「『共同幻想論』に挑む」鹿島茂著│難読書が家族人類学観点からの分析で鮮明な画像に
「『共同幻想論』に挑む」鹿島茂著
1960年代末の全共闘運動華やかなりし頃、「吉本千年、埴谷万年」と称され、埴谷雄高と吉本隆明の著作を当時の学生たちはこぞって読んだ。中でも吉本の「共同幻想論」は、読んでいないと相手にされない必読書の最たるものだった。とはいえ、その内容は難解。刊行時に19歳だった著者も「一読しても、ほとんどわから」ず、その「わからなさ」がトラウマになるほどだったという。これは著者だけでなく、多くの者が字面を追うだけで、この本で吉本が何を言おうとしているのか理解できなかった。そう、「『共同幻想論』は全共闘世代の吉本ファンの理解力を完全に超えていた」のだ。
著者にとって、長い間「出所不明の異形の意志」=「吉本はなんでこれを書いたんだという根源的な疑問」が解消されないまま苦手であった「共同幻想論」だが、エマニュエル・トッドらの家族人類学観点から分析することで、この作品がにわかに鮮明な画像となって現れたという。
本書は著者自身の「わからない!」が「わかった!」に変わっていく過程を詳細に記していく。ここで著者は、最初の「禁制論」から順を追っていくのではなく、最終章の「起源論」から逆に遡って「禁制論」へ至るという遡行的読み方を導入する。根源的な思考をもっぱらにする吉本は、思考の歩みに沿って記述するのではなく、これ以上遡行できないような根源から記述を始めることがある。ことに「共同幻想論」にはそれが強く出ており、それがわかりにくさにつながっているからだ(この「いきなり結論」は、若き吉本が詩人という道を選ばざるをえなかったことから導き出された必然の結果だとも指摘されている)。
全600ページにわたってあの「共同幻想論」が詳細に読み解かれていくのは圧巻だ。若き日に読解に挫折した人はもとより、吉本隆明に初めて接する人にも最良のチチェローネとなるだろう。 <狸>
(筑摩書房 5060円)



















