語り部の経営者たち
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エネクラウド 田嶋義輝社長<5>一度、失敗してもめげない
中小企業の割高な電気需給契約の見直しと再契約を支援するサービス「電気削減クラウド」を展開しているエネクラウド社。契約企業は開始2年で約1600にも上る。 発想の原点は、社長の田嶋義輝が前職で…
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エネクラウド 田嶋義輝社長<4>前職で理解を得られず独立を決意
主に中小企業の割高な電気需給契約の見直しと再契約を支援する「電気削減クラウド」というサービスを展開しているエネクラウド社。契約企業は、サービス開始2年で約1600社にも上る。 この事業の発想…
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エネクラウド 田嶋義輝社長<3>電気料金で損する会社と得している会社がある
企業が払っている割高な電気料金の見直しを支援している「エネクラウド」社。支援を受けると、企業の電気料金は平均10・2%も下がるとあって引き合いが殺到し、契約企業は開始2年で約1600社にものぼってい…
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エネクラウド 田嶋義輝社長<2>電気料金が下がらなかったら費用はもらわない
企業が支払っている割高な電気料金の見直しを支援している「エネクラウド」社。契約内容や使用明細が複雑で、結果的に使用実態に見合わない、あるいは割高な契約になりがちな企業の電気需給契約。その見直しと再契…
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エネクラウド 田嶋義輝社長<1>電気代が10%も安くなる…中小企業の電気使用契約見直しを支援
スマホにリモートワーク、EV(電気自動車)……世の中、ますます電気がないと成り立たなくなってきている。比例して、電気料金もバカにならない家庭も多いのではないか。 家庭がそうなのだから、企業も…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<8>外部環境を経営の言い訳にしない
林が社長に就任した2000年当時、ひかり味噌󠄀は約52億円を売り上げていた。 まずは、3年単位のローリングプランとして、年商100億円を目指す同社初の中期経営計画「ステップ100」を作成した…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<7>黒子に徹した経営から自社ブランド開発へ
ひかり味噌󠄀は業界第3位の味噌メーカーである。国内の知名度という点では業界1位、2位の老舗味噌メーカーに水をあけられているが、それには理由が2つある。 1つは、自社ブランドではない受託事業で…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<6>物足りない同族経営から組織経営へ
林はひかり味噌󠄀に入社した当初、セイコーエプソン時代に比べて、さまざまな面で物足りなさを感じていた。 役員は皆同族で、父や叔父、弟しかいない。 「ひかり味噌󠄀の役員会議なんて、エプソン…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<5>2年に及ぶ父の説得に根負けして…
林がセイコーエプソンに在籍した当時、社長を務めていた服部一郎氏は、国際派経営者として知られていた。 ソニーの盛田昭夫氏に代わり次世代を担う日本人経営者として、アメリカの主要週刊誌の表紙を飾っ…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<4>イギリス勤務時代は最も充実していた
林はひかり味噌󠄀に入社するまで、セイコーエプソンに12年間勤務した。そのうち最後の5年はロンドンに駐在した。 営業エリアはイギリス本国だけではなく、スカンディナビア半島の諸国、さらにはサウジ…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<3>セイコーエプソンでアメリカ担当に
ひかり味噌󠄀は長野県に本社を持つ、業界第3位の味噌メーカーだ。 林は4代目に当たるが、大学を卒業する頃はまだ家内工業に毛の生えた程度の規模で、会社を継ぐという考えはなかった。 とにか…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<2>原点は英語にのめり込んだ中学生時代
ひかり味噌󠄀の本社は長野県の諏訪湖近くにある。 林が生まれた頃、ここには本社を兼ねた自社工場があり、敷地内に住まいがあるという職住近接の環境にあった。 「今でこそ、この辺りは交通量の多…
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ひかり味噌󠄀 林善博社長<1>全米を駆け回り「有機味噌」を世界に
ひかり味噌󠄀は、味噌王国と呼ばれる長野県で後発ながら、独自の戦略で業界第3位に躍進しているメーカーだ。 同社の特徴は“無添加”および“有機”の味噌にこだわっていること。 「無添加 円熟…
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ダイオーズ 大久保真一社長<8>07年の東証1部上場と原点回帰の「小僧寿し」
「ちょうどダスキンのフランチャイジーで全国1位になった頃でしょうか、『日本一の米屋になるという話はどうなったんだ』と父に言われました。その頃は社名も米屋おおくぼで、私もはたと立ち止まってしまって。どう…
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ダイオーズ 大久保真一社長<7>米国進出とM&A…足元を固めることを重視
アメリカでOCS事業を展開するにあたり、大久保氏は1988年にカリフォルニア州にダイオーズUSA設立した。ただ、実際はその10年も前からアメリカのOCS市場を見ていたという。 「アメリカのOC…
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ダイオーズ 大久保真一社長<6>日本初のオフィスコーヒーサービスはこうして生まれた
日本初のオフィスコーヒーサービス(OCS)事業の準備を進めていた大久保氏。事業の肝となるコーヒーマシンはアメリカから輸入するつもりでいた。ところが電気用品安全法にのっとって日本仕様に改良する必要があ…
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ダイオーズ 大久保真一社長<5>勝因はオフィス市場に着目したこと
ダスキンのフランチャイジーになったことで店の売り上げを伸ばした大久保氏は、ダスキンの商品に可能性を感じていた。しかし、米穀店のルールで営業エリアが決められている以上、既存のお客さまへの販売にも限界が…
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ダイオーズ 大久保真一社長<4>家業の米穀店を日本一にするべく「配達スーパー構想」
家業の米屋を日本一にするために、大久保氏は渡米前から準備を始めていた。全国の米穀卸売業者が組織する全国食糧事業協同組合連合会(全糧連、現・全国米穀販売事業共済協同組合)の本部に「欧米での研修から帰国…
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ダイオーズ 大久保真一社長<3>“海外の夢”を捨てきれず渡米、現地で流通の仕組みを学ぶ
大学卒業後は海外で働きたいと考えるようになった大久保氏。しかし、1960年代初め頃に海外進出している企業は商社ぐらいだったという。 「だから就職活動では商社ばかり受けましたが、英語が苦手だった…
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ダイオーズ 大久保真一社長<2>得意の簿記を生かし中央大商学部に合格
高校に進学した大久保氏だったが、当初は予定が3年ずれただけで卒業後は大阪に奉公に出るつもりだった。しかし、高校生活を送るにつれて心境が変わっていく。 「商業高校なので簿記の授業があるんですが、…