五木寛之 流されゆく日々
-

連載12419回 七〇年前の愛読書 <3>
(昨日のつづき) 当時、金に困って『チェホフ全集』を売りにいったことがある。戸塚の古本屋さんは、目ききが多い。思いがけない高価で買ってくれた。 何日かして、その店にいくと本棚の上のほうに『チェ…
-

連載12418回 七〇年前の愛読書 <2>
(昨日のつづき) <七〇年前の>と書いたが、正確には1952年(昭和27年)からの数年間である。 私が九州から上京して、露文に入学してからのバイト学生時代だ。 当時は大学周辺には古書店が沢山…
-

連載12417回 七〇年前の愛読書 <1>
学生時代、よく読んだ作家にチェホフとゴーリキーがいた。 ロシア文学のなかでは、なんとなく対照的な感じで見られる存在だが、ともに19世紀に活躍した作家である。 私が学生のころ、 「卒論は誰を…
-

連載12416回 面白がって歩く日 <4>
(前回のつづき) <歩く>ということは、重大な問題である。 しかし、それにもかかわらず、気楽な調子で、考えたり、論じたりしている。 私たちの生きている日々も、そうかもしれない。気軽るな文章を…
-

連載12415回 面白がって歩く日 <3>
(昨日のつづき) 私はこれまで「歩くこと」について繰り返し書いてきた。 この欄でもそうだが、ほかの新聞、雑誌にも何度となく私見を披露している。 『週刊新潮』に「親指重視論」を展開したときには…
-

連載12414回 面白がって歩く日 <2>
(昨日のつづき) 杖をついて歩くということは、ある意味では危険なことである。 つまずいて転ぶ、というのはよくあることだ。足がもつれるというやつだ。それをおぎなうために杖をつく。 ところが、…
-

連載12413回 面白がって歩く日 <1>
歩くときに、左側の膝が痛むようになってから、もう5年ほどたつ。 じっとしているときは何ともないのだ。歩くときに体重が左脚にかかると、ひどく痛むのである。 病院にいって診察してもらうと、<変形…
-

連載12412回 「知ること」の歓び ─「国家と反国家」(小島岳彦著)を読む─ <2>
(昨日のつづき) この一冊は3部からなっている。 第1部がアメリカ篇。 「星条旗」だけでなく、「アロハ・オエ」と抱き合わせになっているところがミソだ。 私の大学生時代、というと1950年…
-

連載12411回 「知ること」の歓び ─「国家と反国家」(小島岳彦著)を読む─ <1>
若いときの読書の歓びは「知らないことを知る」感動である。 では歳をとってからの読書の効用とは何か。 なにやら深淵な思想に触れる感動というのがありそうに思っていたのだが、実際に高齢期の読書の愉…
-

連載12410回 敗戦の夏の記憶 <4>
(昨日のつづき) 終戦の詔勅は中学の校庭に整列して聴いた。拡声器から流れる音声が聞きづらかったが、戦争に負けたのだということはわかった。すでに道路にはハングルで書かれたプラカードをかかげたデモ隊が…
-

連載12409回 敗戦の夏の記憶 <3>
(昨日のつづき) 母が一時、教師として勤めていた山手小学校(のちに国民学校)と道路をへだてた一画に平壌一中があった。 当時、平壌には一中から三中まであった。私は昭和20年の春、山手国民学校を卒業…
-

連載12408回 敗戦の夏の記憶 <2>
(昨日のつづき) ない<内地>という言葉を、子供の頃から普通に使ってきた。 内地とは、外地に対する表現である。外地とは、国際的には<本土以外の土地>ということだろう。<広辞苑>によれば、①国外…
-

連載12407回 敗戦の夏の記憶 <1>
昭和20年の8月。 中学1年生の私は、朝鮮北部の都市、平壌にいた。かつての高句麗の都である。 8月6日、そして9日。 外地で発行されていた新聞には、 <特殊爆弾> という用語が使わ…
-

連載12406回 男女共学のころ <5>
(昨日のつづき) 戦後の男女共学の高校に入学して、もっとも刺戟的だった光景といえば、女子バレーの選手たちの練習風景である。 体格のいい女子学生たちが、ショートパンツから健康的な脚を露わにして、…
-

連載12405回 男女共学のころ <4>
(昨日のつづき) 言葉は時代とともに生れ、時代とともに消えてゆく。 <男女共学> などという言葉は、すでに死語といってもいいかもしれない。 しかし、戦後昭和の時代の一端を反映する懐しい言…
-

連載12404回 男女共学のころ <3>
(昨日のつづき) <男女共学>などという言葉も、いまでは死語になってしまっている。 こうして昭和は、次第に歴史のかなたに遠ざかっていくのだ。 昔の女学校が新制高校に変って、私たち中学卒業生は…
-

連載12403回 男女共学のころ <2>
(昨日のつづき) <男女共学> なんという刺戟的な言葉だろう。 それまで小学校を終えると、男は中学、女性は女学校と分離されることになる。 それが一緒に学べるということは、当時としてはきわ…
-

連載12402回 男女共学のころ <1>
戦後も80年を過ぎると過去の物語りとなる。当時のことは、もう漠然たる記憶としてしか残っていない。 あまり話題にならない事を、いくつか思い返して書いておこう。歴史とか、そういうものは、重大な出来事…
-

連載12401回 女性アズNO1 <5>
(昨日のつづき) 高齢の女性があふれる国、というイメージは、なかなか頭に描きにくいところがある。 約6歳の年齢差は、さまざまな面で、この国のありように影響するはずだ。 将来、さらに男女の生…
-

連載12400回 女性アズNO1 <4>
(昨日のつづき) 女性は強い、ということを私は口先で言っているわけではない。 1945年夏の敗戦後、旧満州、そして北朝鮮での抑留生活のなかで、少年の私はいやというほど女性の強さ、たくましさを感…
