五木寛之 流されゆく日々
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連載12097回 寒い夏への予感 <2>
(昨日のつづき) きょうは午後から佐藤優さんとの対談。これで第3回目の討論である。 例によって私の話が右往左往するので、司会役の相馬さんは対談が脱線しないようにリストを用意して、断乎、編集方針…
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連載12096回 寒い夏への予感 <1>
暑かったり寒かったり、晴れたり小雨が降ったりと、不安定な日々が続いている。 街を歩いている人たちは、すでに初夏っぽい粧いをしているが、私はまだツイードの上衣が手放せない。 今年は寒い時期から…
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連載12095回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <6>
(昨日のつづき) 私は若い頃、といっても30代から40代にかけての時期だが、いくつもの歌謡曲をテーマにした小説を書いた。 歌謡曲の製作にたずさわるレコード会社のディレクター、<高円寺竜三>を主…
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連載12094回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <5>
(昨日のつづき) ひと言で<昭和歌謡>というが、実際には、大きく分けて3つのブロックを考えたほうがいいだろう。 私たち後期高齢者にとっては、<昭和歌謡>は戦前の流行歌である。昭和初年あたりから…
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連載12093回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <4>
(昨日のつづき) <詩>は、言葉だけで独立した作品。 <詞>は曲がつき、歌われることを前提とした未完の言葉。 そこに厳密な区別はないものの、そんなふうに私は区別している。専門の作詞家で、名刺の…
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連載12092回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <3>
(昨日のつづき) 吉本隆明は『最後の親鸞』(1981年/春秋社刊/ちくま学芸文庫)のなかで、 「親鸞の和讃の性格は、ひとことで<非詩>的であるといってよい。この<非詩>性は、たぶん親鸞の和讃が、…
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連載12091回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <2>
(昨日のつづき) 昨日、名古屋へいってきた。週末のせいか新幹線も大変な混みようである。 今回は、地元でユニークな文化活動を続けている『面影座』が主催する催しに呼ばれて出かけたのだ。土取利行さん…
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連載12090回 「昭和歌謡」の複雑な顔 <1>
自分の話で恐縮だが、先日、『文芸春秋読者賞』の受賞の催しが文春本社であった。 『読者賞』をいただくのは、こんどで2度目である。 かなり昔の話になるが、『うらやましい死にかた』という企画で受賞し…
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連載12089回 思い出のラジオ局 <4>
(昨日のつづき) このコラムの本文の前に<昨日のつづき>という言葉がついている。 この文句は、その半世紀前のラジ関の番組、『きのうの続き』からとったものだ。<今日の話は昨日のつづき>という番組…
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連載12088回 思い出のラジオ局 <3>
(昨日のつづき) ラジオ関東時代の話にもどる。 初期のラジオ関東で私とタッグを組んだのは、藤田さんという報道部のプロデューサーだった。 ニュース中心の報道部のなかでは、変り種といっていいタ…
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連載12087回 思い出のラジオ局 <2>
(昨日のつづき) それは夜の、短い番組で、『きのうの続き』というトーク番組だった。 大橋巨泉、富田恵子を中心に、当時のマスコミの売れっ子が勢揃いして、言いたい放題の放談番組である。永六輔、青島…
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連載12086回 思い出のラジオ局 <1>
先日、ひさしぶりでラジオ日本の番組にでた。 タブレット純さんが永年やっているトーク番組に、ゲストとして呼ばれたのだ。 タブレットさんの昭和歌謡にまつわる週刊新潮の連載をずっと愛読していた。私…
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連載12085回 健康の目的とは── <2>
(昨日のつづき) 誰もが健康でありたいと思う。病を抱えつつ生きたいと願う人はいないだろう。 そうであるならば、健康こそが人生の究極の目的であるのだろうか。 その問いに対しては皆が「ノー」と…
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連載12084回 健康の目的とは── <1>
若い頃から不節制な生活を続けてきた。 こんな暮しを続けていたのでは長生きはできないだろうと、ずっと思っていた。 それがズルズルと今日までさしたる大病もせずに生きてきたというのは、どうも自分で…
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連載12083回 七五調は消えるか <3>
(昨日のつづき) いま流行しているポップス系の歌の大半は、七五調とは無縁の歌詞がほとんどだ。 テレビをみていると、新しいグループのヒット曲の歌詞が、画面下にテロップで出ている。歌をきいているだ…
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連載12082回 七五調は消えるか <2>
(昨日のつづき) 親鸞の前に法然がいる。その前に源信がいた。恵心僧都源信である。 3人とも天台に学んだが、法然、親鸞は中退した。市井のヒジリとして念仏を説いた。声にだして念仏をとなえれば、悪人…
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連載12081回 七五調は消えるか <1>
これまで何度も書いたことだが、平安時代に大流行した巷の歌に「今様」というのがある。 「今様」。 文字通り「その時代の世の中の空気を如実に反映した歌謡」とでもいえるだろうか。当時の人々の喜び、悲…
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連載12080回 死をどう考えるか <5>
(昨日のつづき) 私は現在、92歳。今年の秋には93歳を迎える。 自分でも信じられない位に長く生きた。この日刊ゲンダイの連載をはじめてからでも、すでに50年が過ぎている。 父も、母も、そし…
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連載12079回 死をどう考えるか <4>
(昨日のつづき) 昭和ヒトケタ生れの私にとって、戦時中の少年時代は、常に死を考える日々だった。 子供が死を考える、などというとナンセンスにきこえるだろうが、事実だったのだから仕方がない。戦争の…
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連載12078回 死をどう考えるか <3>
(昨日のつづき) 日本中が大谷選手の話題で沸き返っているときに、縁起でもない「死」の話などしていていいものだろうかと、いささか心配になっていた折りに、『週刊新潮』を読んでホッとした。 横尾忠則…