五木寛之 流されゆく日々
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連載12152回 末端が大事なのだ <5>
(昨日のつづき) 重要な部分は、末端に支えられている。それが私の頑固な偏見だ。 頭部の中心は脳。脳は、目、耳、口に支えられている。もちろん手足の指先や、皮膚にも支えられている。 手足は指先…
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連載12151回 末端が大事なのだ <4>
(昨日のつづき) 昨日は市ケ谷の『アルカディア』で催しものがあって出かけた。 <坪田譲治賞40周年記念>の行事が催されたのだ。 初期の頃からずっとその賞の選考委員をつとめてきたので、ご苦労さ…
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連載12150回 末端が大事なのだ <3>
(昨日のつづき) <端っこが大事> という考え方は、子供の頃からずっと思っていたことである。 食べものなどもそうだ。真ん中の、いかにも美味そうな部分より端っこのほうが旨い。頂きものをしたりし…
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連載12149回 末端が大事なのだ <2>
(昨日のつづき) 人は物事に順位をつける。 中央と地方、という考え方もそうだ。私は若い頃、金沢に住んでいた。新人賞もそこでもらい、直木賞の候補になったのも金沢にいた頃だった。 俗に「加賀百…
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連載12148回 末端が大事なのだ <1>
夜、寝る前に、少し体の手入れをする。 ずっと毎晩やっているうちに、習慣になってしまったのだ。 まず両手を組み合わせて、ゴリゴリこする。手というより指だ。5本の指を交差させて、左右に振るのでは…
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連載12147回 古い記憶、新しい記憶 <5>
(昨日のつづき) いま、雷が近くに落ちた。耳を押さえて原稿を書く。 記憶というものは、脳の中にのみ保存されるものではあるまい。 身体に刻まれた記憶というものもある。それを意識することで古い…
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連載12146回 古い記憶、新しい記憶 <4>
(昨日のつづき) 私の父は、師範学校に在学中から剣道の有段者だったそうだ。教師になったときは、3段だった。 当時、奈良で催されていた全国剣道大会、たしか<野間杯>とかいったような気がするが、そ…
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連載12145回 古い記憶、新しい記憶 <3>
(昨日のつづき) いつのまにか消え失せた指の傷跡は、戦争の時代の、個人的記憶の再生装置だったと言っていい。 1センチ足らずの桃色の肉の隆起。 それは私にとって大事な記念の品だったのである。…
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連載12144回 古い記憶、新しい記憶 <2>
(昨日のつづき) 夜、原稿を書く手を休めて、机上のスタンドの明かりに右手をかざし、指を眺めた。 人差し指か中指かのどこかに、古い傷跡があるはずだと点検したのだが、なぜかない。 年月とともに…
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連載12143回 古い記憶、新しい記憶 <1>
ボケは人間の宿命である。後期高齢者は、多かれ少なかれ次第にボケていく。 記憶に関してもそうだ。私の場合、古い昔のことは比較的よくおぼえているのだが、直近の記憶がすぐにあいまいになる。 つい今…
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連載12142回 対談集の過去帳 <4>
(昨日のつづき) いまだにミスター、故長嶋茂雄さんについての原稿の依頼が絶えない。 生前、たった一度しか対談をしたことのない長嶋さんだったが、たぶん平凡社から出した『五木寛之傑作対談集』の第1…
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連載12141回 対談集の過去帳 <3>
(昨日のつづき) 過去の「対談本」を、こうして眺めていて気づくのは、その年に何冊も刊行しているときと、意外に対談の数が少い時と両方があることだ。 たぶん、2度にわたる休筆期間が関係しているのか…
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連載12140回 対談集の過去帳 <2>
(昨日のつづき) さて85年には、井上陽水さんとの対談集『青空ふたり旅』が角川文庫になった。 80年代には『風の対話集』という、いっぷう変った対談集がブロンズ新社から出ている。 90年代に…
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連載12139回 対談集の過去帳 <1>
これまで何冊ぐらい<対談集>を刊行してきただろう。 自分の昔の本をあまり保存していないので、指折り数えてみても、あまりはっきりしないのだ。 たしか最初の対談集は、 『白夜の季節の思想と行動…
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連載12138回 やっぱり人が面白い <1>
仕事を通じて、沢山の人と出会った。 雑誌や新聞の対談もあるし、ラジオのゲストとして招いたかたがたもいらっしゃる。 一期一会の出会いだったこともあるし、その後も細く長い縁が続いた人もいた。 …
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連載12137回 新聞について語る <3>
(昨日のつづき) 新聞通信調査会シンポジウムの私の講演は、本題の<戦後80年とメディア>というテーマには、ほとんど触れることなく、個人的な思い出話に終った。 本当は私がそこで伝えたかったのは、…
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連載12136回 新聞について語る <2>
(昨日のつづき) プレスセンター・ホールでの講演とは関係がない話だが、『燃える秋』を、私は恋愛小説のかたちをとった政治小説として書いた。『燃える秋』は映画化されたが、そこのところがまったく抜けてい…
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連載12135回 新聞について語る <1>
きょうは久しぶりに東京のプレスセンターホールで講演。 <新聞通信調査会>主催の『戦後80年とメディア』というシンポジウムの、基調講演といえばおおげさだが、要するに前座をつとめたのだ。 本番のシ…
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連載12134回 九十歳の壁の実態 <2>
(昨日のつづき) 以前、高齢者の運転免許の講習のときに、 「きょうは何年何月の何日ですか」 と、きかれたことがあった。 とっさにたずねられて、少々あわてた記憶がある。 歳をとると、誰…
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連載12133回 九十歳の壁の実態 <1>
<七十歳の壁> とか、 <八十歳の壁> とかいう言葉が一時はやった。 <壁>というのは、ひとつの限界のことである。 そこを越えると、別世界に足を踏み入れることになる。それまで生きてきた…