保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(17)軍人には2つのタイプがいる。1つはたまたま軍人を選んだケース。もう1つは…
長年にわたって、陸海軍の内部に関心を持ち、その実態を調べてきた立場から言えば、軍人には2つのタイプがいることが明白である。 1つは生来、真面目であり、自らをきちんとした道徳律で律することので…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(16)南方での決戦前、将校は病気でもないのに病院船に乗り込んできた
参謀や将校の著す戦史と兵士の著す戦闘体験との間には、基本的な違いがある。いわば命令を下した側と命令を受けて戦った兵士の側とは、単に認識の違いだけではなく、もっと本質に迫る対立が宿っているケースもある…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(15)戦友会には大本営戦史の「国営化」という役割があった
軍隊内部が平時の日常感覚と異なる原理で動いていたことは、兵士の話を聞いていくと実によくわかる。そして戦後になって軍隊内での自らの記憶や戦史の事実を、書として著すのもまた、序列があるように思われるので…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(14)日本陸軍は使いづらい兵隊を激戦地へ懲罰召集していたのだった
暁部隊について論じることは、陸軍内部の2つの問題点を浮き彫りにすることになる。1つは、すでに触れてきたように、暁部隊はある時期から将校にとって使いづらい兵隊を集める部門となったということだ。そして2…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(13)「暁部隊」は次から次へと補充されては死線に送られていた
暁部隊に配属されるということは、「死」を強要されることであった。むろん断っておかなければならないが、開戦当初はそのようなことはなかった。戦況が悪化していくにつれ、民間会社から商船を次々に提供させる段…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(12)歴史ではあまり知られていない戦闘部隊「暁部隊」
日本軍の組織原理に馴染めない者が送られた「別な部隊」とはどのような部隊なのか。 これについて、私は将校や下士官、兵士などに尋ね歩いた。その結果、ある人物に会うことができた。その人物をBとして…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(11)アウトローと上流階級、組織に馴染めない2人の行方
太平洋戦争時、日本軍の兵士たちはどのような感情を持ち、いかなる感覚で戦場での日々を過ごしたのか、それは極めて重大な意味を持つ。なぜなら戦場を支配するのは、たった一つの論理であり、「自分が生きるか死ぬ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(10)一木支隊の生き残りは語った「本軍はすべてがさかさまであった」
前号からの続きになるのだが、ガダルカナル戦に従軍した一木支隊のAさんは、実は支隊長の一木清直の副官の一人ともいうべき立場であった。諸事に気が回り、軍内の各種規則などにも通じていた。高等教育を受けて召…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(9)「日本軍は強かった」、アメリカは初の地上戦勝利を喧伝した
太平洋戦争下で、アメリカ軍が初めての地上戦で勝利を得たことは、アメリカ社会に多大の喜びを与えた。それだけにこの作戦に従事したアメリカの陸軍兵士は、凄まじいプライドを持っている。日本と同じように彼らも…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(8)ガダルカナル島で飢餓状態の兵士を発見した第38師団兵士の証言
次から次へと送り込まれる部隊の兵士にしても、夜陰に乗じて上陸しても補給がなければ戦えない。主力は第2師団、そして第38師団などであったが、最終段階でつぎ込まれた師団の兵士は、とにかくやっとガダルカナ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(7)大本営参謀の甘い見通しで、日本兵はガダルカナル島で飢餓状態になっていった
ガダルカナルの基地奪回作戦は、典型的な後手に回る作戦であった。もともとこの地に航空基地を設営して制空権を確保しようと、日本軍は2500人の兵士や労務者を送り工事を進めていた。アメリカ軍の偵察機はその…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(6)アメリカは日本兵の戸籍偽造用に2つの県を選んだ
ガダルカナルで生き残った一木支隊の兵士たちがつくっている戦友会の話をさらに続けていく。この戦友会は北海道の旭川にあり、会長は大友さんであった。昭和の終わり頃の戦友会を開こうとしていた時で、開催の案内…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(5)アメリカに新しい戸籍と名前をもらって戦後を生きた日本兵の哀しみ
戦友会の会員たちから長期にわたって話を聞いてきたのだが、そういう中からさらに帝国軍隊の歪んだ姿をまずは語り続けたい。日本の軍事機構は単に歪んでいるだけではなく、非人間的な側面を持っていた。そのことは…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(4)「軍隊では話して聴かせるより、暴力でわからせる方がいいんだ」と元高級将校は話した
前号からの続きとなるのだが、ある戦友会でのAの怒りは戦後になっても決して消えていなかった。 軍隊時代に上等兵に凄まじい暴力を受けた下級兵士は、戦後社会で教師という仕事に就きながらも、思い出せ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(3)戦友会という組織は複雑な意味合いを持って成り立っていた
実は一口で戦友会と言っても、かつての兵士仲間が戦争の時代を懐かしがって、年に1回でも集まって往時の思い出話をする同期会のようなタイプもあれば、前述のように戦場体験のフラッシュバックに悩まされる心理的…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(2)「幼稚園のそばに住めずに引っ越した」と漏らす元日本兵もいた
ある戦友会の集まりについて、話を進める。戦友会にはさまざまなタイプ、意味合いがあったのだが、昭和50年代、この戦友会はあるタイプを代表していたのである。 食事のお膳が運ばれてきて、戦友会の会…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(1)兵士たちは密室の中で互いに心を慰め合っていた
戦後80年、太平洋戦争はすでに歴史上の出来事である。現在の日本社会では、戦場体験を持つ者はほとんどいない。考えてもわかるが、敗戦時に20歳の兵士(実際には極端に少ないのだが)とて現在は100歳になっ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(80)私たちは戦時用語と非戦時用語の差異を理解する必要がある
戦時に用いられる用語について、これまでに検証しながらあの太平洋戦争を俯瞰してきた。意外なことに気が付かされたのではないだろうか。日本語は割合、その性格が明確であり、戦時用語は平時の時にはほとんど使わ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(79)天皇免責の証言よりも重かった東條英機の「プライド」とは
東條英機は、日頃から天皇に忠実な臣下の代表者として自負していた。自らが首相、陸相などいくつものポストを抱えて戦争指導を行ったのは、余人に天皇への面談を拒否する意味もあった。その東條が、敗戦後に「天皇…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(78)「天皇を免責するためには、あなたの証言が重要である。自殺はしないように」(下村定陸相)
銃声に対してMPの兵士たちも銃を乱射した。玄関の扉が壊され、兵士たちは東條家の応接間に入り込んだ。そこに映ったのは、応接間のソファに座り、首を垂れている東條英機の姿であった。日本人記者がすばやく部屋…