保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(49)八路軍の「思想教育」日本社会を知り尽くした政治将校の説得術
中国軍に編入されている八路軍は、共産軍を指す名称であったが、その部隊の捕虜になった日本軍兵士は、思想教育や八路軍の規律に納得してその一員に組み込まれることを了解していくことになる。むろん延安での捕虜…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(48)戦いたくない兵士たちを「戦闘員」に変える教育とは
前回書いたように、前線では中国側の捕虜になった日本軍兵士が、かつての自らの所属部隊を訪問するというケースもあった。珍しいケースとはいえ、日本軍兵士の心情は決して戦争へ傾斜する心理だけで語ることはでき…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(47)戦場の転向者たち、捕虜となった日本兵が見た「聖戦」の真実
元兵士たちの動きを詳しく調べていくと、常識では考えられない光景をいくつも想像できる。捕虜として延安で反戦教育を受けた日本兵は、程度の差はあれ、この戦争が聖戦とは言い難いと誰もが思うようになる。日本軍…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(46)日本軍が捕虜になるなと言った本当の理由
中国軍の捕虜になって、思想教育を受け、侵略戦争に加担するのは嫌だと決意した日本軍の元兵士は、前線において日本軍兵士に呼びかけを行っている。呼びかけというのは、中国軍の捕虜になるように説得することだっ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(45)生きるための「転向」、中国・八路軍の「思想教育」
Hの兵士脱出の話を続けよう。山西省の一角に駐屯しているうちに3カ月は4カ月、5カ月と時間が過ぎていった。短期に決着がつくなどというのは、上級将校たちのいい加減な口癖だとわかると、兵士たちは次第に心理…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(44)中国戦線に余裕があった時期だから結核偽装は成功したのだろう
むろんここまでに至るには多くの難問や壁もある。それを乗り越えていくにはなんとしても軍隊生活からは脱出するのだという強い信念が必要だ。これがないと成功はおぼつかない。ただし、ひとたび脱出したならば、結…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(43)Kは患者を偽装するため、軍医の従軍経験や経歴まで調べたという
軍から脱出したいと考える大阪方面の連隊の兵士Kは、上等兵から偽装結核の知識を次々と教えられた。中国戦線の華北に駐屯している部隊は戦況次第ではいつ内陸に転戦を命じられるかわからない。早くに除隊して内地…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(42)兵役逃れの男たちが密かに実践していた「偽装結核」
第2段階の兵士脱出の方法について、より具体的に語っていこう。これから紹介するケースは、その一部をこの連載でもわずかに触れたことがあるのだが、兵士になることを積極的に拒否したという視点でのエピソードと…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(41)東京下町育ちの大工Mが成功した徴兵拒否の方法
徴兵拒否のケースをもう少し語っていこう。 兵隊検査を受ける前の段階(第1段階)で、それを拒むいくつかのケースに触れたのだが、この場合はかなり大胆である。つまり戦争という国策を進める国家に対し…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(40)日本政府の上手を行っていたアメリカ側の戦後調査
戸籍抹消をして、兵士になるのを拒否したケースの話を紹介したが、前回まで語ってきたEの例を詳細に調べているうちに、私は戦時の統計や数字にはカラクリがあることがうかがえてきた。戦争というのは国民が多様な…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(39)死亡届を偽装したEを翌年に死んだことにした役場の謎
死亡届を投函しても、すぐにはなんの連絡もなかった。しかし1カ月ほどすると、本籍地の役場から死亡届だけではダメなので、埋葬証明書も送るようにと連絡があった。それを見たE夫人は首をかしげたが、Eは「気に…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(38)家族を守るために自らの死を装った農村青年
実は50年近くにわたり昭和史の内実を探る中で、本当にこんなことがあるのか、という話をいくつか聞いてきた。兵役逃れの話で言うならば、20歳を過ぎた農村青年が、7、8歳年上の兄が亡くなった時に、自身を死…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(37)内臓疾患、失明寸前という状態で兵隊検査に臨んだある国のA
Aの話を続けよう。毎日酒を飲みながら外を走る。むろん内臓に疾患があるがごとき状況をつくるためである。さて検査当日である。むろん同じように酒を飲み、走る。そして検査会場の近くまでも走っていく。着替えて…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(36)命懸けで「兵士」を拒んだ男の証言から見える、もう一つの戦場
日本軍兵士の戦場体験を語っていく。私の取材で集めた兵士たちの証言、さらには兵士として従軍した折の体験などさまざまな内容をできるだけ丹念に描写していきたいと思う。 今回から「兵士」になることを…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(35)命令を下しただけの上級将校と実際に手を下した兵士たちの戦後
リットン調査団に近づいてくる中国人は殺害せよとの命令をどの程度実行したか否かは不明だが、M自身、その命令をどの程度実行したかについては語らなかった。しかし兵役に就く前に普通の一般商社でビジネスに明け…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(34)リットン調査団の護衛と称して関東軍が中国でしていたこと
戦時下の日本軍兵士の現実の姿、あるいは兵士たちが戦後になって証言したその体験、そうしたことをこれから何回か、紹介しておく。兵士というのはむろん戦場で戦わされる存在であり、いわば戦争当事国の青年にとっ…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(33)2日間の試験的な巡幸で天皇の姿は国民はようやく可視化された
2日間の試験的な巡幸は、天皇にも国民にも多くの示唆を与えた。むろん宮内省の天皇側近にも教えることは多かったのである。それはGHQ(連合国軍総司令部)にも同じことで、彼らはこの機会をはじめとしての全国…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(32)捕虜として収容所に長く拘束されていた復員兵たちの冷めた目線
稲荷台共同宿舎での、復員兵や帰還家族と天皇の会見の模様をもう少し触れていこう。 復員兵には、必ず「糧食に不足はなかったか」と尋ねるのも天皇の定番の質問であった。この質問が最も兵士たちに答えや…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(31)東條英機が隠した国民の「真の姿」、天皇と帰還兵の会話の中身とは
天皇と南方要域から帰還した兵士との会話をさらに紹介したい。戦時下の天皇は、兵士の声など全く聞かされていなかった。それだけに驚きと衝撃を受けたことは間違いなかった。東條英機首相をはじめとして、軍事の指…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(30)天皇巡幸は兵士から戦時指導者への「告発」の意味さえ込められていた
厚生省(当時)援護局の係員がまとめた横須賀周辺の引き揚げ者寮や宿舎での、天皇と外地(サイパン、グアム、テニアン、フィリピンなど)からの復員兵のやりとりの記録は、すさまじい内容であった。兵士、下士官は…