気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った
俺が若手の頃、星野仙一監督から最も「愛のムチ」を受けていたのは捕手の中村武志さんだったと思う。2年先輩で、俺が入団したときはすでに正捕手候補として一軍でプレーしていた。
同じ捕手では太刀打ちできない存在。ライバルという立場にすらなかったが、俺が一軍に上がれるようになってからは中村さんが「オオタケ」、俺は「コタケ」と呼ばれた。一緒にキツイ練習を乗り越えてきた先輩でもあった。
なかでも過酷だったのが1989年2月、豪州・ゴールドコーストでの春季キャンプだった。
最近の日本のような暑さで、日中の気温は40度を超える。帽子をかぶっていても、頭がヤケドのような状態になって頭皮が脱皮したみたいにベロンとめくれたこともあった。高木守道監督のときも同じゴールドコーストでキャンプをしたが、暑すぎて練習開始を夕方に変更したほどだった。
中村さんとは全体練習の後、炎天下で1時間半以上、コーチからノックを受けるという地獄のような時間を共に過ごした。
練習後半、俺の体に異変が起きた。なぜか寒けがしたのだ。恐る恐る中村さんにこう尋ねた。