保阪正康 日本史縦横無尽
-
和平主義者・吉田茂を徹底的に監視した東條英機首相のやり口
近衛上奏文の内容は、実は陸軍側に漏れていた。近衛が、天皇に会う前日に、吉田の自宅(東京・永田町。他に大磯に別邸があり、所用がない時は大磯で過ごした)を変装姿で夜に訪ねている。2人とも陸軍の憲兵隊から…
-
吉田茂はなぜ近衛上奏文で共産主義を利用したのか
近衛上奏文の前半は論理的に日本、ドイツの劣勢な戦況が語られている。いわば戦争の決着はついているという意味になる。ところが後半になると感情的に共産主義の陸軍内部への伸長の警告となる。次のような一節もあ…
-
近衛文麿と吉田茂は上奏文で天皇を揺り動かした
吉田茂の評伝を平成に入って書こうと机に向かった時に、結局吉田をどう見るかと具体的に検証していくと、2つの柱を立てなければならないと気がつく。近代史では軍人の戦略、政略に反対だということ。そして現代史…
-
「私に秘書官は務まりません」徹底的に軍人嫌いだった吉田茂の異質さ
昭和10年代前半に駐英大使を務めるのは、相当に心労の多いことであった。ヨーロッパではナチスドイツが軍事で周辺諸国に圧力をかける。日本の軍部はそのヒトラーと同盟を結んで、枢軸体制を固めようとしていた。…
-
貴族趣味、軍人嫌い、権謀術数、英米史観…吉田茂という人物
吉田茂の評伝を書くにあたって、私は東條英機のような手法ではなく、独自の手法で取り組んでみようと思った。なぜなら何人もの政治家や外交官仲間、さらには官僚に話を聞いても全て大体の話が出ていることがわかっ…
-
父を客観的に見る目 昭和の終わり頃に聞いた吉田茂の三女、麻生和子の証言
昭和の3つの時期(前期、中期、後期)を象徴する総理大臣は、前期が東條英機、中期が吉田茂、そして後期が田中角栄と私は考えた。昭和史に関心を持つ者として、この3人の評伝は書いておこうと思った。 …
-
反省は敗北…東條英機という軍人には「反省」や「自制」はなかった
東條英機の論法は、主観的願望を客観的事実にすり替えろ、という意味でもあった。誰が見てもグウの音も出ないほど痛めつけられているのに、負けたと認めないのだから、最後は壊滅する以外にない。こんな高校野球の…
-
東條英機の発言や記録などすべてを細かく分析して見えたことは
東條英機の開戦前の号泣は、一面で「戦争せずとの天皇の意思に反して開戦となったことへの申し訳なさ」という見方もできる。私も当初はそのような受け止め方をした。多分常識的にはそういう見方が一般的になるのだ…
-
国民が怖かった? 日米開戦前に泣いた東條英機が恐れたもの
日米開戦を前に、政治指導者が深夜密かに泣いている光景は、私も衝撃を受けた。そんな事実は全くあらゆる資料、証言で紹介されていなかったからだ。しかしカツ夫人は何げなくその証言をしたので、私は二重に驚いた…
-
真珠湾攻撃2日前の夜中、夫人だけが目撃していた東條英機の泣き姿
「ふとした話」というのは、カツ夫人や娘さんに会う頃は、東條英機の秘書や副官に会っていたし、軍内の反東條派だった石原莞爾系の軍人や東亜連盟系の活動家たちとも会って、散々に東條礼賛と批判を聞かされていたの…
-
密かにインタビューに応じた東條英機夫人との交渉
昭和50年代初めに、戦後世代として東條英機の評伝を書いてみようと思い立ち、実際に取材活動に入ってみると、驚くことがいくつもあった。旧軍の戦時下での行動は、確かに傍若無人そのもので、彼らへの怨嗟、怒り…
-
「君は政治団体や思想団体に属していないね。それでインタビューに応じることにしたのさ」
昭和40年代の終わりから50年代の初めといえば、太平洋戦争が終わってからまだ30年ほどである。戦争体験者の方がまだ多かったのではないだろうか。とはいえ私は旧軍人に特別に知り合いはいなかった。それどこ…
-
平成生まれにとって昭和は「歴史」である
新しい年の始まりだが、このシリーズは「昭和史」を歴史の視点で見つめている。令和6(2024)年は昭和に換算すると、「昭和99年」になる。すでに35年が過ぎている。平成の生まれが社会の中軸世代に育って…
-
近衛文麿、幣原喜重郎、石橋湛山…真の政治家になれなかった3人の総理に欠けていたもの
昭和前期、中期、後期の3段階に、相応の識見、歴史観、政策を持っていた総理大臣は誰であろうか。不幸にもその政策が実施されなかったことが、昭和史の不幸だとも言えるわけだが、あえて私は3人の総理大臣をあげ…
-
「昭和」時代の顔となる3人の総理大臣は誰か
近代史と現代史の二つの顔が同居している昭和史。昭和という時代のその顔を具体的に示すエピソードをもう少し語っておこう。総理大臣に選ばれている指導者が、いかに性格や識見、それに人物のタイプが異なるかも極…
-
戦争と平和、昭和史に存在する極端な「2つの顔」の学び方
昭和史の「2つの顔」を描き出すにあたり、もう少しその違いを鮮明にしておく必要がある。この2つの顔は無論どの国も抱え込んでいるわけだが、日本の特異性は「極端にすぎる」という点にあるだろう。 戦…
-
「昭和」は貴重な財産 近代史と現代史という2つの顔を持つ
昭和史は私たちの貴重な財産である。日本が国家として存続する限り、いや昨今の風潮を見ても、日本も早晩西暦で歴史を振り返ることになるのだろう。 しかし、「昭和」という国民的体験はこの元号のもとで…
-
進歩とは何か? 「五・一五事件」は大正期の昭和への反乱だった
橘孝三郎の文化村は、昭和の現実に向き合うことになったのだが、それは図らずも合法と非合法からの接触によって歴史の年譜の中に入り込むことでもあった。 風見章は農業恐慌下での農村救済を橘の理論に託…
-
凶作と金融恐慌、根本から揺らぐ農村…農本主義運動が迎えた転換点
武者小路実篤の新しき村は、大正末期には縮小した形で細々と続けられていく。橘孝三郎の文化村は一時は、やはり自我の衝突があったようだが、橘の個性と教養により理想的な共同体の評価を得ることになった。しかし…
-
武者小路実篤による「新しき村」の頓挫 出版部員の人員整理も
農本主義の実践活動の一つである理想郷づくり、武者小路実篤の「新しき村」が頓挫したことはこうした理想郷づくりがいかに難しいかを語っている。 ここにかけ参じた仲間たちは、これまでの日本社会の定ま…