保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「憲法と日本人」(15)石原莞爾は日米の覇権を求めた「世界最終戦論」を予想していた
石原莞爾の名が出たところで、旧軍人の中でも遠藤三郎とともに、その立場はかなり歴史的であることを確認しておかなければならない。石原の憲法論は、日本社会において全く異質の様相を持っているだけでなく、ある…
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シリーズ「憲法と日本人」(14)日本は根本から出直さなければならない…石原莞爾は先駆けて「戦争放棄」を唱えた
軍人の石原莞爾について、もう少し説明を加えておきたい。私は石原を「時限的憲法論」という枠内で整理している。マッカーサーによる憲法改正の命令よりもはるかに早く、日本が敗戦の代償として軍備を持たない方向…
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シリーズ「憲法と日本人」(13)敗戦の混乱期に公然と「軍備撤廃」を訴えた石原莞爾の慧眼
前述した⑤の「時限的憲法論」に組み込んでいる一つのタイプとして、名前のよく知られた旧軍人の憲法観も紹介しておくべきだと思う。その一人であるように受け止められてきた石原莞爾を取り上げておきたい。昭和の…
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シリーズ「憲法と日本人」(12)「時限的改憲論」…旧軍人はなぜ「9条護憲」へ転じたか
第9条をどのように理解するか、それをこの国の柱としていくか。護憲論、改憲論ともに、それを考えるきっかけになっていることは事実だろう。戦後社会はその葛藤と相克の歴史ともいえる。これまでこのシリーズで論…
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シリーズ「憲法と日本人」(11)「護憲・改憲」二元論の不毛さ、本質は1条と9条のあり方を真剣に考えることだろう
憲法改正が政治日程に上ってきたおりに、あえてその論議を整理することを目的に、この稿を書き進めているのだが、この80年近い間の憲法論はある偏りを見せている、というのが素朴な実感である。護憲論と改憲論の…
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シリーズ「憲法と日本人」(10)理想と現実の狭間で…石橋湛山が詳しくは語らなかった「9条棚上げ論」とは
このシリーズで論じる1項目なのだが、改憲論や護憲論の他にどのような表現があるのだろうか。これまで論じてきた私と半藤一利(故人)の進めていた「百年いかす運動」のような考え方もある。さらに一部の中間政党…
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シリーズ「憲法と日本人」(9)護憲論より心情的な安定感を持つように見える改憲論の正体
人類史が不安定な方向に向かっている時に、本来なら人類の目標ともいうべき第9条を抱えている憲法は、逆に意味を持つとの論もある。しかしそれは、現実にはこの国の国際的地位を高めることにはなっていない。実際…
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シリーズ「憲法と日本人」(8)戦争に巻き込まれる不安が、雑駁だった「改憲論」を現実的なものにしている
戦後80年余を経て、改憲派が有力になった理由について考えてみたい。すでに記したように護憲論は「原則護憲」が軸になり、改憲論は少々雑駁であっても現実的な訴求力を持っているからだろうか。確かに影響力を強…
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シリーズ「憲法と日本人」(7)戦後日本の思考停止を招いた改憲護憲の単純な二元論
改憲論、護憲論と言っても多岐にわたることがお分かりいただけたであろうか。その内訳についてもさして詳しく分析せずに、単純な二元論で憲法を論じることには、それなりに理由があったということであろう。私はこ…
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シリーズ「憲法と日本人」(6)単純な二元論を排す…戦後社会における「改憲論」5つの潮流と本質
戦後社会において、護憲論にはどのようなタイプがあったのか。その内実を私の目で分析し、さしあたり5つのタイプがあることを記してきた。一口に護憲論といっても「改憲的護憲論」もあれば、一切の改正を許さぬ「…
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シリーズ「憲法と日本人」(5)「護憲」という言説の「五つの分流」──その目指すべきものとは
さてこのシリーズで論じていく「憲法」の枠組みについて、これまで3つの視点を挙げておいた。第1回でも触れたが、あらためて整理しておこう。 ①憲法を論じるのにあえて護憲、改憲の枠組みだけに固定しな…
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シリーズ「憲法と日本人」(4)「日本は東洋のスイスたれ」ー平和憲法への熱狂的歓迎が生んだ社会の亀裂
私の憲法に対する原体験は、ほとんど記憶がない。なにしろ小学校の2年生だったので、周辺の大人たちの変化を覚えているという程度だ。しかし私たちの世代は、憲法についてことさらに習うことはなかったとはいえ、…
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シリーズ「憲法と日本人」(3)人も憲法も、生まれや素性をうんぬんするのではなく、どのような働きをするかである
「8.15革命説」についても少々触れておこう。昭和20(1945)年8月15日、日本はアメリカを中心とする連合国が発したポツダム宣言を受け入れるとの、昭和天皇の放送をもって戦闘での敗北を認めた。そして…
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シリーズ「憲法と日本人」(2)今の「非軍事憲法」は大日本帝国憲法が作り出した軍事侵略のアンチテーゼである
「憲法を百年生かそう」というスローガンについて、私と半藤一利の認識、あるいは理解をもう少し説明していきたい。百年持たせるという意味は、昭和22(1947)年5月に施行された憲法を全てそのままに全く手を…
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シリーズ「憲法と日本人」(1)施行から79年。私が「この憲法を100年持たせよう」と提唱する真意
今回からは「憲法」について考えていきたい。 現在の憲法が成立した経緯やそのプロセスを単に追いかけるのではない。そうした史実はすでに多くの書物に記されており、ここであえてなぞる必要はないだろう…
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シリーズ「占領下の日本社会」(134)日本軍の「宿痾」についてつづった特攻隊員の手記は、どこにあるのか
特攻隊員として、昭和19年後半期からフィリピンなどで自らの命を差し出した学徒兵たち。彼らの残した証言や手記などに触れるとき、私たちは国家に命を捧げた彼らの遺志に対し、相応に畏敬の念を抱く。しかし、戦…
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シリーズ「占領下の日本社会」(133)神津直次が明かした「死への勧誘」…人間魚雷「回天」へと誘導された学徒たち
海軍においても、特攻作戦が開始される前から、学徒兵は特攻作戦の予備軍として想定されていた。学徒出陣に前後して、回天や震洋などの特攻兵器の生産は、軍事上層部の了解のもとで一部は開始されていたのである。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(132)学徒出陣の「特操」上原良司の遺言が明かす軍指導部の冷酷な計算
戦時指導者の思惑について、さらに話を進める。学徒出身の特攻隊員が語った言葉、そして戦後に発表された手記を読むと、そこには微妙な表現がいくつも見つかる。 例えば、「きけわだつみのこえ」に収めら…
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シリーズ「占領下の日本社会」(131)体当たりの特攻兵器に「頭脳」を求めたのは軍事指導部も同じだった
大本営の作戦参謀も務めていた軍人が、「いずれ書いてもいいが、戦後90年、100年を経てからだね」とした上で私に明かしたことがある。 「君らのような研究者、ジャーナリストにもあまり知られていない…
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シリーズ「占領下の日本社会」(130)学徒出陣は、首相と陸軍相を兼務した東條英機が机上で生み出した
学徒出陣に関する2つの証言を聞いた時に、私はこの制度がいかに残酷さを秘めているかを実感した。その1つについては、すでに比較的、細かく記述を進めてきた。簡単に言うと、これは「兵役法」そのものの改正を行…
