保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「占領下の日本社会」(89)冷戦構造が変えた日本の占領政策 GHQの主導権はGSからG2へ
占領後期の日本社会は今にして思えば、そこにはいくつもの変化があった。前回にも触れたが、昭和24(1949)年はいわば「黒い霧」と呼ばれるいささか不透明な事件が相次いで起こっている。大体が国鉄がらみで…
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シリーズ「占領下の日本社会」(88)昭和24年1月の天皇・マッカーサー会見が占領政策の分岐点になった
昭和23(1948)年の1年間、天皇巡幸は休止状態になった。昭和23年は「微妙な年になるから」というので、天皇が国民の前に顔を出すのは制限したということもいえるだろうか。同時にこの休止期間は、アメリ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(87)中断された「天皇巡幸」…GHQが恐れた日本国民の反応
GHQ内部の改革派将校らが予期した「不祥事」は、現実には起こらなかった。天皇に悪罵を投げつける不満分子も存在するのではないかと、彼らは予想していたが、そうした動きも皆無だった。日本側では、戦前・戦時…
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シリーズ「占領下の日本社会」(86)戦後の民主改革路線は昭和天皇とマッカーサーの合作と言えよう
昭和天皇も国民も、「天皇巡幸」という儀式を通して、いわば、それぞれ新たな社会通念を確認することになった。国民の側からは、天皇は神権化した存在ではなく、人間天皇として国家の一機関を構成しているという了…
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シリーズ「占領下の日本社会」(85)「もう戦争の時代は終わったのだ」――昭和天皇の「神奈川巡幸」を検証する
天皇が涙をこらえているのは、随行の者にはすぐに分かった。サイパンやグアムなどからの一般の家族が、いかなる運命を背負わされたか、天皇はよく知っていたからだ。 さらに南方から引き揚げてきた兵士の…
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シリーズ「占領下の日本社会」(84)「戦争は怖かった?」天皇が涙をこらえた巡幸の記憶
昭和天皇が、試験的に行った神奈川巡幸で、最も大きな収穫を得たのは、庶民との対話の息遣いを知ったということだった。それまで天皇は庶民と対話をしたことはなかった。昭和20年の終戦までは、侍従や侍従武官、…
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シリーズ「占領下の日本社会」(83)庶民との会話で「軍事」から解き放たれた人間天皇の誕生
昭和天皇が国民の前に姿を現し、自らの胸中を率直に示して戦争への反省を表明したことは、2つの勢力に異なった反応を示した。 一つはGHQ(連合国軍総司令部)内部の「ニューディーラー」たちだった。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(82)政治家たちの「保守本流」の意識と重なった昭和天皇の「全国巡幸」
「保守本流」という言葉は、戦後の占領期政治を担った吉田茂に端を発すると解釈されるのが一般的だ。むろんこれは当たっているが、その真の起点は昭和21(1946)年1月の「人間宣言」から始まっているのではな…
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シリーズ「占領下の日本社会」(81)昭和天皇「松上雪」の御製が示した戦後「保守本流」の潮流
この人間宣言を発せられた年(昭和21年)の歌会始の御題は、「松上雪」であった。この御題に対して、昭和天皇は次のような歌を詠んでいる。 「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人も…
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シリーズ「占領下の日本社会」(80)昭和天皇が「詔書」で「人間宣言」以上に言いたかったこととは
この宣言(「新日本建設に関する詔書」)は、前半と後半とに分かれている。前半は「五箇条の御誓文」についての説明であり、今なおこの思いをきちんと受け止めて、「独り我国のみならず全人類の為に、耀かしき前途…
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シリーズ「占領下の日本社会」(79)軍事主導体制に抑制を効かせた「五箇条の御誓文」はなぜ変質したのか
この「五箇条の御誓文」は、以下のような枠組みをもって語られている。極めて貴重な意味を持っていることがうかがえる。ここに五箇条を記しておこう(原文は片仮名だが平仮名で引用する)。 1、広く会議を…
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シリーズ「占領下の日本社会」(78)「人間宣言」の舞台裏 昭和天皇がこだわった「五箇条の御誓文」
天皇の人間宣言は、GHQ主導であったにせよ、日本側の政治指導者にも異議はなかった。神権説に執着した軍事指導者たちは、天皇を神とあがめることで、自分たちの戦争指導もより権威づけされると信じたからであっ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(77)GHQ内部での対立、反共と軍事主義へと変容する戦後民主主義
「真相はこうだ」は好評を博したため、「真相箱」とタイトルを変えて、昭和21年12月まで続けられた。しかし「真相箱」とタイトルを変えてからは、真実の探究よりも政治的思惑が前面に出るようになった。東京裁判…
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シリーズ「占領下の日本社会」(76)敗戦直後、国民を揺さぶったGHQのラジオ番組「真相はこうだ」
一方で昭和20(1945)年12月9日、ラジオ番組「真相はかうだ」(真相はこうだ)の放送が始まった。連合国軍総司令部(GHQ)が制作したこの番組は、これまでのラジオ番組にはない内容であった。 …
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シリーズ「占領下の日本社会」(75)GHQによる「太平洋戦史」の執筆に協力した日本人たち、という歴史の謎
さらにこの「太平洋戦争史」は、日本軍閥の基本的問題点として「軍国主義者の権力乱用」「国民の自由剥奪」「捕虜や非戦闘員に対する非情な取り扱い」など枚挙にいとまがないと挙げつつ、最も重要なのは「真実の隠…
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シリーズ「占領下の日本社会」(74)「太平洋戦争史」が暴いた真実 国民に隠されていた政治の不祥事
「太平洋戦争史」の内容は、まず昭和の初期から説き起こしている。日本の軍国主義がいかに中国に軍事的関心を寄せていったか、というスタイルをつくろうとしたのだろう。かつて私は、拙著(「占領下日本の教訓」朝日…
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シリーズ「占領下の日本社会」(73)戦後民主主義の原点 日米合作としての「太平洋戦争史」
昭和天皇とマッカーサーの会見により、占領政策の方向性は明確になった。そこにはいくつかの歴史的意味を強調できるのだが、あえて今後の記述の参考に2点を挙げておきたい。 1つは、マッカーサーの占領…
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シリーズ「占領下の日本社会」(72)「保守本流」の源流 奥村勝蔵への指示と吉田外交の計算
吉田茂が、天皇とマッカーサーの会見時における通訳として奥村勝蔵を名指しした意図を、もう少し深く考察してみよう。 吉田は会見に際し、天皇がいかなる発言をしようとも、マッカーサーの回想記に記され…
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シリーズ「占領下の日本社会」(71)吉田茂と奥村勝蔵は「会見」に際し。密かに「策」を練ったのではないか
吉田茂と奥村勝蔵の打ち合わせとは、どのようなものだったのか。もちろん資料や文書が残っているわけではない。しかし、当時の侍従や外務省職員らの証言を参考にしていくと、次のような光景が浮かび上がってくる。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(70)吉田茂が「不名誉な外交官」を通訳に選んだ謎
なぜ吉田茂は、通訳に奥村勝蔵を選んだのか。この点については、これまでほとんど考察されてこなかったが、私は極めて重要な意味を持っていると考える。こうしたことを含めて、マッカーサーの回想記の記述について…
