号」に掲載されました。


















