語り部の経営者たち
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imperfect 佐伯美紗子社長(2)社会の仕組みを変えたくて商社に入社
社会課題に配慮されて作られたナッツやチョコレート、コーヒーなどを販売する企業「imperfect」に2019年の立ち上げから関わり、22年8月から社長を務めている佐伯美紗子。 佐伯が社会課題…
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imperfect 佐伯美紗子社長(1)子どもの頃、メキシコで知った社会の現実
生産地の環境やジェンダー、農家の経済的自立に配慮されて作られたナッツやチョコレート、コーヒーなどを販売しているimperfect。 表参道ヒルズに2019年にオープンした旗艦店「imperf…
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夕月 清水淳子社長(8)創業家が全てを決めるワンマン経営の弊害で恐ろしいトラブル発生
かまぼこのハイシーズンは12月。おでんや鍋料理、そして正月のお節料理で需要が急増するからだ。夕月では年間売り上げの約3割を1カ月で叩き出す。ところが2018年12月、生産が追いつかない事態が発生した…
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夕月 清水淳子社長(7)2018年に社長就任 “季節商材”特有の問題解決に着手
東日本大震災という大きな試練を乗り越えたものの、食生活の変化によるかまぼこ市場の低迷、価格競争の激化、そして昨今の原材料費など諸経費の増大……。夕月が克服すべき課題は少なくない。 清水社長は…
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夕月 清水淳子社長(6)震災で行き場を失った「かまぼこ10万本」 避難所に無償配布を決断
2011年3月11日に発生した東日本大震災。夕月本社は津波に襲われなかったが、工場に大きな被害が出て操業を停止せざるを得なかった。そればかりか、約10万本もの商品が行き場を失い工場に山積みになってい…
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夕月 清水淳子社長(5)3.11で冷凍庫が故障 かまぼこ3カ月分の原料すり身がピンチに
その日は冬型の天気で、いわき市は冷たい北風が吹いて肌寒かったが、日中は晴れていた。夕月には午前中、大手スーパーのバイヤーが商談を兼ねて都内から工場見学に来ており、慌ただしく時が過ぎていた。 …
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夕月 清水淳子社長(4)29歳で故郷いわき市にUターン 3児の母親と「かまぼこ」の両立
東海大学を卒業した清水社長が就職したのは、都内・池袋にあった会員制リラクセーションクラブを運営するセゾン系の会社。「日本初の女性専用」をセールスポイントに、富裕層のマダムや子女が主な顧客だった。 …
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夕月 清水淳子社長(3)「♪ゆーゆー夕月かまぼこだー」のCMが大反響、増産に次ぐ増産
札幌で冬季五輪が開催された1972年は、夕月にとってもエポックメーキングな年だった。同年4月から1年間、フジテレビ系で全国放映された人気アニメ「赤胴鈴之助」のスポンサーになったのだ。当時の家庭は現在…
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夕月 清水淳子社長(2)魚をつぶしてすり身にして蒸す…両親と職人は朝から晩まで働いた
清水社長は夕月の2代目・四家栄安氏の2男2女の末っ子として1962年に福島県いわき市江名で生まれた。その頃日本は高度経済成長の真っただ中。2年後に最初の東京五輪を控えて好景気に沸いており生活環境だけ…
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夕月 清水淳子社長(1)東日本大震災で甚大被害を受けた「老舗かまぼこメーカー」復活の軌跡
「♪ゆーゆー夕月食べましょうー、ゆーゆー夕月かまぼこだー……」 1980年代にこんなテレビCMで一躍、人気ブランドとなった老舗かまぼこメーカー「株式会社夕月」。創業は1962年。前身の「マルヤ…
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時代屋 藤原英則社長(7)見たい景色を追い求めていたら後から時代がついてきた
定年退職後は、時代屋に専念できるようになった。インバウンドの増加で浅草も活況を呈してきた。 そんなとき、新型コロナウイルスのパンデミックが起こり一転、閑古鳥が鳴くようになる。 廃業を…
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時代屋 藤原英則社長(6)37年間のサラリーマン経験が今につながっている
バブル経済期には、日本のメーカー数社がハリウッド進出などメディア事業に参戦したが、結局成功したのはソニーのみ。東芝も撤退を余儀なくされる。 2003年、藤原が所属するメディア事業部が解散した…
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時代屋 藤原英則社長(5)扱うものは古くても、常に新しいことにチャレンジ
藤原は東芝社員としての仕事、時代屋の経営という二足のワラジを死に物狂いで履き続けた。岐路に立たされたことは何度もある。 「もういい加減、やめてほしい」と、何度も妻に言われた。 藤原が平…
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時代屋 藤原英則社長(4)エンターテインメントを提供する仕事がしたい
東芝の産業機器事業部で営業企画を担当していた藤原は、サッカーW杯フランス大会が目前に迫っていた頃、業務提携をするフランス企業商品の販売促進を担当することになる。1998年、営業成績優秀者をW杯に招待…
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時代屋 藤原英則社長(3)東芝での転勤辞令、「二足のワラジ」に危機
藤原は東芝に勤務しながら、趣味で人力車のサークルをつくり、休日にイベントに参加しては人力車を引いていた。 「そうしているうちに、人力車は珍しいものだから目立つみたいで、イベント会社からお誘いが…
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時代屋 藤原英則社長(2)31歳で再び人力車サークルを立ち上げる
時代屋は、浅草で観光人力車などレトロエンターテインメント事業を展開する会社である。 1979年、藤原は同志社大学を卒業した後、東芝に入社した。 最初の配属先は中部支社。電動モーターや…
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時代屋 藤原英則社長(1)浅草を盛り上げる「観光人力車」のパイオニアは副業の達人
いまや、浅草観光のアトラクション的存在になっている人力車。時代屋は、浅草で観光人力車を初めて走らせたパイオニアである。 昭和初期までは日本一の盛り場だった浅草も、藤原が事業を開始した1990…
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井川意高・大王製紙元会長(4)すぐに辞めたのは失敗、井川家追放のクーデターを許してしまった
もともと、賭け事は嫌いではなかった。小学校4年の時から両親、弟の4人で麻雀卓を囲んでいた。家族麻雀といっても、しっかり賭けていた。「真剣じゃないと面白くない」という父・高雄氏の提案だった。 …
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井川意高・大王製紙元会長(3)専務昇格後にオーストラリアでバカラとの運命的な出会い
東大卒業後に入った簿記の専門学校には数回、出席しただけだった。テキストを見れば、大体のことはわかり、独学で原価計算ができるようになっていた。 「大王製紙で働く前に猶予期間をもらったというのが本…
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大王製紙 井川意高元会長(2)父に鉄拳制裁を受けながら英語を学んだ筑駒中時代
「東京営業本部を立ち上げたのは、自身がこちらに来る理由をつくるのが大きかったと思う」 1975年早々、父・井川高雄氏はオイルショック後の事業立て直しに、自ら東京営業本部長となり上京した。 …
