阪神はなぜ優勝目前で中日キラー上田二朗を外した? メンバー表に2本線、江夏豊へ差し替えた“謎”
ある人をしのぼうという集いが東京であり、上京した。東海道新幹線の隣の席に、随分と長い付き合いの記者がいる。私は彼の卓越した野球理論が好きで、多くを学ばせてもらった。誘い合ってののぞみである。
京都を過ぎると、彼が窓の外を見た。
「まもなく名古屋だね」
「思い出すね」
「二朗が投げてりゃあね」
2人は半世紀前に思いを馳せた。
名古屋の駅からすぐに昔の古いナゴヤ球場が見える。
1973年秋、阪神はあと2試合を残し、最初の中日戦か翌日の巨人戦に勝てば優勝できた。今も語り草。中日球場で勝つか、甲子園で勝つか。マジック「1」の物語。上田か江夏か。それが焦点であった。
あのシーズンは江夏豊と上田二朗がそろって20勝を記録したが、ドラゴンズには上田だった。あの頃のドラゴンズはサイドスローに弱く、上田に打つ手がなかった。その年、上田はすでに中日戦で8勝するほどのキラーだった。


















