治療しながら子育ても仕事も学校も…デザイナーの榎原理絵さん乳がんを語る
榎原理絵さん(デザイナー/47歳)=乳がん
2021年春、「あと1カ月遅かったら助からなかったかも……」と言われました。おかげさまで今、生きていますし、今後も元気でいるつもりです。
告知されたのは「トリプルネガティブの乳がん」です。仕事の幅を広げるため、改めてデザインを学ぼうと大学院に入学したその矢先のことでした。治療の選択肢が限られ、進行が速い傾向にある乳がんのタイプです。シングルマザーですし、仕事も途中で投げ出せないし、学費もすでに払っていたので大学院も続けるしかない。結局、治療しながら子育ても仕事も学校も全部やりました。他に選択肢がなかったのです。私が現実的に使える支援や制度は限られており、その経験も今の活動につながっています。
受診したきっかけは、右胸に「ビー玉のようなしこり」を感じて、インスタグラムに「石灰化したのかな」とのんきに投稿をしたら、友人から「それ病院に行かなきゃ」とコメントをもらったことです。
危機感ゼロでしたが、ネットで調べて「乳腺外科」という科があることを知り、近所で乳腺外科の女医先生がいる病院を探しました。そして、月に1度だけ他の病院から女医先生が来るというところに予約を入れました。
しこりに気づいてから約2カ月後、ようやく受診し、その女医先生の所属する病院を紹介され、そこで診ていただくと、今度は大学病院を紹介されました。その時初めて、治療を急ぐ必要があることを実感しました。
検査をすると、がんはひとつではなく右胸に多発していて、リンパ節にも転移していました。ショックというよりも、「どうやって生き延びるか」に意識が向いていました。
治療の工程は、抗がん剤治療8クールの後に右乳房全摘+リンパ節郭清、さらに放射線25回、その後、経口抗がん剤による治療も行いました。治療が始まったのは7月末。その間にも胸のしこりが大きくなっていくのを感じていました。
術前の抗がん剤治療は「ドーズデンス療法」といって、通常より投与間隔を短くし、2週間ごとに行う治療でした。抗がん剤の翌日には「ジーラスタ」という、抗がん剤で減少する好中球を増やす薬も使いました。めまいや気分の悪さ、骨の痛みなどもありました。初回は入院、2~4クールは通院、5クール目は薬を変えるために再び入院し、6~8クールは通院ですべてやり切りました。
2週間ごとの投与だと、回復し切る前に次の投与となるので、回を重ねるほどしんどくて、最後の方はご飯も食べられなくなり、起き上がることもできないギリギリの状態でした。
治療が始まる前、先生から「命を最優先に、仕事も大学院も子育ても休まないと治療はやりきれませんよ」と言われたんです。でも、その選択肢は私にはなかったので、「やめません」と宣言して……。だから途中で「へこたれました」とは言えませんでした。
希望だったのは抗がん剤治療の途中、触ってもしこりがどこにあるかわからなくなったこと。MRIでも腫瘍が小さくなっていることが確認でき、治療の効果が実感できたのです。
その後、手術と放射線治療、術後の経口抗がん剤治療を経て、現在は半年に1回の定期検査を受けています。治療を終えた今も、再発への不安はあります。


















